27歳女性。WEBライター。
20代の半ばあたりから、急速に情報を仕入れはじめた美容オタク。
半身浴や岩盤浴やエステ、顔のマッサージなど、美に関することには人一倍情報通。
その知識を活かして、美容サイトのライターとしても活動しています。
見出し
美人だけど不幸すぎる私のエピソード1.無意識に美人と戦ってしまう
私は小さいころから、容姿を褒められ続けてきました。
子どものときも親戚や先生に可愛がられ、中学生のころから彼氏が途切れたことがないまま結婚。
今も周りからは、美男美女夫婦であることをチヤホヤされる私。
一見すると、美人であることで幸福に包まれてきた人生に見えるかもしれません。
ですが私には、この容姿だからこそ、降りかかってきた不幸なできごとが、多々ありますので、そちらをご紹介します。
自分が美人であることで、最も感じてしまうネガティブな想い。
それは、現在も続いている周りとの劣等感です。
「美人なのに劣等感?」と思うかもしれません。
ですが、子どものころから容姿を褒められ続けてきた身としては、容姿に対する中途半端な自信と自尊心ができあがってしまっています。
なので、身近にも美しい容姿の女性がいると、彼女と無意識に戦ってしまうのです。
もちろん、敵意をむき出しにして争うようなことはありません。
それでも、自分がいかに、彼女より優れているかを探してしまいます。
それは教養であったり、姿勢やセンスや交友関係であったりとさまざま。
決して、周りに私がそのような感情を持っていることをバレないようにマウンティングし続けています。
ですが、それを彼女に知ってほしいわけではなく、あくまで自分自身のなかでの戦いの話です。
自分が人と、こんなに小さなことで争っているという器の小さな人間だとは、絶対に知られたくありません。
それに、それによって「余裕がない人だ」と思われるのは、避けなくてはならないのです。
もしも、私が美人に生まれずに、容姿を持てはやされる人生を送ってこなければ……。
こんなドロドロとした、みにくい感情を持たずに済んだかもしれません。
この感情がある限り、私は本当の意味で、幸福な人間にはなれないのだと思っています。
美人だけど不幸すぎる私のエピソード2.老いることが恐ろしくて仕方がない
戦う必要を感じてしまうのは、美人な女性に対してだけではありません。
なにより避けられないもの、自分自身の「劣化」との戦いも、私は辛く感じています。
もちろん、年齢の経過というものは、誰にでも平等に訪れるもの。
ですが、散々美人だと褒められてきた私からすると、「自分が美人でなくなってしまう」ということが、とても恐ろしいことなのです。
「今まで顔を理由に仲よくしてくれていた人たちが、美人でなくなることで離れていってしまうかもしれない」
「私は本当は中身がとてもつまらない人間で、美人でなくなると、誰も相手にしてくれなくなるかもしれない」
そんな、あるかどうかも分からないような悩みを勝手に想像。
鏡を見るたびに、心のなかで染みが広がっていくような不安を感じてしまいます。
それは私の内面を見て、仲よくしてくれている友だちや旦那にも、失礼なことだとは分かっています。
ですが、みんなはいくら私を綺麗だと言ってくれても、私が心のなかで感じている汚い思いを知りません。
「本当の私の気持ちを知られてしまったら」と思うと、なおさらです。
「見た目だけでも、美しくいつづけなくては」と、強迫観念に捕らわれてしまいます。
今現在、毎日顔のマッサージをしていて、ほうれい線や肌のクスミ対策が日課。
なるべくこの容姿が長続きするようにと、今の自分のできる限りの時間を費やして、美の維持を努力しているつもりです。
ですが、心のなかでは「劣化は絶対に避けられない」とは分かっています。
そのジレンマが、また私を苦しめるのです。
はじめて自分の美の劣化を意識しはじめたのは25歳のころ。
思い悩みすぎて、一時期は「若くて美しいうちの自死」すら、頭をよぎったほどです。
現在はそこまでのノイローゼのような感覚はありません。
しかし、胸のなかの重い気持ちは日々強くなっていきます。
「この考え方を変えなければ、老いれば老いるほど、不幸になってしまう」
どこかで理解しているのですが、まだまだ、しがみ付いてしまっている状態。
自分がいつか40歳、50歳と歳を重ねたとき。
「果たして、それを心から受け入れて、本心で笑えているのか」と思うと、とても想像がつきません。
美人だけど不幸すぎる私のエピソード3.異性関係の悩みが尽きない
もしかすると、自慢のように聞こえてしまうかもしれません。
ですが、私はこの容姿が原因で男性にモテるのにはもう疲れました。
今は結婚して旦那と仲よく平和に暮らしていますが、それまでの私の人生は異性関係に悩み続けたものです。
私の知らない場所で勝手に争う男性たち、そして勝手に私に嫉妬する女性たち。
異性と食事に行くだけで、「遊び人」と揶揄され、鬼の首を取ったように、騒ぐ人たちもいます。
こちらがどんなに親切にしても「裏がある」と言われ、告白を断ると「もてあそばれた」と被害者面。
もう、気軽な関係以外の異性関係は散々です。
遊びに行くとしても、どのコミュニティにも属していなくて、共通の知り合いがいないような男性と行くようにしています。
美人に生まれたからこそ、起こってしまった揉めごとたちは、確実に私の心に影を落としました。
その結果、他人をなかなか信頼できない、不幸な考え方の基盤となってしまったのです。
まとめ
私はいまだに、容姿において「幸せでしょう」と言われることがあります。
羨ましがられたり、褒められたりも。
ですが、「美人だからって幸福とは限らない」ということを、声を大にして言いたいのです。
誰の人生にも、幸福と不幸があります。
私にとっての幸福と不幸は、この容姿があるからこそ発生したものなのです。