実家が貧乏すぎる。貧乏暮らしエピソード4つ

貧乏

20歳女性。大学生。

かつて実家が相当な貧乏であり、幼少期は一般人が驚くような貧乏生活を送っていた。

 

水や電気、ガスがない、その生活はまるでサバイバル。

今でも夢にみるほどにトラウマになっています。

 

 

貧乏暮らしエピソード1.電気が止められる

暗い部屋

 

幼少期、私の家は相当な貧乏だったので、両親はその日に食べるものを買うお金を稼ぐことで精一杯。

なので、しょっちゅう電気代を滞納しては、電気を止められていました。

 

電気屋のおじさんとは、顔見知りだった我が家。

なので、相当滞納しない限りは電気を止めないよう、お願いしていたのですが、それでも止められるほどでした。

 

電気がない生活は非常に苦痛で、耐えがたいものです。

夜は懐中電灯や、ろうそくの明かりでなんとか生活し、すぐに寝るようにしていました。

 

雪国に住んでいたので、そのころの夜の肌寒さと暗闇が今でもトラウマになっています。

電気がないと生活が困難だったので、止められた翌々日には、知り合いに借金をして払っていました。

あのときお金を貸してくれた知り合いには、今も頭があがりません。

 

今ではスマートフォンやパソコンが全国に普及し、電気なしでは生きられない人も多いのではないでしょうか。

しかし、電気があるのは当たり前だと思わずに、大事に使っていってほしいものです。

 

貧乏暮らしエピソード2.ガスが止められる

ガスゴンべ

 

電気が止められた話をしましたが、電気の次はガスです。

ガスは止められたら、そのあとしばらく止められっぱなし。

なので、ガスコンロはカセットボンベを使用して、なんとかしのいでいました。

 

さらに、お風呂ですが、ガスがないのでもちろん入れません。

3日に一回はお湯をカセットボンベで沸かして、それを水でぬるま湯にして、髪の毛を洗っていました。

 

体は、水に濡らしたタオルで拭くだけで、清潔さを保ちます。

しかし、夏はさすがに、汗のにおいが残っていたので、冷水のシャワーを浴びました。

 

先ほども言いましたが、雪国に住んでいたので、夏でも夜は肌寒く、震えながらシャワーを浴びていたのを思い出します。

しかし、それでも両親はシャワーを浴びずに、節水していましたね。

忍耐強いです。

 

10日に一度は贅沢をして、家族で銭湯に行っていました。

しかし今思えば、そんなしばらくぶりにお風呂に入る人が、一緒に湯に浸かっていたなんて、周りの人は不快に思ったかもしれませんね。

とはいえ、そのときはそうするしかなかったのです。

 

電機は停電のとき、水道は断水のときに、それぞれが供給されない生活について、意識したことがある人は多いと思います。

しかし、ガスの供給されない生活について、意識したことがある人はあまりいないのではないでしょうか。

 

この記事を読んだ方は、いかにガスが自分の生活に必要なものか、考えてみるのもいいかもしれません。

 

 

貧乏暮らしエピソード3.水道が止められる

水が出ない蛇口

 

電気、ガスの次は水道です。

水はなくては生きていけないものですよね。「人間の体の七割は、水分でできている」と言われています。

 

なので、水道はどれだけ水道代を滞納したとしても、そうそう止められない仕組みになっているみたいです。

しかし、それでも私の家は、水道を止められていました。

 

電気と同様に、翌々日には借金をして水を出してもらっていましたが、水のない生活は苦痛そのもの。

そもそもガスが止まっていたので、水を沸かしてお湯にすることで、髪の毛や体を綺麗にしていたのですが、それすらもできません。

 

それに、料理のときにも水が使えないわけです。

もちろん、皿も洗えません。

 

では、水がないときはどうしていたのかというと、近所の家にペットボトル一本分ずつ水をもらっていました。

今思うとずうずうしい一家でしたが、生きていくにはそうするしかなかったのです。

 

貧乏暮らしエピソード4.定まらない家

借家

 

みなさんのなかには、アパートやマンションに住んでいる方もいれば、マイホームを建てて、一軒家に住んでいる人もいると思います。

私は、持ち家に住んだことがありません。

 

すべて借家でした。

しかも、いつも家賃が払えず滞納してしまい、大家さんに家を追い出されていましたね。

 

追い出すといっても、「すぐに出てけ」と言うような、鬼のような大家さんいません。

まずは「あと1か月」などと、期間が与えられます。

 

そのときに滞納した家賃が、一年分以上です。

もちろん家賃は払えませんので、払う代わりに家を出ていけということになります。

 

猶予を与えられた一か月の間に、次の家探しがスタート。

もちろん借家です。

 

住んでいた場所が田舎だったので、不動産屋を介して家を貸している人よりは、個人で家を貸している人が多かったですね。

そのおかげで、次の家をしっかり決めることができていました。

 

これが、「もしあの町じゃなかったら」と思うと、確実に不動産屋にブラックリストとして登録されていたでしょう。

その結果、一家全員でホームレスに……。

そう思うと、ゾッとします。

 

みなさんは、現在住んでいる家があると思います。

その家に住めていることは幸福なことです。感謝しましょう。

 

まとめ

私の貧乏エピソードはいかがだったでしょうか。

この記事を読んで、自分の生活を振り返っていただければ幸いです。

 

周りにもこのように苦しんでいる人がいるかもしれないことを、どうか覚えていてください。

そして、もしも苦しんでいる人のことを知ったら、優しく手を差し伸べてほしいです。