30歳で韓国に嫁に行った、50代前半の主婦。
結婚で韓国籍になることを拒否し、日本国籍を維持しながら、外国人として暮らしました。
その際に、不便だったことなどを紹介します。
外国で、外国人として生きることの選択が正しかったのか、常に葛藤中。
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韓国生活をするまでのエピソード1.戸籍から消える
私は1995年の12月に、韓国に入国。
某宗教団体の結婚でしたので、周囲の厳しい視線は仕方がないこととしても、私にとっては、人生をかけた出発でした。
日本側の婚姻届けを出したあと、韓国側での入籍も終え、それから半年の間は、二重国籍の状態。
その半年の間で、韓国籍を取得すれば、簡単に韓国籍を取得できました。
しかし、韓国人になりたくて渡韓したわけではなかった私。
そのまま半年はあっという間に過ぎ、戸籍には亡くなった人に書かれるバッテンの印が、私の名前にも表示されたのです。
当時、韓国に嫁にきた日本人のほとんどは、日本国籍のまま。
戸籍を見た男性たちは、妻が亡くなった人と同じ扱いを受けたので、驚いていました。
夫も例外ではありません。
しかし、国のやることでしたから、「おかしい」と思いながらも、従うしかありませんでした。
しかし、これがのちのち問題になってくることになるのです。
韓国生活をするまでのエピソード2.韓国籍取得の葛藤
外国籍だと公務員にはなれませんし、選挙権も与えられません。
生活保護も、もちろん対象外です。
韓国で暮らすというのに、日本国籍にこだわったのは、日本に帰省するときに、外国人として帰りたくなかったから。
それに、言葉もうまくできないのに、国籍だけ韓国というのも、私には受け入れがたいものがあったのです。
将来、離婚ということになったら、日本に帰ったとしても、外国籍で帰ることになります。
それも嫌でしたね。
韓国生活をするまでのエピソード3.書類取得時の問題
韓国にも、日本の住民センターというところがあちこちにあります。
そこは外国人が行っても、職員の人でさえ、対応の仕方がわからない人が多いところです。
外国人は出入局管理事務所で管理されてますから、私の外国人登録証だけでは書類はもらえません。
その仕組みがわかったのは、何年もたってからのこと。
なので、行っても、どうしてわからないのかイライラするだけで、ストレスがたまりました。
婚姻届けを出して渡韓しているのに、まず聞かれるのは「婚姻届けは出しましたか?」の一言。
事務職特有の淡々とした言い方で言われるので、最初はショックを隠せませんでした。
そして夫の名前を言い、連絡先を教えると、電話して確認するのです。
それが終われば、無罪放免。書類をもらえました。
子どもと一緒に行っても、「婚姻届けを出したのか」と聞かれます。
そうなると、そこにいる子どもは私生児ということになるのです。
周囲の視線も感じますし、罪人になったような気分でした。
しかし、それはもともとの戸籍の書き方に、問題があったのです。
半年間の猶予期間で、韓国籍を選らばなければならなかったので、私は戸籍上存在していなかったことに。
当時の韓国の法律では、「外国人が、家族にいる人もいる」ということを考えていませんでした。
未婚の韓国人男性ために、外国からたくさんのお嫁さんがきましたが、東南アジアなどからきた人たちは、すぐに帰化。
自分の国籍より、韓国籍のほうが有利だったためです。
それを利用して、韓国籍を取得したあと、行方不明になった例も聞きました。
日本人はほとんどが、そのままの状態。
日本人で帰化する人たちは、大変だったと思います。
農村などに嫁げば、用事があるたびに、領事館に出向かなければなりません。
夫の強引なやり方で、帰化した人などが多かったのではないでしょうか。
ちなみに私も、夫から二度ほど、「帰化をしないのか」と聞かれましたが、拒否しました。
日本国籍を捨てることは、自分を捨てることにも等しかったのです。
韓国生活をするまでのエピソード4.転入届
夫のDVから逃れて、一時的に別居した私は、子どもが当時小学生でしたから、転入届を出す必要がありました。
やはり、そこでもすんなりとはいきません。
住民票を移すのに、父は不在、母は外国人、子ども二人だけ住所を移すという形になります。
そのため、住民票上は、子どもたち二人だけで暮らしているという形になるのです。
夫からの嫌がらせで、精神も病んでいた当時の私。
ですので、住民センターの人になにを言ったか忘れましたが、声を荒げて、叫んだ記憶があります。
転入届けは無事に済みました。
それからも書類を揃えるたびに、同じことを言われたので、住民センターより大きな区庁のほうに行くように。
最後に行った住民センターの人には、ため口で怒ってしまい、申し訳ないことをしましたね。
彼らはただ、なにも知らなかっただけなのです。
私が行くと、夫に電話して「婚姻はしている」と確認をもらえば、書類を出してくれました。
まとめ
戸籍に外国人がいても、記載してくれるようになったのは、まだ何年か前のことです。
その情報も、人から聞いたもので、知らなければそのままでした。
しかし、その期間は18年にも、およんでいるのです。
区庁に届けを出してはじめて、私の名前と国籍が表示され、家族ということが証明されました。
書類を見たときは涙が出ましたね。
戸籍に入れてもらえない悲しさは、到底言葉にはできません。