ひどすぎる!親から兄弟で差別を受けたエピソード5編

泣いている男の子

21歳男性。大学生。

障害者の兄をもち、母親から差別を受けて育つ。

 

甘やかされて育ったせいか、現在も幸せそうなニートの兄。

しかし、自分は大学生になり、充実した毎日を送ることで、兄へのコンプレックスから、抜け出せるようになってきた。

 

 

親から兄弟で差別を受けたエピソード1.私の兄

元気な子供

 

私の兄は、障害を持っています。

障害といっても軽いもので、骨の成長が人より少し遅いという病気。

背の高さが成人になっても、150cmほどでした。

 

身体的には、とくになにも影響はなく、勉強も運動も、人並みにできるのです。

しかし、兄と弟の私は、兄の障害のせいか、まったく違う育てられ方をしてきました。

 

親から兄弟で差別を受けたエピソード2.幼少期

車椅子

 

物心ついたころ、出かけるときになると、兄は車いすにのっていました。

家では普通に歩いているし、庭では私と一緒に、かけっこをしていた兄。

 

なので、「どうして、外では車いすなんだろう」と思い、母に聞きました。

すると、母はこう答えたのです。

「お兄ちゃんはかわいそうだから、車イスで楽をしてもいいのよ」と。

 

スーパーでの買い物など、歩くのがあまり好きではなかった私。

なので、車いすの上で、楽しそうにゲームをしていた兄がうらやましかったです。

 

兄は、「背が周りより低い」という以外は、健康優良児でした。

ですが、母が車いすを使い、兄を連れて歩くせいで、近所では、兄の障害が重く受け取られるように。

 

近所の人も親戚も兄を見ると、声をかけて、おこづかいやお菓子をあげていました。

兄は、うれしそうにそれを私に見せてくるのです。

「私は病気でかわいそうだから、みんなに構ってもらえるんだよ」と、言っていましたね。

 

このように言うのは、ひどいことかもしれませんが、私はそのとき、病気を羨ましく思ってしまいました。

幼稚園に行くときも、私はバスに一人で乗らされるのに、兄は母が毎回車で、送り迎え。

 

兄は普通にバスにも乗れるのです(遠足などの行事は、私らと一緒にバスに乗っていました)。

それでも、母は毎日、兄を車に乗せていました。

 

親から兄弟で差別を受けたエピソード3.ランドセル

ランドセル

 

兄が小学校に入学するとき、兄には新しいランドセルが与えられました。

しかし、兄の身長では少しランドセルが不格好で、兄はすぐに新しいリュックを買ってもらい、それで登校するように。

 

やがて、私も小学校に入学する歳になりました。

兄のおさがりで、「ほとんど新品のランドセルがもらえる」と、ワクワクしていたのですが、もらえません。

だからといって、新しく買ってもらえるわけでもなく、従妹が6年間使い古した、ボロボロの赤いランドセルをもらいました。

 

男なので、赤いランドセルが、嫌で仕方なかったです。

「兄は黒いランドセルなのに。学校には赤いランドセルを背負った男なんていないのに」

毎日、悲しくて仕方ありませんでした。

 

私は「お兄ちゃんのやつがいい!」と、母に頼んだのです。

しかし、「お兄ちゃんの物を、あんたが使えるわけないでしょ!!」と、怒られてしまいました。

 

兄のランドセルは、兄のお気に入りの玩具入れに。

兄が私にランドセルをあげるのを嫌がったからだと、あとから聞きました。

 

それからも、なにか行事があるたびに、兄はなにかを買ってもらい、私は従妹のおさがり、あるいは別のもので代用。

たとえば、修学旅行の大きな旅行用バッグを買ってもえらず、真空パックで洋服を小さくし、赤いランドセルで行きました。

 

普通の兄弟が感じる差別は、「弟が兄のおさがりばかりで、なにも買ってもらえない」というものだと思います。

ですが、私の場合は、兄のおさがりすら、使わせてもらえなかったのです。

 

 

親から兄弟で差別を受けたエピソード4.制服

高校生

 

やがて、中学生になりました。

私が中学生になるときには、兄は高校生に。

 

私は、ここではじめて、兄のおさがりをもらうのです。

それが、小さな兄が着ていた、小さな制服でした。

 

どう考えても、サイズの合わない制服です。

そんな制服を着ていた私は、周りに変に思われないよう、いつも、裾や腕をまくって過ごしていました。

 

服装検査のときも、なんとかやり過ごさなければならなかったので、大変でしたね。

はじめてもらった兄のおさがりで、こんなに苦労するとは思いませんでした。

 

私は中学校のなかでも背が高めで、2年生になるころには、兄の制服が着れなくなっていました。

友人のお母さんが、私の家の異常性を理解してくれて、友人の兄の制服をくれたほどです。

 

そのときはじめて、私は他人に、兄に感じていた憎しみや嫉妬心、母親に感じていた寂しさを話しました。

友人のお母さんは、泣きながら話を聞いてくれましたね。

 

思えば、今の私がこうして、まともな人生を送れるようになったのも、友人のお母さんのおかげかもしれません。

なぜなら、あの日以来、苦しかった日々に、「私のことを理解してくれる人がいる」という、一筋の光が見えたからです。

 

親から兄弟で差別を受けたエピソード5.兄と私

腕を組む男性

 

私が高校に入学したころには、兄は受かった大学にも行かず、家でただ過ごしていました。

留年しても、なにもとがめられない兄。

 

私は体調が悪く、「休みたい」と言っても、休ませてもらえたことが、小学生のころからずっとありませんでした。

熱が出て、ふらふらになっても、毎日学校に行っていた私。

 

しかし、兄は大学に、まったく行きませんでした。

そのうち兄は大学を除籍され、ニートに。

 

大学に受かった私は、家族のもとを離れて、一人暮らしをはじめました。

完全に自立することは金銭的に難しく、家賃や学費の面で親に頼ってしまっているのですが、それでも兄と過ごすよりはマシです。

 

兄は今でも、ニートを続けています。

私は、母からあまり大切にされてきませんでした。

しかし、だからこそ、今の私があるんだと思います。

 

「もしかしたら、兄と私は逆の立場だったかもしれない」

そう思うと、恐ろしくてたまりません。

 

差別されて、育てられたことに、感謝の気持ちすら覚えるのです。

 

まとめ

私は、「兄が障害をもっているから、母に甘やかされている」と思うのですが、世のなかには、逆の人も存在していると思います。

どちらにせよ、兄弟間での差別的な育児をすることは、児童虐待にもつながる可能性があるはずです。

 

まわりにそのような子どもがいたら、周りの大人が、助けてあげてほしいと思います。

誰かが気づいてくれるだけで、救われるのです。