無職のままシングルマザーになって、乗り越えていった方法4つ

シングルマザー

年齢47歳、女性、専業主婦(在宅ライター)。25歳で元旦那と結婚、息子が1歳と5歳のときに離婚。独身のころはなんの資格も持たずに、アパレル業界で仕事をしていたが、結婚と同時に専業主婦となる。離婚後は、1人で子育てをするためには、まずなにか資格が必要だと思い、親の援助を受けながら必死で勉強して、資格を得る。その後は、資格を生かして、保育、デイサービス、デイケアでの仕事を経験している。趣味は、音楽を聴くこと、映画、ドラマをみること

 

 

乗り越えていった方法1.親に援助してもらった

援助

 

離婚の原因は、夫の暴力だったのですが、なかなか誰にも相談することができず、限界にまできていました。

「資格を取るために勉強しているから、めどがたったら離婚する」と、親に話したのは限界のころ。

 

両親は驚いて、「めどがたったら」と言わず、今すぐ別れるように言いました。

両親に心配させたくないし、甘えたくないという思いがあり、迷っていた私でしたが、目が覚めました。

 

「もっと、早く相談してくれればよかったのに」とも、言われました。

なんでも、自分ひとりで解決しようとしていましたが、そうではなかったと気がついた瞬間です。

 

そこから離婚を決め、両親の家の近くにアパートを借り、引越しの段取りをすすめたのでした。

「生活が安定するまで」と、毎月5万円を両親から援助してもらうことになりました。

 

パート収入だけでは、かなり生活苦だったところを助けてもらいました。

ちなみに、離婚してから半年後に、ハローワークで6ヶ月間の、職業訓練の学校に入ることができました。

 

収入が入ってきてからは、無事に親からの援助をストップできました。

 

乗り越えていった方法2.離婚前に預金を移した

預金

 

専業主婦だった私は、自分の通帳にはほとんどお金が残っていませんでした。

そこで、離婚してからアパートを借りたり、引越しをしたりするために、夫名義にしていた預金を自分名義へ変更しました。

 

穏やかに、話し合える状況ではなかったですし、弁護士費用もない状況でした。

どうせ、財産分与やら養育費やら、きちんと払ってもらえるはずがないと思ったからです。

 

じっくり、時間をかけて裁判をしても、相手に能力がなければ、結局支払ってもらえません。

「自分ひとりで、なんとかしていかねば!」と、いう思いしかありませんでした。

 

 

乗り越えていった方法3.離婚前から資格試験の勉強をはじめた

勉強

 

シングルマザーで、子ども2人を育てていくためには、きちんとした仕事が必要。

そのためには、なにか資格が必要だと思いついたのが、保育士資格でした。

 

離婚前から「子育てのために役に立ちそうだから」と、夫に気づかれないように準備を開始。

簡単に、一発合格できるものではなかったので、そうとう頑張りました。

 

合格した科目は、3年間有効で全部で8科目合格する必要があります。

1年目に3科目合格、2年目2科目合格したものの、3年目は受験できず。

 

離婚した翌年にの4年目には3科目が消えてしまったので、6科目とる必要がありました。

生活のため、もうあとがありません。

 

お金も必要なので、パートもしていましたが、試験の3、4ヶ月前からは、受験勉強に打ち込みました。

もし、自分が学生時代に、このくらい勉強をしていたら、難関大学にあっさり合格していたでしょう。

 

30代にして、人生で一番必死に勉強したといえます。

子どもたちを寝かしつけながら、一緒に21時ごろ寝て、4時ごろ起きて、子どもが起きてくるまでひたすら勉強。

 

子どもが、保育所に行っているあいだは「仕事に出て、家にいない状況と同じ」と、一切の家事をせず、集中して勉強。

子どもといるときにも、一緒にテレビを見ている風にして、テレビのうしろに貼った、単語や年表をひたすら暗記。

 

子どもが、くつをはくのに手間取っているときにも、イライラせず、単語帳をめくりながらひたすら勉強三昧。

そして、当時は年に一度の夏の試験だった、夏の試験を無事におえたのでした。

 

乗り越えていった方法4.ハローワークで職業訓練学校の募集をみつけた

職業訓練

 

保育士試験がおわってすぐ、結果を待たずにハローワークに行きました。

ホームヘルパー1級の資格がとれる、9月入学の半年間の学校があることを知りました。

 

入学試験まで、日にちがありませんでした。

中学までの、国語と数学ということだったので、苦手な数学だけワークブックを買って復習しました。

 

国語はなにも、対策をとりませんでしたが合格しました。

無事に、9月から通えることになったのです。

 

教科書代はお金が必要でしたが、受講料は無料。

それどころか、母子家庭には毎月、出席日数分の手当や交通費が支給され、かなりの金額をもらえることになりました。

 

児童扶養手当とあわせると、じゅうぶんに食べていけたのです。

そこで、半年お世話になることで、親からの援助を断ることができ、一応自立しました。

 

この学校は、9時から16時までの月~金で、欠席は許されず、欠席した場合は膨大なレポート提出が課せられました。

かなり厳しいものですが、卒業と同時にホームヘルパー1級の資格がとれ、就職先の紹介もあるというものでした。

 

まとめ

保育所の申し込みのとき、役所から一日も早くなにか仕事をするように言われました。

とりあえずのパートで、一時しのぎをすることは、将来が見えなくてどうしてもイヤだった私。

 

不安でしたが、一度に保育士資格とホームヘルパー1級の資格が取れました。

有資格者として、自信を持って就職活動でき、正社員で働くことができよかったです。