幼少期の虐待でPTSDになり、非行に走ってしまったエピソード6編

夜の街

50代の主婦。

3歳のころ、母も父も病気で、妹は施設に、私は父の姉のところへ預けられる。

 

虐待を受けた経験を持つ。

家族で暮らせるようになったが、父のせいでPTSDに。

その後は父と和解し、楽しい日々を送っている。

 

 

PTSDになって非行に走ったエピソード1.幼少期の性的虐待

泣いている少女

 

私の父と母は病気でした。

母は精神病、父は首の腫瘍の手術のため、私が3歳から5歳のころに父と母が入院。

そのため、私は父の姉のところに、妹は施設にと、バラバラにされて預けられてしまいました。

 

父の親戚が苦手だった私。

言葉使いもきついし、私の母を嫌っていました。

 

預けられるのはすごく嫌でしたが、3歳のころだったので、なんの抵抗もなく、お世話になることに。

それから悪夢のようなできごとあるなんて、夢にも思っていませんでした。

 

昼寝の時間になると、当時は誰か分からなかったんですが、男の人が、私だけを呼び出し、ここでは書けないようなことをされました。

私はなにが起こってるのか分からず、3歳ですしね。

嫌がって泣いてると、その男は「泣いたり叫んだりしたら、この家から追い出すぞ!」と言われ、私は声を押し殺して、泣いていました。

 

誰も家にいなくて、その男と2人きりのとき、すごく嫌でしたね。

トイレをするのも、扉を開けたまましなければならなかったのを覚えています。

 

PTSDになって非行に走ったエピソード2.まだまだ続く虐待

泣きわめく少女

 

月に1度だけ、母が会いにきてくれる日があって、電話で知らされました。

父の姉に「あんたの頭のおかしい母親が、明日くるってよ」と聞くたびに嬉しくて、寝れないくらい楽しみにしていたのです。

何時にとは聞かさせれていなかったので、朝から母がくるのを外でずっと待ち続けていました。

 

たった数時間だけかも知れないですが、私の唯一の喜びと幸せ。

母が帰ると、また辛い現実が待っていました。

 

「ご飯は絶対、残してはいけない」

父の姉の子どもと、明らかに食事が違いました。

 

残すと、お風呂場で髪を切られてしまうんです。お尻も叩かれます。

それが怖くて、まずくても、貧相な食事でも、残さず食べるようにしていました。

 

「帰りたい」

何度も歩いて家まで帰ろうとしましたが、電車の乗り方も分からないし、ここがどこなのかも分からない。

 

「それでも家に帰りたい」

「母がこない日でも、母がくるかも知れない」

そう思って、1日中外で待ってたこともありました。

 

PTSDになって非行に走ったエピソード3.父のせいでPTSDに

診断

 

「やっと家に帰ることができて、妹とも再会し、4人で仲よく再び暮らせる」、そう父や母は思っていたでしょう。

でも、私は父が嫌いになっていました。

 

「父があんなところに預けなければ、私はイジメや、性的虐待なんてされなかった」

私は父を無視しはじめたのです。

 

父は職人だったため、短気ですぐ、私に暴力をふるいます。

ちょっとしたことで、反発すると殴ってくるのです。

 

私はいつも「あんたがあんなところへ預けたらから、私の人生が変わったんだ!」とケンカするたびに言いました。

父は「どういう意味だ」と聞いても、私は虐待されていたことを言えません。

 

お風呂に入るたびに、髪の毛を切られたことを思い出し、その際の記憶がフラッシュバック。

震えと涙が止まらなくなってしまうようになりました。

 

中学2年のころにイジメで、自ら命を絶とうとしたことで、精神科に通院したことがあります。

その際主治医に、3歳からのできごとを話して、今でも震えや涙や恐怖が止まらないことを伝えると、PTSDと診断されました。

 

 

PTSDになって非行に走ったエピソード4.父への告白

不満がある女性

 

この件のことは、友だちとか誰にも言いませんでした。

言ってしまうと、事実を認めてしまうのが怖かったのか、あの男に「誰にも言うな」と言われたことが頭に残っていて言わないのか、いまだに分かりません。

 

私は非行に走り、家出も何度もしました。

その都度、父に殴られ、私も父を殴り返すように。

妹がいつも泣いて止めていました。

 

17歳になったころ、いつものように殴り合いのケンカになり、父が私の耳のピアスを引きちぎったんです。

そのとき、流れてくる血を見て、私は泣きながら告白したのです。

「どうして、私があんたを嫌いなのか教えてやるよ! あんたが私が小さいときに親戚に預けてたとこで、虐待を受けてたんだよ!」と。

 

父はいきなり私を殴りました。

そのあと、我にかえったのか「え……。どういうことだ」と聞き返してきた父。

 

私は14年間の沈黙を貫いていた悲劇を父に伝えました。

父は「誰だ!」と聞いてきて、私は「分からない。小さいころ過ぎて誰か分からないけど、ずっと言えなかった」と言いました。

 

私は震えていました。

すると父は土下座をし、「すまなかった。本当にすまなかった」と泣きながら、謝ってきたのです。

 

そう言うと、下へおりていきました。

しばらく部屋で私は泣き崩れていましたが、ふと部屋を出ると、階段には絆創膏と消毒液がおいてあったのです。

 

PTSDになって非行に走ったエピソード5.EMDR療法

治療

 

私も父も、私に酷いことをした男を知るために、父と精神科に行きました。

主治医に勧められたEMDR療法という催眠療法をして、記憶をたどっていく療法なのですが、とても怖かったです。

しかし、あの男を許すわけにはいかなくて、父も勧めてきたので、EMDR療法をしました。

 

テレビでよくみるような語りかけのなかで先生がゆっくり、メトロノームと合わせてゆっくりさかのぼって行きます。

その語りかけのなかで、私に性的虐待をしてた男が誰なのか、はっきりと分かりました。

 

相手は、父の姉の娘の旦那だったのです。

待合室で待っていた父に説明し、すぐ父は姉に連絡を入れましたが、もう離婚をして行方が分からないとのこと。

 

それと、父の姉に私に虐待してきたことをきつく怒り、「縁を切る」と言っていました。

 

PTSDになって非行に走ったエピソード6.空白の14年間を埋めるために

親子三世代

 

主治医の先生に「もう、その辛かった14年間を乗り越えて、今から幸せになるために生きなさい」と言ってきました。

それから、前向きに生きる努力をはじめた私。

 

18歳で子どもを産んで、離婚をした私と子どものために、親のように可愛がってくれようになった父。

暴力も一切、ふるわなくなりました。

 

私と父と母と子どもとで動物園に行ったり、プールへ行ったり、公園に行ったり。

父は空白の14年間をうめるかのように、私にも子どもにも、優しく接してくれましたね。

 

まとめ

たまにケンカもしますが、もう父も75歳です。

私も父への恨みも消えたのかというと嘘になりますが、もう充分なことをしてくれました。

今では父を連れて、銭湯へ行ったり、ご飯一緒に行ったりする仲です。

 

私のPTSDもよくなってきています。

決して消えない過去ですが、これからの自分の人生を父と楽しみたいです。