35歳女性。会社員。
2児の母として、元気に過ごすのは、学生時代の黒歴史があったからこそ。
そう思って、なんとなく仕事に育児に、一生懸命な毎日を送っています。
好きなのは、コーヒー。
「いつか、カフェを開いてみたいな」という、夢もあります。
人生をめちゃくちゃにされたエピソード1.中学受験へのチャレンジ
私は、幼いころから、勉強が大好き。
もらったお小遣いで、好きな問題集を本屋さんに、買いに行っていたほど。
それが、日課なくらいでしたね。
それに伴って、小学校のころの成績は優秀でした。
「先生や同級生の親からも、一目置かれている」
こんなことを、小学生ながらにして、自覚しているような、ちょっとおませな面もあった私。
そんな私は、幼馴染が二人いて、いつも3人でつるんでいるような仲でした。
その子のお兄ちゃんが、中学受験をして、県内の有名校に進学したのです。
田舎育ちの私にとって、それは衝撃的で……。
「私もそういう学校で勉強してみたい!」と、なぜか闘志を燃やしていたのです。
小学6年になってすぐに、その友人から、「私も中学受験する」と打ち明けられます。
希望の私立の中学のことを、私にいろいろと教えてくれたのです。
それを聞いて、本当に行きたくなってしまった私。
「その中学のセーラー服を着て、私も電車で通う!」と、心のなかで決めていました。
「結構頭いいし、受験も受かるだろう……」
自分でもそう思っていて、妄想が止まらなくなってしまっていた状態です。
家でお母さんに、「○○ちゃんが、私立の中学校受けるんだって! 私も受けてみたい!」と、切り出した私。
ですが、母は私の言うことを「本気だ」と、思っていなかったらしいのです。
完全にスル―されたまま、ときが経ち、受験の時期になったときのこと。
「本当に受けてみたいんだ」と、切り出したときには、「ときすでに遅し」といった状態で……。
願書の申し込みは終わっていました。
小学生だったからか、私も受験に関して、無知です。
ネットも普及していない時代、自分で調べることはできませんでした。
大泣きする私を見て、やっと「本気だった」ことを気づいた母。
担任の先生に相談すると、「もったいなかったね~。○○の学力なら、ちょっとの勉強で受かったはずなのに」と、言われたそうです。
「もう、公立の中学にいくしかない。あこがれたセーラー服は着れない」
「女子校に行きたかったけど、地元の男子もいる、さえない学校……」
私のなかで、中学校は「どうでもいい場所」として、位置づけられたのです。
その悔しさは、大人になった今でも、忘れられません。
「もし、子どもが受験したくなったら……」
そのことばかり考えて、就職してから毎月、40,000円ずつ、「子どものための、教育費」を貯めてきました。
独身時代からです。
いまは2児の母ですが、「子どものサインに気づかなきゃ!」と、親を反面教師にして子育てしています。
人生をめちゃくちゃにされたエピソード2.思春期、中学生の恋
行く気がなかった、公立中学校。
それでも私は、それなりに勉強し、部活動に勤しみ、部長の責任を果たすべく、まじめに生活していました。
勉強と部活、それ以外にも、一丁前に恋だってしていたのです。
恋をしたのは、同じ部活の男の子。
小学校が違うので、中学からの同級生の男の子でした。
元気で明るくて、人気者。
中学時代は、それだけでモテます。
まじめな私にとっては、華やかな子に恋をしたものです。
その子とも、同じ部活でたくさん話をしていました。
それに、1年で同じクラスになったこともあって、なんでも話す仲になっていたのです。
そんな、ある日。美術の時間でのこと。
好きな子を含め、いつもの仲間としゃべりながら、美術の時間制作に勤しんでいるときです。
「ちょっと相談なんだけど?」と、持ちかけられた私。
話を聞くと、驚きの相談内容だったのです。
「好きな子がいる。その子は○○(私)の親友の子」と。
あまりのショックにフリーズしましたが、こういうしかなかったのです。
「応援するよ」と。
内心、「親友が別の子が好きだから、大丈夫」と、心のなかで思っていて……。
それゆえの返事だったのかもしれません。
ほどなくして、「親友に好きな子が告白した」と、風の噂で聞きました。
そう、親友は、私が彼を好きなことを知っていたので、黙っていたのです。
さらには、返事はOKで、「もう付き合っている……」と、本人からあとで聞きました。
こんなことってあるんでしょうか。
その日の帰り道は記憶にないくらいで、帰ってから一人部屋で、声をあげて泣きました。
あまりにも、残酷な思春期の恋。
「私は可愛くないから、付き合えなかった。親友も、もはや親友ではない」
いろんな思いがこみあげ、最終的には、「だから、公立の中学校には、行きたくなかったんだ」と、母までも恨みました。
その後、親友とは疎遠になってしまい……。
朝も帰りも、一緒に登校していたのに、もう別の友だちと、通うようになってしまいました。
なんとなく気まずいまま、中学生活3年間を送ることになった私。
そんな私にとって、その子をあきらめることが、なぜかできなくて、親友と付き合っている彼のことをずっと片思いしていました。
まとめ
私と元親友は、同じ高校に進学して、工業高校に行った彼とは、2年生で別れたそうです。
高校では好きな子もできず、私はずっと地味な女子高生生活を送ります。
結局、自分が次に恋できたのは、大学1年生になってからでしたね。
トラウマがずっとひびいて、人生のほとんど、とくに、思春期時代はいい思い出がありません。
「自分で何とかする方法や大人のアドバイスも聞いていたら、違う人生だったかな」と、今は思います。