未成年で家出し日本全国を旅したエピソード3編

日本全国

35歳男性。栃木県出身。

栃木県での中学校の教諭を経て、現在は東京都内のIT企業で働いています。

 

高校時代に、頭髪が若禿げ状態であることを両親に相談するも、まったく相手にされないことに絶望した私。

それで、夏休みに家出を決行。

 

アルバイトで稼いだお金と、盗んだ祖父のお金を手に持ち、約2ヶ月間、日本全国を旅した。

結局、お金がなくなったことがきっかけで帰宅。

 

その後は、同級生や周囲の大人たちの、自分に対する接し方が異なるように。

「家出行為はリスクのある行為であるが、他人と距離をおくためには、いい方法であった」と考えている。

 

趣味は、ロードサイクリングと読書と株式投資。

 

 

未成年で家出し日本全国を旅したエピソード1.高校生になってから、一段と若禿げが目立つように

ハゲ

 

私は、栃木県内の人口5万人程度の田舎町に、生まれ育ちました。

私は、中学生のころから、成績は上位者レベルに位置しており、進学した高校は栃木県内では有数の進学校。

 

しかし、そんな私には、中学生のころから悩みを抱えていました。

それは若禿げです。

 

中学生になったころから、髪の毛のつむじ周辺が薄くなりはじめ……。

高校に進学したころには、生え際部分が、後ろまで後退しはじめていたのです。

 

高校に入学すると、それまでの同級生たちとは、離れ離れになった私。

そのため、人間関係をはじめから、構築しなおさなければなりません。

 

高校に進学すると、どうしても都市部出身の同級生が、大きな態度をとりがちになります。

なので、田舎町出身の私は、不利な立場に立たされてしまうのです。

そのような状況のなかで、「おまえ、禿げてるな」と言われるように。

 

高校進学後、3ヶ月が経過して、夏休みに入る前のことでした。

同じクラスの同級生から、こう言われ、バカにされたのです。

「おまえのこと、これから『薄井さん』って呼ぼうかな」と。

 

そこで私は、夏休みに入ってから、両親に髪の毛が薄いことについて相談しました。

「カツラをつくるなどの方法があるはずだ」と、何回か両親に食い下がった私。

 

しかし両親は、こう言って私の主張を一蹴したのです。

「カツラのことなんか考える暇があったら、勉強を頑張りなさい。大学受験なんて、あっという間だよ」と。

さらに、父親からは、「男のくせに、髪の毛が薄いくらいで、クヨクヨするな」と、叱責されてしまいました。

 

私は、絶望的な気持ちに陥りましたね。

「もう高校には行きたくない」

そう考えるように。

 

高校生はお金を持っていません。

ですから、自分の深刻な悩みを、両親によって解決してもらえなければ、もはや解決手段はないのです。

 

未成年で家出し日本全国を旅したエピソード2.家出を決意した

新幹線

 

夏休みの間は、ゴルフ場でキャディのアルバイトを頑張りました。

「できるだけお金を稼ごう」と思ったのです。

 

私がやっていたアルバイトは、当時の栃木の高校生にとっては、金額が高かったと思います。

そして、「2学期がはじまる直前の時期に、家出をしよう」と、決意していました。

 

ついにやってきた、8月最後の週。

もうすぐ、高校の2学期がはじまろうとしていました。

 

私はある日、祖父の居間へ行き、祖父がお金をしまっている手文庫を開けて、500,000円を盗みます。

そして自分がアルバイトで貯めた100,000円とあわせて、600,000円を財布に入れて、私は午後1時ごろ、自転車に乗って家を出たのです。

 

行き先などは、決まっていませんでした。

「とにかく遠くへ行きたい」と思い、電車に乗って、東京へ向かったのです。

 

栃木の実家の最寄駅から、東京の都心部までは、約2時間で辿り着くことができます。

私はとりあえず、原宿に行きました。

「若者の街」と聞いていましたし、憧れがあったからです。

 

その日は、東郷神社の境内で、一夜を過ごしました。

東郷神社の境内で、寝転がり、夜空を眺めながら、「自宅では、両親がそろそろ大騒ぎをしているだろうな」と思いましたね。

そして、「これからどうしようか」と考えましたが、「どうせなら、もっと遠くへ行こう」と思ったのです。

 

翌日になると、山手線に乗って、東京駅へ。

新幹線の切符を買い、とりあえず博多へ行くことにしました。

なぜなら、昔から九州に行きたかったからです。

 

指定席の切符を買い、窓際の席に座ると、60代くらいの初老の男性が隣の席に。

隣の男性は、私の顔を怪訝な様子で見ていました。

 

そして「お若いですね。旅行ですか?」と、尋ねてきたのです。

私は慌てて、「はい。旅行です」と答え、慣れない愛想笑いをしました。

 

それから、ときおり雑談をしてくれた初老の男性。

景色の解説をしてくれました。

たぶん、私のことを「訳ありの少年」だと、思ったのでしょうね。

 

 

未成年で家出し日本全国を旅したエピソード3.家出してから2ヶ月後、お金がなくなり、帰宅した

家

 

家出をしてから、私は当初は新幹線を使っていました。

ですが、すぐにお金が減ってしまうため、次第に各駅停車のローカル線を利用して、日本全国を旅するように。

 

家出をして、5日目に青春18きっぷの存在を知り、これを利用して、九州全土をまわりました。

宿泊する場所は、できるだけ安い金額のホテルを利用したり、1日おきには野宿。

 

いま振り返ると、よく襲われなかったなと思います。

私の服装が薄汚れていましたし、私の目つきが、ぎらついていたため、近寄らなかったのかもしれません。

 

10月に入って青森県に入りましたが、すでに寒さを感じますので、夏服の服装でいた私は、ひどい寒気を感じました。

慌てて衣料品店に入って、長袖のシャツを購入。

 

家出生活は孤独な生活です。

会話をする相手はいませんし、お金はどんどん減っていきます。

「自分は無力な人間なのだな」と感じました。

 

そして、残金が20,000円となった10月下旬の時期に入り、私は栃木の自宅に戻ることにしたのです。

「やり直して頑張ろう」などと、考えたわけではありません。

お金がなくなりそうだから、帰ることにしたのです。

 

平日の21時ごろ、約2ヶ月ぶりに自宅に帰宅。

なんの前触れもなく帰宅しましたので、母親は私の顔を見て、涙を流しました。

「ああ」と、ため息をつく父親もそこに。

 

夕飯を食べたあと、私は自分の部屋に戻りました。

ですが、その際、父親が私の部屋に入ってきて、「これからは、お前の好きなようにしろ」とだけ言って、部屋から出て行ったのです。

 

まとめ

私は、高校に再び通うようになりましたが、誰からもいじめられることはなかったです。

いわば、「敬して遠ざける」ような態度をとられた時期もあります。

 

家出事件は、周囲の人間にインパクトを与えたのでしょう。

もう誰のことも恐れなくなりましたが、他人は私を「人生のレールから落ちかかった人間」という見方をしていました。