夫40歳、私43歳。結婚歴18年。
子どもは妊活したが、授からず。
夫は不規則勤務のため、生活はすれ違いの時間が多い。
夫はインドア派、私はアウトドア派で趣味は真逆。
おたがいの実家は近いが、義実家への行き来はほとんど無し。
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旦那が優しくないエピソード1.悪いことは全部私のせい
私は周りと比べると、比較的若いころに結婚。
当時はおたがいに、まだ学生気分も抜けきらないくらいの社会人でした。
若い年下の旦那と結婚したので、はじめのうちは、なんでもやってあげてた私。
そのころから共働きでしたが、家事全般や諸手続きなど、生活で必要なことは忙しくも、すべて私がやりました。
旦那は帰ると、着替えて、ご飯と風呂を終えたら寝るだけ。
私は深夜まで、細々と動いてました。
おたがいの母が専業主婦で、「結婚した女性とは、こういうものなのかな?」という世間知らずでしたから、しんどいながらも、やりくりしていたのです。
勿論、家事1年生のような私が、なんでも上手くできるわけじゃありません。
そのうち失敗するたびに、旦那は私のせいにするようになりました。
保険の手続きに不備があり、電話が旦那のところにかかったときのこと。
「こっちは仕事中で忙しかったのに! なにやってんだ」と怒られたり、「家が片付いていない」、「食事ができるのが遅い」、「風呂が洗ってない」など、なんでもかんでも私のせい。
何年か経って、私が義実家で義母との接点が多くなって、気づいたことがあります。
昔から、義母が旦那の世話をすべてやっていたんです。
だから、結婚して、義母の代わりができたと思われたのでしょう。
それで頭にきて、「私はお義母さんの代わりじゃない!」と言ったら、「お前なんて母親と比べられるほど、なにもできてないじゃないか!」と逆ギレしてきたのです。
そのときは怒りをとおり越して、笑い泣きしてしまいました。
旦那が優しくないエピソード2.子どもが欲しいと言ったのに! 受けた酷い仕打ち
ことのはじまりは、新婚さんとはもう言いにくい時期に差しかかり、「そろそろ、子どもが欲しいね」と話し合ったときのこと。
私は昔から生理が重く、不規則なことが多かったのと、遺伝的に子宮の形が珍しいと言われていたので、はじめから妊娠に対して不安でいっぱいでした。
ですが、「ふたりの子どもが欲しい!」と思い、まずは普通に子づくりに励みましたが、一向にできません。
一年くらい経ち、そろそろ不安も限界だったので、かかりつけの産婦人科で調べてもらうことに。
結果は、「タイミングが悪いだけで、問題ないです」と言われ、まずはひと安心しました。
でも、「もしかして、大きな病院に行ったら検査や違う結果が出るかも……」と思い、少し遠い大学病院まで、足を運んだのです。
いざ診察となり、診察室に入ると、先生のほかに男性2人の人影が見えます。
「???」となりながら、問診が終わり診察台にあがりました。
すると、カーテン越しに私の身体を使って、先生が男性2人になにか説明をしていたんです。
恥ずかしいをとおり越して、混乱し、先生になにを言われたかも覚えていませんでした。
無知だった私が帰り道に気付いたのは、診察ついでに告知もなく、研修医の実験台にされていたんです。
家に帰り、暗く旦那の帰宅を待ち、帰宅した途端、今日あったことをポツリポツリと話しました。
「病院へ行ったこと」、「診察して、体に問題はなかったこと。でもこんな辛いことがあった」と。
そうしたら旦那は開口一番、「そんなこと、俺に聞かされても気分悪くなっただけだわ! わかってただろ? なら言ってくるなよ!」と言われました。
私の想像していた言葉は、労いと優しい言葉。
「辛かったね、一緒に付き添えなくて、ごめんね」、こんなことを言われたかったです。
もちろん、その夜は別々で寝て、私は一晩、泣き腫らしました。
妊活ってふたりの問題なのに、私だけ苦労して責められてと、情けなくて涙が止まりませんでしたね。
そのとき、「旦那は人の(女性の)気持ちが、本当にわからない人なんだ」とわかりました。
だから、「この人の遺伝子は、後世に残すべきでない」と、子どもを諦める理由のひとつになったのです。
旦那が優しくないエピソード3.私が寝込んでいても無視
私が一週間ほど、風邪で体調を崩し、寝込んだときがありました。
ベッドから起きあがるのは、トイレに行くのがやっとで、2階の寝室から1階のキッチンまで行くことも辛く、ほぼ寝たきりの状態。
その初日、仕事から帰宅した旦那が、「お前どうしたのか?」と聞いてきたので、「風邪で寝込んでる」と伝えた私。
すると、旦那がひとごとのように聞いて、「俺にうつすなよ」と言い、すぐ自分の部屋へ入っていったのです。
「お腹空いたな、喉も渇いたな……」と思っていても、一向にのぞきにきてはくれません。
そうしたら、急に寝室へきて、「俺の分の晩飯は、自分でなんとかしたから、安心していいからね」とだけ言い、また部屋に戻ってしまいました。
要するに、「お前のやるべき家のことである、俺の夕飯づくりは俺がやってやったんだからな、感謝しろ」というアピール。
台所へ降りてみると、コンビニ飯が食べっぱなしで、散乱していて、なにかつくってくれたわけではありませんでした。
また、「熱があがってきたので、病院に連れて行って欲しい」と言うと、「次の日、仕事が早いから嫌だ」と言われて、熱が38℃以上あるなか、車を自分で運転して15km以上離れた救急病院に。
点滴と注射を打ってもらい、帰りはなんとかコンビニへ寄ることができたので、数日分の飲み物とゼリー飲料を買い込んで、帰宅したのです。
そこからまた寝たきりで、数日後台所へ降りたときには、洗い物が山のようになっていて、本当に嫌になりました。
優しさをとおり越して、旦那を人としてどうかと思いましたね。
まとめ
妻である私にひどい態度をとり続ける夫と、これ以上一緒に暮らしたいと思わないので、離婚を考えています。
しかし、離婚をしたところで、今のような生活を続けられる保証はどこにもありません。
なので、今は結婚前に取得した資格を生かして、働ける職場を探しています。
職場が決まって、夫と別れられる日が待ち遠しいですね。