28歳、女性、二人の子どもを持つ専業主婦。
ただ今、3人目を妊娠しています。
シングルファザーのクズ親に、貧乏で、いろいろなできごとがありながらも、育ててもらいました。
しかし、私が結婚をして、二人目産んだあと、母親が家に遊びにくるように。
そこで、母親のグズぶりも見てしまうことになる。
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父子家庭で育った娘のエピソード1.離婚
父親はクズながらも、私と弟、二人の子どもを育ててくれました。
父親のクズっぷりは、ここからはじまります。
私6才、弟は3才のときに、両親は離婚。
母親が家を出ていく姿は、今でも鮮明に覚えています。
「あとで迎えにくるから」、そう言い残し、ボストンバッグを抱え、そそくさと家を出ていきました。
父親は職人で、月400,000円稼ぐほど、真面目な性格。
毎日一生懸命仕事に行っていましたが、離婚をし、その理由が「男ができた」というショックで、父親はクズ親に変わりました。
父子家庭で育った娘のエピソード2.クズ親になる父
日に日に、仕事に行かなくなった父親。
電気、ガス代も払えなくなり、止まるようになりました。
しまいには、お婆ちゃんや親戚からもらった少ないお年玉で、買ったテレビゲームも売られる始末。
そして、事態は、最悪な方向へと向かいます。
父子家庭で育った娘のエピソード3.借金
借金取りが、家にくるようになったのです。
父親は、仕事に行かないようになり、家にいたのにもかかわらず、居留守を使います。
なので、借金取りのお出迎えをするのは、私と弟。
毎回、「父親を出せ」、「借金を返さないなら、お前たち二人を連れていく」と言われました。
本当に、連れていかれそうになることもしばしば。
電気が止まり、夜は怖くて眠れません。
そのうえ、怖い人に連れていかれるなど、恐怖でしかないですよね。
そんな状況なのに、父親は出てきてくれませんでした。
そんな日々を送るなか、とうとう住んでいたマンションを出ていくことに。
というより、「追い出された」と言っていいでしょう。
父子家庭で育った娘のエピソード4.引っ越し
次の家は、暗い階段をあがったところにある、ボロい二階建てのアパートでした。
もちろん、前の家より狭く、トイレは和式。
お風呂も、自分でガスをつけて火をつけないと、お湯がでない古いタイプのお風呂です。
引っ越しをしてから、まだガス線も開いていないため、ご飯もつくれません。
また、父親も忙しそうだったので、1日1回、お婆ちゃんが毎日、ご飯を届けにきてくれていました。
そうしたなか、夜ご飯の時間になっても、朝になっても、父親が帰ってこないように。
小学校の夏休み入る日、お婆ちゃんが珍しく朝からきて、朝ごはんを食べてるなか、険しい顔でこう言いました。
「お父さんは、しばらく帰ってこれない。お婆ちゃんの家で暮らそう」と。
私は嫌な予感はしましたが、勇気を振り絞って、お婆ちゃんに聞いたのです。
「なんで、お父さんは帰ってこれないの?」と。
そう聞くと、またお婆ちゃんは渋い顔をして、「悪いことをしてしまったから、帰ってこれないの」と言いました。
私は子どもでしたが、「本当に父親は、クズ親になってしまったんだ」と、落ち込みましたね。
父子家庭で育った娘のエピソード5.お婆ちゃんの家に
アパートに引っ越してきて2週間目ぐらいで、お婆ちゃん家に行くことに。
お婆ちゃん家は、同じ市内にありましたが、学校への通学が遠くなってしまいます。
なので、私はあと1年で、小学校卒業だったのに、転校することになったのです。
ですが、お婆ちゃん家に住んでからは、最高な毎日でした。
家に帰れば、大人が家にいてくれます。
また、温かく美味しいご飯も食べれて、借金取りもこないようになったのです。
父子家庭で育った娘のエピソード6.父親帰宅
父は意外とすぐに、帰ってきました。
ですが、父親が3ヶ月で帰ってくるなり、「待ってました」といわんばかりに、借金取りがまたくるように。
固定電話には、昼夜関係なく、連絡が入ります。
お婆ちゃんも、私たちも、気が狂いそうでした。
父親は帰ってくるなり、毎日ごろごろしています。
最悪でしたね。
しかし、そんな毎日にも、やっと終わりがくるのです。
父子家庭で育った娘のエピソード7.やっと終わりがくる
私が中学生になり、毎日の借金取りの電話も人も、なぜかパタンとこなくなりました。
少し不思議でしたが、理由など、どうでも良かったです。
「これで、借金取りの自縛には解放され、平穏に暮らせる」
そう思うと、毎日がキラキラしました。
父子家庭で育った娘のエピソード8.父親が真面目に
しばらくして、母が復縁。
父親も、しばらくしてから彼女ができ、やっと真面目に働くようになりました。
そんな子ども時代を送り、私も結婚し、二人の子どもを持つ母親に。
二人目を産んだあと、母親が頻繁に、家に遊びにくるようになりました。
もともと、1年に1回は会っていた、私と母親。
家にくるようになってからは、服やおもちゃなどを買ってきてくれていました。
身勝手な母親で、あんまり好きではなかった私。
ですが、子どもを産んでる女同士ということもあり、育児の相談や旦那の愚痴も、よく聞いてくれていたのです。
しだいに、母親のイメージもよくなり、関係も良好になります。
父子家庭で育った娘のエピソード9.母は、やはりクズ親
しかしある日、母親がいつも通り遊びにきて、一服したとき、突然こう言ってきたのです。
「今月飼い犬が体調が悪くなり、予定外の出費がでてしまったから、お金を貸して欲しいんだよね~」と。
そう言われて、迷いましたが、「まぁ、子どもにいろいろしてもらってるし」と思い、お金を貸します。
しかし、またその日に、電話がかかってきて……。
「今からまた、おじゃましていい?」
母親がそう言うので、嫌な予感はしましたが、受け入れました。
「お腹が空いた」と言うので食べさせ、一服したあとに、母親は衝撃の一言を言い放ちます。
「ゴメン、借りたお金を増やそうとして負けて0になっちゃった。もう1回貸してくれない?」
「明日、仕事行く電車賃もないの」と。
「私の家もギリギリだから、無理だよ」
そう言っても、母親がこう言って、食い下がります。
「あなたの旦那には、電話して謝るから、お願い」と。
あとから分かったことなのですが、なんと母親は、軽いパチンコ依存性だったのです。
このことを弟に愚痴ると、「俺にも『貸してくれ』って電話きたよ」と、言っていました。
まとめ
シングルファザーになり、クズ親になってしまった父親と、父をクズ親にしたあげく、パチンコ依存性になった母親。
「『子は親を選べない』というのは、こういうことなんだろうな」
そうしみじみ思い、「本気で縁を切ろう」と考えました。