41歳、男性、在宅ワーカー。
バツイチで、4人の子どもがいます。
念願の通訳案内士の資格を取得するも、人生に希望が持てず、自宅勤務。
ある程度、収入を得られるようになったら、派遣会社に登録を行い、通訳案内士として、働くつもりです。
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離婚したいと言われ、離婚したエピソード1.結婚
結婚前の交際期間は、あまり長くはありませんでした。
当時、私は結婚願望が強く、早く結婚したかったのもありますが、結婚自体は、彼女の妊娠がきっかけです。
結婚後は、レンタルビデオ店でアルバイトをしながら、生活していました。
妻も、結婚前は花屋で働いていて、たまに手伝いに行く程度でしたが、働いてくれていたのです。
長女が誕生し、長男も誕生。
そのころ、私はバセドー病を発症し、投薬がはじまりました。
バセドー病は、遺伝で発症する病気。
新陳代謝を司る甲状腺のホルモンが過剰分泌されることで、急激に痩せるのと、疲れやすくなります。
放置すれば、死ぬわけですが、現代では薬もあり、治療可能です。
離婚したいと言われ、離婚したエピソード2.単身赴任
3人目の子どもを授かったころのこと。
さすがに、アルバイトで生活していくことが厳しくなってきました。
ここで一念発起し、正社員の仕事を探すことに。
そして、ホテルを運営する会社に就職し、単身赴任することになりました。
その後、次女が誕生します。
単身赴任の私にとっては、思っていた以上に、つらかったですね。
なによりも、子どもたちに会えないのが、つらかったのです。
そのつらさに耐えきれず、仕事は長続きしませんでした。
単身赴任するにあたって、妻の実家のマンションの近くに借りていた賃貸の部屋を引き払いました。
その後は、妻の実家で一緒に住むことに。
近いこともあり、妻も頻繁に子どもを連れて帰っていましたので、私自身、同居することに抵抗はありませんでした。
離婚したいと言われ、離婚したエピソード3.マンションを購入
家族と一緒に生活するために、会社を辞めた私でしたが、次に就職した先でも、単身赴任することになりました。
単身赴任中に、妻の実家のマンションの真上の階の部屋が空いたので、購入することに。
マンションの購入のために、一度戻り、ローンを組んで、すぐとんぼ返りしました。
しかし、ここでも単身赴任のつらさに耐えきれず、仕事を辞めてしまったのです。
離婚したいと言われ、離婚したエピソード4.離婚
退社後は、派遣会社で働きました。
そして、長年の夢であった、英語能力を生かせる仕事に就くために、通訳案内士の資格試験の勉強を開始。
しかし、私の不甲斐なさに愛想をつかした妻から、突然「離婚したい」と、離婚を申し込まれたのです。
4人目の子どもである、次男が誕生して、すぐのことでした。
私としては、離婚したくなかったのですが、妻の決心は固く……。
たまたま、私の両親の金婚式の祝いを私の地元の温泉で行うことになりましたが、妻は参加しませんでした。
結局、長男と長女を連れて、私だけ参加することに。
私には姉が4人おり、姉夫婦や甥や姪が集まり、盛大に行われました。
しかし、私の頭のなかには、「離婚」の二文字があり、あまり楽しむことができません。
子どもがホテルの前の海で遊べたことや、水族館へいっしょに行けたことが救いでしたね。
金婚式が終わったあとは、派遣会社で働きながら、妻の気持ちが変わるのを待ちました。
ですが、なんせ妻の実家の部屋の真上に住んでいるわけですから、すぐに実家に帰ってしまいます。
別居のスタートです。
子どもたちは、妻についていってしまいました。
しばらく一緒に住んでいたとはいえ、離婚するかもしれない妻の実家を訪れるのは、さすがに気が引けます。
資格試験の準備を進めながら、予行演習として、いくつか資格試験を受験しました。
派遣会社での仕事にも慣れ、試験が近づいたときに、離婚を了承。
妻の翻意をあきらめたのです。
離婚したいと言われ、離婚したエピソード5.離婚後
離婚後、すぐに資格試験の一次試験があり、合格しました。
二次試験も合格し、晴れて通訳案内士の資格をえたのです。
私としては、長年の夢が叶い、喜ぶべきことなのですが、喜びを分かち合う相手がいません。
というのも、私は妻の実家の上に、住み続けていたからです。
私は、子どもに会えなくなるのが嫌で、家を出ずにいました。
妻としては、離婚を機に私が部屋を出て、子どもたちと一緒に、実家の上の部屋で住むことを考えていたようです。
私の子どもへの思いを読み間違えたということでしょうか。
離婚する夫婦には、さまざまな事情があると思います。
しかし、「どちらかが、一方的に悪いということはあまりない」と、私は思うのです。
暴力やギャンブルや浮気をしなくても、離婚することはあります。
私がそうです。
ただ、金銭的に満足させれなかったのも事実。
悪いことをしたと思います。
しかし、この不景気が続くなかで、私としては一生懸命働いてきました。
妻の実家の近くに住むようにしたのも、同居することにしたのも、実家の上の部屋を購入することに同意したのも、私です。
かたや、結婚生活10年間の間に、私が自分の実家に帰ったのは一度だけ。
なぜ、このような結果になってしまったのか、自分のなかで処理できない私がいます。
まとめ
夫婦とはたがいに助け合う義務があります。
しかし、一方的に譲り続けるのは、好ましくないのかもしれません。
姉が4人いる私は、姉の結婚生活を見ていて、自分の地元を離れ、赴任先についていく姉の姿に、若干不憫さを感じていました。
そこで私は、単身赴任することを選び、妻の実家での同居も了承したのです。
しかし、それにより、私は一方的にすべてを譲ってしまう形に。
その結果、「自分の思い通りになる結婚生活が、当たり前」と、妻に考えさせたのかもしれません。
再婚することがあるかはわかりませんが、もしあれば、おたがいを思い合える夫婦になりたいと思います。