18歳、女子学生。
小学3年生でバレーボール部に入部し、小6のころ、県で準優勝した経験を持つ。
中学でもバレーを続けるが、中総体で2回戦敗退。
もう一度、小学生のころのように活躍したかったため、高校でバレーをはじめる。
しかし、高総体で初戦敗退した。
趣味は、アニメと漫画。
見出し
女子バレー部で9年間いて辛かったこと1.親同士の人間関係に巻き込まれた
最初は、楽しくやっていたバレー。
しかし、あるとき私の親と友だちの親同士の仲に、亀裂が入りました。
友だちの親の敵意は次第に、私にも向けられるようになったのです。
そのころ小学生だった私ですが、「私は、この人からよく思われていないんだな」と、子どもながらに感じていました。
それが決定的となったのが、試合でのできごと。
私とその友だちの間で、ミスをしたのですが……。
友だちの親が観客席から、私を責めるような暴言を吐いたのです。
あのときのことは、忘れられません……。
女子バレー部で9年間いて辛かったこと2.ボールすらさわれない日々
中学に入って、またバレー部に入り、補欠からのスタートとなりました。
「試合に出られないのは、実力がないからだ」
そう自分に言い聞かせていた私。
小学校ではチームメイトとしてやっていた人が練習するなか、私はずっと球拾いでした。
ボールを使った練習すらさせてもらえないため、実力の差はひらいていくばかりです。
「すみっこで、パスだけでもさせてもらえないか」と、監督に頼むと、「じゃあ、腹筋でもやってて」と言われました。
砂っぽい場所で、レギュラーたちの試合を見ながら、ひとりで腹筋……。
なんかの罰でも受けているようでしたね。
女子バレー部で9年間いて辛かったこと3.要領のいい友だちがいた
「重いボールケースと全員のシューズが入ったカゴを持ちながら階段を降り、倉庫にしまう」
そんな仕事があったのですが、いつも誰もやらなかったので、仕方なく私がやっていました。
誰かに「たまにはやってよ」と、私が勇気を出して言っても、やってくれるのはその日だけ。
結局、私がやることになります。
そんなある日、珍しく監督が練習後に残っていました。
そのとき、いままでさぼっていたチームメイトが、積極的に仕事をしはじめたのです。
私はそのとき、その子が仕事をしている様子をはじめて見ました。
あろうことか、監督はその姿をみて、こう言ったのです。
「おいお前ら、○○がこんなに頑張っているのに、どうして黙ってみているんだ」と。
あまりのショックに、そのとき、なにも言えなかった私。
そのあとは、くやしさのあまり、泣いてしまいました。
女子バレー部で9年間いて辛かったこと4.エースになれなかった
私はアタッカーでした。
「いつか、一番得点を取るエースになってやる」
そう思って、毎週休日はこっそり自主練習。
しかし、セッターはなかなか試合中に、私にトスをあげてくれません。
一試合に1本あがれば、いいほうでした。
わたしはクイックをやるポジションで、トスがあがる前から、いつも助走に入ります。
1本あがるか分からないボールのために、何回もジャンプしなくてはいけません。
次第に相手のブロッカーも、私にはボールが回らないと分かり、私を目で追わなくなります。
その瞬間がくるのが、本当にいやでしたね。
後衛にまわると、わたしはリベロと代わるので、ほとんど試合中はボールを触れません。
コートにいるのに、味方からも敵からも、無視されているようでした。
次第に、試合に勝っても「うれしい」と思えず、それを顔に出してしまうように。
コーチからは「やる気がない」と怒られ、「どうして、練習にやる気がないんだ」と言われました。
「みんなが遊びに行っているときも、体育館で練習をしていたのに」
私は、そう思っていましたね。
ちなみにエースは、私の一番の友だちでした。
私の隣で友だちが称賛されるたび、くやしさをかみしめ、「そうだよねー、すごいよねー」と、無理やり笑うしかなかった私。
その子は「こんな弱小校のエースだなんて、恥ずかしいよー。ねえ?」と、いつも謙遜していました。
「じゃあ、弱小校のエースにすらなれない私はなに?」と、言い返したかった私なのです。
女子バレー部で9年間いて辛かったこと5.筋肉がつく
これはちょっとしたことですが、女子は気にするでしょう。
結論から言うと、すごくつきます。
しっかり食べると、がっしりした体型になってしまうのです。
たくさんジャンプをするからか、ふくらはぎについた筋肉が、ほんとに嫌でしたね。
肩幅も大きくなって、本当に女子なのかどうか、自分でも疑ってしまったほどです。
女子バレー部で9年間いて辛かったこと6.高校生活の大切な時間をつぶしてしまった
「部活をするのは、時間の無駄」と、言いたいのではありません。
しかし私の場合は、「部活をしている時間をほかのことにあてればよかった」と思っています。
なぜなら、私の部活は練習時間が多いうえに、「自主練」という名の強制練習があるせいで、家に帰ってからは、ほぼ寝るだけになるからです。
それなのに超弱小だったため、試合に出ても負け続け、やりがいを感じられませんでした。
しかし、やめるに辞められず、だらだら最後まで続けるハメに。
そんな私には、部活を辞め、自分の好きなバンド活動や趣味、勉強に時間をさいている友だちが、とてもうらやましく感じました。
部活をやっている間、私は辛さのあまり、少しうつっぽくなっていましたね。
心をすり減らしてまで、部活を続けたことに意味があったのでしょうか。
振り返ってみると、ほとんど私のめんどくさい性格が、原因のことが多い気がしますね。
私には、集団生活が向いていなかったのかもしれません。
まとめ
私がバレーをやった9年間で学んだことは、「合わない場所なら、逃げていい」です。
「自分を殺してまで、環境に合わせなくても、いいんじゃないか」と思いますね。
まあ、逃げられないときもありますけど、それでも自分に合った環境を選ぶ権利はあります。
こんな暗い経験談でも、誰かの役に立てれば幸いです。