父親の借金を肩代わりし乗り越えたエピソード5編

通帳を見て喜ぶ男性

23歳男性。大手不動産会社勤務。

大学時代からお金に関しては、シビアで貯金をよくしていた。

 

父は、お金に対してだらしなく、ギャンブルやお酒に依存。

反面教師で育った結果、今に至る。

 

趣味は、貯金とライフプラン設計で、明るく見える将来設計に満足中。

 

 

父親の代わりに借金を返済したエピソード1.母の死から父の借金が発覚

驚きを隠せない男性

 

父の借金が発覚したのは、母の死から1か月ほど経ってからのこと。

姉から一通のメールが届いていて、添付ファイルに画像が添付されており、借用履歴を記載した書類の画像でした。

当時、大学の講義中だった私は、講義が終了してほどなく、姉に電話をかけたのです。

 

姉から聞いたのは、このような内容。

  • 父が2,000,000円の借金をしていること
  • 母の保険金をすべて使い果たしたこと
  • 幸い、銀行から借用しているということ

 

地元が佐賀で、福岡に住んでいた私は、その週の土日に急遽帰省することになりました。

帰省したら、当然父と姉と私で、家族会議が開かれたのです。

 

その会議では、母の死からひさびさに顔を合わせたであろう三人が集っていました。

食事をかねてでしたが、さすがにことが大きすぎて、食事がのどを通らないという状況をはじめて体験したように思えます。

 

詳しい借金の状況を聞いてみると、給料と生活費が比例していないことが理由。

私は、大学生とはいえ、バイトをして家賃などの生活費はすべて自分で支払っており、仕送りも受けていませんでした。

 

姉も当然結婚していますから、父がお金をかけることとなると、自分に対しての生活費しかなかったのです。

言いわけもしすぎていたので、借金が膨れあがったということよりも、保険金の使い道について、話しだした父。

 

「借金があるなら、保険金から借金の支払いをすればよい」と思っていた私は、父から思いもよらない一言を聞いてしまうのです。

父が言うには「保険金もすべて、生活費に回した」ということでした。

 

「どれくらい豪遊したとしても、さすがに保険金がすべて失われることはない」と思います。

そこで、私と姉は父に対してひどく憤りを感じてしまい、その場を去ることになったのです。

 

父親の代わりに借金を返済したエピソード2.大学生で借金2,000,000円を背負う

頭を抱える男性

 

父の借金の話に収束をつけることになり、結論として私が全額背負うことになってしまいました。

というのも、父自身、自分の生活でいっぱいであり、借金を返済できる余裕がないとのことだったのです。

 

肩代わりするといっても、保証人になっていない私は、父の口座に毎月振り込むことを約束したうえで、問題は解決しました。

実質父が返済しているという形になっていましたが、その返済するお金の出どころはすべて私という感じです。

 

事実、借金の額が大きすぎて、返済するにしても私自身の骨身が削られていく一方。

普段の生活のなかで、バイトをしていて生活費を支払っているにも関わらず、そこに借金がプラスされてしまうわけですから、相当な負担でした。

 

月に振り込むのは、40,000円~50,000円の範囲内であり、端数は父が払うという約束だったので、バイト代が少ないと少なくなってしまいます。

しかし、私自身もかなり生活がギリギリだったので、正直支払いたくありませんでした。

 

 

父親の代わりに借金を返済したエピソード3.少しでも遅れると催促の電話

携帯電話を触る男性

 

借金を肩代わりして一番驚いたのは、借金の催促の電話が、私にかかってくるということでした。

父が勝手に手続きを済ませていて、電話の催促の番号を私の携帯番号にしていたのです。

これには、さすがに呆れてしまい、まさに言葉を失ってしまいました。

 

バイトに関しては、15日が締め日で30日に振り込まれており、借金の返済は5日でした。

しかし、バイトの状況によってそれは変動するので、30日以降に振り込まれることもあったのです。

当然、バイト代が振り込まれていないと、支払うことができませんから、大変でした。

 

一日でも遅れてしまうと、銀行から少し威圧的な態度で、返済をするように電話をされてきたのです。

当然、相手は息子が電話を対応しているということは知りませんから、ただ返済を待ってもらうのみでした。

 

父親の代わりに借金を返済したエピソード4.大手に就職し月の返済も楽に

就職が決定した男性

 

借金の肩代わりをしてから、しばらく経ったころには、私は大学を卒業して社会人になることになります。

祖母のコネもあって、大手の不動産会社に勤務することができました。

 

祖母の実家に住んでいることもあって、月に支払うお金といえば、携帯代くらいです。

そのほかのお金は、貯金と返済に回すことになりました。

福利厚生もかなりいい会社だったので、ボーナスに関しても相当支給される会社だったのです。

 

学生時代に比べると、借金の返済が楽になったのは確か。

その時点では、2,000,000円のうちの800,000円は返済していたので、残り1,200,000円は、わずか1年で返済ができたのです。

 

借金地獄からも解放されて、電話で催促されることもありませんでしたし、やっと普通の生活が戻ってきました。

 

父親の代わりに借金を返済したエピソード5.返済後父とは疎遠に

腕を組む男性

 

返済をしてからは、父と連絡を取ったことはほとんどありません。

用事があったとしても、姉にすべて任せており、私は家族会議になって以来、一切面会をしていない状態です。

おそらく、父は借金を返済してくれたことで、喜んでいるでしょうが、私は怒り以上のなにかを感じているので面会もしたくありません。

 

はじめて体験したのは、「怒り過ぎて、言葉も出ない」ということです。

借金を肩代わりしたのは、私の善意だとはいっても、さすがにつらい5年間でした。

大学生活を満喫することなく、返済に追われた大学生活でしたね。

 

まとめ

大学生になって、借金を2,000,000円背負った状況で思ったのは、やればできるということです。

たしかに、借金を背負って、つらい思いをしてきました。

しかし、その経験があるからこそ、お金に対してシビアになりましたし、倹約家になれたと思っています。

 

また、父のことを嫌っているとはいっても、心のどこかでまだ父親と思っているかもしれません。

お金によって関係が崩壊してしまったのは、残念なことです。

とはいえ、今後お金に関しての問題を抱えるようであれば、状況を考えてから判断を下したいと思っています。