シングルファザーの娘で苦しみ育てられたエピソード9編

悲劇が起きた女の子

28歳、女性、二人の子どもを持つ専業主婦。

ただ今、3人目を妊娠しています。

シングルファザーのクズ親に、貧乏で、いろいろなできごとがありながらも、育ててもらいました。

 

しかし、私が結婚をして、二人目産んだあと、母親が家に遊びにくるように。

そこで、母親のグズぶりも見てしまうことになる。

 

 

父子家庭で育った娘のエピソード1.離婚

離婚

 

父親はクズながらも、私と弟、二人の子どもを育ててくれました。

父親のクズっぷりは、ここからはじまります。

 

私6才、弟は3才のときに、両親は離婚。

母親が家を出ていく姿は、今でも鮮明に覚えています。

「あとで迎えにくるから」、そう言い残し、ボストンバッグを抱え、そそくさと家を出ていきました。

 

父親は職人で、月400,000円稼ぐほど、真面目な性格。

毎日一生懸命仕事に行っていましたが、離婚をし、その理由が「男ができた」というショックで、父親はクズ親に変わりました。

 

父子家庭で育った娘のエピソード2.クズ親になる父

親父

 

日に日に、仕事に行かなくなった父親。

電気、ガス代も払えなくなり、止まるようになりました。

しまいには、お婆ちゃんや親戚からもらった少ないお年玉で、買ったテレビゲームも売られる始末。

 

そして、事態は、最悪な方向へと向かいます。

 

父子家庭で育った娘のエピソード3.借金

水が出ない蛇口

 

借金取りが、家にくるようになったのです。

父親は、仕事に行かないようになり、家にいたのにもかかわらず、居留守を使います。

なので、借金取りのお出迎えをするのは、私と弟。

 

毎回、「父親を出せ」、「借金を返さないなら、お前たち二人を連れていく」と言われました。

本当に、連れていかれそうになることもしばしば。

 

電気が止まり、夜は怖くて眠れません。

そのうえ、怖い人に連れていかれるなど、恐怖でしかないですよね。

そんな状況なのに、父親は出てきてくれませんでした。

 

そんな日々を送るなか、とうとう住んでいたマンションを出ていくことに。

というより、「追い出された」と言っていいでしょう。

 

父子家庭で育った娘のエピソード4.引っ越し

借家

 

次の家は、暗い階段をあがったところにある、ボロい二階建てのアパートでした。

もちろん、前の家より狭く、トイレは和式。

お風呂も、自分でガスをつけて火をつけないと、お湯がでない古いタイプのお風呂です。

 

引っ越しをしてから、まだガス線も開いていないため、ご飯もつくれません。

また、父親も忙しそうだったので、1日1回、お婆ちゃんが毎日、ご飯を届けにきてくれていました。

そうしたなか、夜ご飯の時間になっても、朝になっても、父親が帰ってこないように。

 

小学校の夏休み入る日、お婆ちゃんが珍しく朝からきて、朝ごはんを食べてるなか、険しい顔でこう言いました。

「お父さんは、しばらく帰ってこれない。お婆ちゃんの家で暮らそう」と。

 

私は嫌な予感はしましたが、勇気を振り絞って、お婆ちゃんに聞いたのです。

「なんで、お父さんは帰ってこれないの?」と。

 

そう聞くと、またお婆ちゃんは渋い顔をして、「悪いことをしてしまったから、帰ってこれないの」と言いました。

私は子どもでしたが、「本当に父親は、クズ親になってしまったんだ」と、落ち込みましたね。

 

父子家庭で育った娘のエピソード5.お婆ちゃんの家に

量が多い食事

 

アパートに引っ越してきて2週間目ぐらいで、お婆ちゃん家に行くことに。

お婆ちゃん家は、同じ市内にありましたが、学校への通学が遠くなってしまいます。

なので、私はあと1年で、小学校卒業だったのに、転校することになったのです。

 

ですが、お婆ちゃん家に住んでからは、最高な毎日でした。

家に帰れば、大人が家にいてくれます。

 

また、温かく美味しいご飯も食べれて、借金取りもこないようになったのです。

 

 

父子家庭で育った娘のエピソード6.父親帰宅

電話機

 

父は意外とすぐに、帰ってきました。

ですが、父親が3ヶ月で帰ってくるなり、「待ってました」といわんばかりに、借金取りがまたくるように。

 

固定電話には、昼夜関係なく、連絡が入ります。

お婆ちゃんも、私たちも、気が狂いそうでした。

 

父親は帰ってくるなり、毎日ごろごろしています。

最悪でしたね。

 

しかし、そんな毎日にも、やっと終わりがくるのです。

 

父子家庭で育った娘のエピソード7.やっと終わりがくる

女子中学生

 

私が中学生になり、毎日の借金取りの電話も人も、なぜかパタンとこなくなりました。

少し不思議でしたが、理由など、どうでも良かったです。

 

「これで、借金取りの自縛には解放され、平穏に暮らせる」

そう思うと、毎日がキラキラしました。

 

父子家庭で育った娘のエピソード8.父親が真面目に

エリートサラリーマン

 

しばらくして、母が復縁。

父親も、しばらくしてから彼女ができ、やっと真面目に働くようになりました。

 

そんな子ども時代を送り、私も結婚し、二人の子どもを持つ母親に。

二人目を産んだあと、母親が頻繁に、家に遊びにくるようになりました。

 

もともと、1年に1回は会っていた、私と母親。

家にくるようになってからは、服やおもちゃなどを買ってきてくれていました。

 

身勝手な母親で、あんまり好きではなかった私。

ですが、子どもを産んでる女同士ということもあり、育児の相談や旦那の愚痴も、よく聞いてくれていたのです。

 

しだいに、母親のイメージもよくなり、関係も良好になります。

 

父子家庭で育った娘のエピソード9.母は、やはりクズ親

お手上げの女性

 

しかしある日、母親がいつも通り遊びにきて、一服したとき、突然こう言ってきたのです。

「今月飼い犬が体調が悪くなり、予定外の出費がでてしまったから、お金を貸して欲しいんだよね~」と。

 

そう言われて、迷いましたが、「まぁ、子どもにいろいろしてもらってるし」と思い、お金を貸します。

しかし、またその日に、電話がかかってきて……。

 

「今からまた、おじゃましていい?」

母親がそう言うので、嫌な予感はしましたが、受け入れました。

 

「お腹が空いた」と言うので食べさせ、一服したあとに、母親は衝撃の一言を言い放ちます。

「ゴメン、借りたお金を増やそうとして負けて0になっちゃった。もう1回貸してくれない?」

「明日、仕事行く電車賃もないの」と。

 

「私の家もギリギリだから、無理だよ」

そう言っても、母親がこう言って、食い下がります。

「あなたの旦那には、電話して謝るから、お願い」と。

 

あとから分かったことなのですが、なんと母親は、軽いパチンコ依存性だったのです。

このことを弟に愚痴ると、「俺にも『貸してくれ』って電話きたよ」と、言っていました。

 

まとめ

シングルファザーになり、クズ親になってしまった父親と、父をクズ親にしたあげく、パチンコ依存性になった母親。

 

「『子は親を選べない』というのは、こういうことなんだろうな」

そうしみじみ思い、「本気で縁を切ろう」と考えました。