34歳男性。web系の自営業。
いじめによる引きこもりを経験したあと、立ち直り、某地方国立大学に入学。
就職後は3年で退職し、なんどかの転職を経験したものの、今は独立して無事に生きていけるくらいの収益をあげて、幸せに過ごしています。
年に一度の旅行が最高の楽しみ。
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いじめから復活したエピソード1.ささいな理由からいじめられはじめた中学生活
他人より勉強ができていた私。
平均的な公立中学に通っていましたが、圧倒的に勉強ができるため中学1年生のときの試験では、常に学年ベスト3の点数をとり、毎回表彰されていました。
一方で、身長が140cmしかなく、体はとても貧弱。
さらに運動神経がとても悪く、どの競技でも下から5番以内に入ってしまうほどだったのです。
だからこそ、勉強ができるということが、私にとっても唯一の心のよりどころといっても良く、あまり勉強をしなくてもいい点数が取れる自分を誇りにおもっていました。
中学1年生のころは勉強ができるゆえに、尊敬の念を抱いていたクラスメートも多かったです。
環境が良かったのか、1年生のころは友人もいて、勉強においては頼りにされており、毎日楽しく過ごしていました。
しかし、中学2年生に進級して、クラスメートが変わってから、状況は一変します。
中学2年生ともなると、体が大きくなる男子も多く、まったく身長が伸びない私より30cm以上大きいクラスメートも出現。
ある日バスケの授業のときに、体が大きく筋肉もあるクラスメートが私とぶつかりました。
貧弱な私は転び、ぶつかった彼は微動だにしません。
とても恥ずかしく、「体育の授業で頑張っても、いいことなどない」と思っていた私は、できるだけボールを持つことを放棄。
相手のボールを取ろうともせずに、端っこで授業が早く終わるように願っていました。
ところが、さきほどぶつかってきた男子がわざわざ、端っこにいる私のほうに向かってドリブルをしてくるのです。
私はみせかけだけのディフェンスをして、簡単に抜かれるようにしていましたが、彼は私を避けることなく、そのままぶつかってきました。
もちろん私は吹き飛びます。
すると彼は「雑魚」と言って、ニヤニヤしているのです。
そのあとから次々と、ほかの男子もわざと私にぶつかっては、皆で笑い声をあげていました。
あまりの恥ずかしさと悔しさに、私はわけがわからなくなってしまい、その場で泣いてしまう始末。
ところが体育教師は「お前軟弱すぎるぞ」などと言い、クラスメートの男子を注意をすることはなかったのです。
いじめから復活したエピソード2.いじめが深刻になっていき徐々に引きこもりに
バスケの授業以来、貧弱な私を吹き飛ばすことが男子のブームに。
それは体育授業だけでは済まずに、教室の休み時間で私が歩いていると、突然ぶつかってきては、吹き飛ぶ私を見てクラスメートは笑っていました。
男子だけではなく、女子にもそのような姿を見られることが恥ずかしく、私はなにも言うことができずに、顔を真っ赤にして下を向くだけ。
ある日は誰かが私を吹き飛ばしては、立ちあがる私に、また誰かがぶつかることを繰り返してきました。
男子だけではなく、「お前もやってみろよ」などと言われた女子が、私に体育着を投げてくるのです。
なんどもぶつかられ、ものを投げられているうちに、私は痛みと恥ずかしさと悔しさから、涙をながしてしまいました。
すると「やっと泣いた! ○○の勝ちー!」と笑いはじめるクラスメート。
彼らは、誰が私を泣かせるか賭けていたようです。
その後もなにも言えずに、なんとか自席に座った私の椅子を蹴り「お前のせいで、ジュースおごらなきゃいけないじゃん」などとしつこく絡まれました。
その日から、毎日一回私を泣かせる遊びがスタート。
ぶつかって吹き飛ばすだけならまだいいほうで、ときには給食にアリを大量に入れられたり、机のなかに水飴のようなものを大量に入れられていることもありました。
クラスメートの遊びは私が泣くまで終わらず、ときには泣いても「今のは泣き方が甘い」などと言って繰り返し、いじめが行われることも。
私は学校に行っても、顔をあげることができずに、一日中下を向いて過ごしていました。
中学2年生も終わりに近づくころ、休み時間に私がトイレに行こうとしたときに、クラスメートが「トイレ禁止ー!」などと笑いながら、教室の入り口をふさぎます。
そのまま私の服をつかみ、トイレに行けないようにされました。
私はなにも言うこともできず、されるがままです。
一度この遊びがはじまれば、許されることなどありません。
なんどかの休み時間に、それを繰り返された私はついに、授業中に漏らしてしまったのです。
それでも反抗もできず、不満も言えない私は、その次の日から学校を休むようになりました。
いじめから復活したエピソード3.引きこもり生活
学校で漏らして以来ほとんど学校に行かなくなった私ですが、中学3年生に進級したときに、「クラスメートが変わって状況が変わるかもしれない」と思っていました。
しかし、私のいじめに無関心だった担任から、送られてきた中学三年生のクラス分けを見て絶望。
クラスの3分の2ほどは変わらず、私をいじめていた男子も同じクラスだったのです。
涙をながすこともなく、ただ体に重たい鉛をくくりつけられたような感覚になりました。
瞬間的に足が重たくなり、そこから一歩も動きたくないほど。
それ以来学校に行くことができず、中学三年生のときは試験のみ別室で受けていました。
親と学校がなんらかの話し合いをしていたようで、なぜか3年生の終わりのときには、卒業証書が送られてきたのです。
家では、自分の部屋にこもり、ゲームをしていました。
親は放任主義で、もともと私に干渉してくることはあまりありません。
そのため、学校に行かなくても「お前の好きにしな」ということしか、言わないのです。
私は人と話す方法がわからなくなってしまい、誰かの顔を見ることも怖く感じるようになっていました。
近所のコンビニに行っても、店員さんの顔を見ることが怖く、常に下を向いてしまう性格に。
「高校はどうするの?」「行かない」
そんな会話だけで、私はそのあとも引きこもり生活を続けました。
いじめから復活したエピソード4.いじめから立ち直る原因になった会話
高校2年生にあたる17歳になった年の夏に、道端で当時のクラスメートに会いました。
彼はいじめの主犯ではなく、仕方なく少しだけいじめていたような立ち位置。
私は彼に気付かずとおり過ぎようとしましたが、彼に呼び止められ、話しかけられました。
私は足がすくみ、いじめられていたことを瞬時に思い出し、吐きそうに。
彼は、あのころのいじめが、まるでなかったことのように私と話します。
「高校どこ行ってるの?」「行ってないの? うらやましいー!」
私はただただ、この時間が早く終わるよう祈って、彼の話を聞いていました。
「○○、全国大会優勝して、この前テレビ出てたよ」バスケの授業で私にぶつかってきた彼の名前です。
そして、そのあとも率先して私をいじめていた男の名前が出てきます。
彼はとある競技で非常に有名でした。
そのあとどんな会話をしたのか、どうやって家に帰ったのかも覚えていません。
私は悔しさで泣いていました。
「なぜ私がこんな状況で、彼だけが成功しているのか。彼のせいでこんな人生になってしまって、このまま私は死に、彼は楽しい毎日を過ごすのか」
その悔しさが私を奮い立たせました。
彼への復讐として、「絶対に自分は幸せにならなければいけない」と思ったのです。
いじめから復活したエピソード5.いじめへの復讐として、幸せになるために
私はどうにか普通の生活を、普通の幸せを手に入れる方法を考えました。
そして、「自分には勉強しかない」と思ったのです。
幸いなことに勉強は並以上にできたので、勉強を頑張って、たくさん稼いで、幸せになろうと思いました。
そして高卒認定試験を受けて、大学に行くことを決意。
それも、普通の大学ではなく、当時のクラスメートの誰よりもいい大学に行くことを決意したのです。
幸いなことに時間はいくらでもありましたので、私は一日中勉強をしました。
彼らへの復讐が私の原動力になっていましたね。
朝起きて寝るまで勉強して、すぐに高卒認定試験は合格し、受験前の夏休みからも、親に頼んで塾に通うようになりました。
人が多くいる教室に入ることは少し怖いと思いましたが、復讐心がそれを上回ったので、なんともありません。
塾では授業を受けるだけで、あまり人と話すこともなかったので、徐々に同世代の顔を見ることにもなれ、勉強に集中していきました。
そして18歳のときに私は、地方国立大学に合格したのです。
いじめから復活したエピソード6.その後
大学に入学するころには私は自信を取り戻し、人と接することもできるようになりました。
幸いなことに大学ではすぐに友人ができて、人生初の彼女ができるなど、充実した生活を送れるようになったのです。
近所で出会った当時のクラスメートに進学先を伝えることで、復讐も終わった気になりました。
間違いなく当時のクラスメートの誰よりもいい大学に入ったし、そのことは彼らのコミュニティで話題になると思ったからです。
大学を卒業後も大手企業に就職し、その後転職などをしながら、今は個人事業主として独立し、幸せな日々を送っています。
まとめ
中学時代にいじめられて、ひきこもりになった私ですが、「幸せになることこそが最高の復讐」と決心してなんとか、立ち直ることができました。
同じような境遇にいる方にも、いじめの影響に負けずに、ぜひ自分なりの幸せに向かって進んで欲しいと思います。