中国人ハーフでいじめられ日本の常識・マナーに苦しめられ生きるエピソード6編

つらそうな男性

21歳男性。

今年、学生を卒業したばかりなので、フリーターです。

 

中国人と日本人のハーフで、幼いころ中国で育ち、現在は日本に住んでます。

そして、WebデザイナーやITエンジニアになるために、日々勉強中。

 

 

中国人ハーフが原因で苦しんだエピソード1.幼少期中国で育ったこと

中国

 

産まれは日本ですが、幼いころ、中国にいる親戚(伯母さん)に預けられ、育てられた私。

なので、「産まれは日本、育ちは中国」という複雑な環境でした。

 

幼いころの自分は、物心がついておらず、状況が分かりません。

そのため、なんの疑問を持たずに、伯母さんに育てられました。

なので、幼稚園小学校一年生までは、伯母さんの子だと思っていましたし、純中国人だと思っていたのです。

 

中国人ハーフが原因で苦しんだエピソード2.幼少期中国でのできごと

男の子

 

そんなある日、突如「自分の母親は、伯母さんではなく、別にいる」と聞きます。

「今は外国(日本)にいて、父親と暮らしている。日本で本当の家族と、一緒に暮らしたほうが良い!」

そう言われたのです。

 

私は、そのことを聞いて、はじめは理解ができませんでした。

ですが、当時独身だった伯母さんに、新しい家族ができたことや、本当の母親と会いたい気持ちも、少しながらあった私。

なので、「伯母さんから離れ、日本にいる母親のもとへ行こう」という決断をしました。

 

もちろん、当時の自分は、伯母さんが母親だと思っています。

それに、中国が故郷だと思っていましたので、寂しい気持ちがありました。

親友や友だちとも会えなくなりますし、携帯なんてあまり復旧していませんでしたので、連絡することもできません。

 

旅行とは違い、引っ越しでしたので、いろいろ準備するのに、時間がかかりました。

ましてや、国内ではなく、外国に引っ越すのですから。

 

準備している間に、友だちや親友、先生や親戚に挨拶をしました。

はじめは、悲しくも挨拶できたのですが、挨拶するうちに号泣。

とくに、親友との別れの挨拶のときは、たくさん泣いてしまいました。

 

幼稚園から一緒で、家も近所。

いつも悪戯ばかりして、やんちゃして、一緒に笑って過ごしてきたので、とても悲しかったです。

 

中国人ハーフが原因で苦しんだエピソード3.日本にきて

ランドセル

 

いろんな気持ちを抱えたまま、小学一年生のときに、日本にやってきました。

もちろん、日本語なんてまったく分かりませんし、友だちや知り合いなどもいません。

 

親のことですら、あまり知らない状態です。

ですが、幸い日本と中国では、入学する時期が違いましたので、半年くらいの間は、日本の保育園で過ごせました。

 

通常は幼稚園なのですが、日本にきたばかりで、言葉も分からない状態でしたので、保育園に。

もちろん、はじめのうちは、言葉でのコミュニケーションはできません。

なので、身振り手振りで、コミュニケーションを取ったりしていました。

 

ときには、誤解されることもありましたが、なんとか過ごすことができた私。

そうしているうちに、保育園を卒業するまでには、片言ではありましたが、日本語が多少話せるようになりました。

 

小学校に入学し、これまた幸いなことに、小学一年生では、日本語を一から教えてくれる環境があったのです。

ほかの子とは、多少なりの差はありました。

ですが、一年生後半までには、一般の日本人とあまり変わらずに、話せることができるように。

 

友だちもでき、親のことも知っていくことができ、楽しい日常を過ごしていました。

ですが、小3にあがってから、当時では外国人が珍しかったのか、上級生からイジられたり、からかわれたりしはじめます。

 

「中国人だ~」「中国菌」など、散々言われました。

言っている本人たちは、ただ単にイジってたつもりだと思います。

それに、ほかの人からしたら、「イジりだろ?」や「小学生がすることだから」などと思うでしょう。

 

ですが、当時の自分にとっては、立派な「いじめ」でした。

ただのイジりでしたら、そこまで気にすることはありません。

しかし、やはり「人種」や「種族」でイジられると、辛いものがあります。

 

その一方、自分のことを受け止めてくれて、友だちになってくれた子もたくさんいました。

休みの時間は、一緒に遊んでくれたり、話したり、笑い合ったりしてくれましたね。

 

小学高学年になると、さすがに、中国人のことでイジってくる人はいなくなり、楽しい毎日を過ごしました。

クラブや習いごとをしたりして、たくさんの友だちができたのです。

 

 

中国人ハーフが原因で苦しんだエピソード4.中学校生活

学生時代

 

そして、中学校受験をすることになり、塾に通い、受験勉強をしました。

頑張ったかいもあり、見事に、第一志望の私立中学校に合格。

 

通学初日は、緊張しました。

「また、外国人ってだけで、イジられるんじゃないか」「自分は、うまくやっていけるんだろうか」

 

そう思ってしまい、不安な気持ちがつきません。

今、思い返せば、みんなにわざわざ、外国人ってことを言わなければいいだけことでしたね。

 

私は、自己紹介のとき、自分が外国人であることを言いました。

ですが、予想とは反して、みんなの反応は「すげぇ」だったのです。

 

いろいろと興味を持ってくれて、あれやこれやと、中国にいたときの生活を聞かれました。

やはり、自分の育った故郷に興味持ってくれたりするのが、凄く嬉しかったです。

 

小学校時代とは違う楽しさがありましたので、中学1年、2年と、すぐに時間が過ぎていきました。

 

中国人ハーフが原因で苦しんだエピソード5.文化の違い

礼儀

 

中学3年生、このころになると、日本としての常識やマナーが強く求められるようになりました。

ここで、はじめて日本と、中国の文化の違いを認識した私。

 

中国で育った自分は、どうしても中国文化や中国マナー、そして中国人としての考え方になってしまいます。

なので、日本人が当たり前な文化やマナーや考え方が、どうしても自分には、疑問にしか思えなかったのです。

 

たとえば、敬語。

日本では、目上の人などに敬語を使うのは、当たり前であり、マナーでもあります。

 

ですが、中国では、敬語自体が存在しません。

少なくとも、自分が育った地域では、敬語はありませんでした。

 

もちろん、「親や師、教師やお世話になっている人へは、敬意を示す!」という考え方はあります。

ですが、それは言葉ではなく、態度で表現をするのが、中国の文化です。

 

ほかにも、日本人は他人を尊重して、コミュニケーションを取りますよね。

しかし、中国人は自分を全面的に出して、コミュニケーションを取ります。

 

考え方としては、まず腹を割って、自分のすべてをさらけ出します。

それから、おたがい、ほどよい関係を築きあげるために、それぞれが譲ったり、譲られたり……。

そうやって、中国人はコミュニケーションを取るのです。

 

もちろん、一概にすべての中国人が、そうであるとは言い切れません。

少なくとも、自分の地域での話です。

 

なので、自分にとっては、日本の常識やマナーが、疑問でしかありませんでした。

反発もしましたし、とくに先輩や年上の方々から、目の敵にされていましたね。

 

それが原因になったのかは分かりませんが、今でも年上の方に苦手意識があります。

もちろん、だれが悪いかなんてありませんし、日本では常識のことですから、仕方がないと思います。

それに、ここは日本ですから、「日本の流儀に合わせる」というのが自然でしょう。

 

どこの国でも、外国からやってきた外国人に、自分たちのルールを壊されたくないものです。

頭では理解できますし、理屈も分かります。

 

ですが、やはり自分にとっては、疑問に思ってしまい、仕方ありません。

そして、現在もこの疑問が続いており、自分の最大の悩みとなっています。

 

日本のことは好きですし、日本にいて、親友と呼べる人もできました。

それに、毎日を楽しく過ごすことができています。

ですが、やはりどこかしら、日本の社会に違和感を感じてしまう自分がいるのです。

 

先ほども言いましたが、ここは日本ですので、日本のルールを守らなければなりません。

そして、私は現在でも、この疑問と違和感を抱いたまま、過ごしています。

 

まとめ

もし、意見を言ってもよいのでしたら、自分はこう述べます。

 

「ここは日本。日本ルールが最優先である」

「だが、今後世界は『人種・種族』に関わらず、共存や多交流する機会が多くなると思う」

「そのなかで、みんなが住みやすい国にするには、自国のルールに囚われずに、一人一人の『人種・種族』を尊重すべきだ」と。

 

そして、いつしか、日本がそんな国になってくれることを祈っています。