33歳男性。妻と一人の子どもと3人暮らし。資格取得を目指し勉強しながら、短期のアルバイトと、クラウドワーカーとして働いている。妻は正社員だが今は育児休暇を取得中で、一緒に子育てを楽しんでいる。今は子どもの成長と妻の笑顔が何よりも心の支えとなっている。
見出し
- 1 うつ病の妻と一緒に乗り越えるためにしたこと1.とにかくそばにいること
- 2 うつ病の妻と一緒に乗り越えるためにしたこと2.仕事中の連絡は出来るだけ時間を守り、写真をつけて送る
- 3 うつ病の妻と一緒に乗り越えるためにしたこと3.子づくりのタイミングを徹底的に話し合う
- 4 うつ病の妻と一緒に乗り越えるためにしたこと4.産後の入院中は必ず毎日病院に顔を出す
- 5 うつ病の妻と一緒に乗り越えるためにしたこと5.育児は「手伝う」ではなく「二人で」を徹底する
- 6 うつ病の妻と一緒に乗り越えるためにしたこと6.妻は立派な母親であると自信を持ってもらう
- 7 うつ病の妻と一緒に乗り越えるためにしたこと7.明るい将来の話をする
- 8 まとめ
うつ病の妻と一緒に乗り越えるためにしたこと1.とにかくそばにいること
まず、妻がうつ病をわずらってしまった原因は、遠い昔の過去にありました。
それは、幼い時に父親を突然の病で亡くしたことです。
妻がまだ12歳のときに、持病持ちであった父親が突然倒れ、その後、すぐ意識不明となり、かえらぬ人となりました。
さらに、父が倒れる直前、母親とちょうどケンカをしてしまったときだったようで、妻の母親も自分のことを強く責めてしまっていたようです。
それを目の当たりにした妻は、幼心に大変大きな傷を負ってしまっていました。
それがなぜ、私と結婚して急にうつ病にまで発展してしまったかというと、第一に「大切な人を失うのが怖い」ということからきたようです。
よく、「親が離婚している人は離婚する」と言われていますよね。
恋愛や結婚においても親から受け継ぐということを、妻は信じています。
「自分もいつか、大切な夫をある日突然失うのではないか」という不安が急に出てきたようです。
それを意識しだしたのであろうころから、私との些細なケンカでも、謝る一方で、言い返したり、自分の言い分を言ってくれなくなりました。
自分も母親と同じように、私とケンカをしてしまうと、そういうときに限って、私になにか不幸が起こるのではないかと感じ、言いたいことが言えなくなってしまったようです。
言いたいことが言えないストレスと、私がいついなくなってしまうか分からないという強迫観念などが積み重なり、ついにはうつ病となってしまいました。
私はその過去のことも、付き合う前から知っていたため、うすうす妻の様子がおかしいことに気づいた時点で、原因も想像がつきました。
そして一緒に心療内科に行った際、すぐにうつ病との診断が出ました。
そこで私が徹底したのは、とにかく妻と一緒にいる時間を大切にしました。
ちょっとしたコンビニに行くのも、どこに行くのも一緒に行動しました。
妻が「こうしている間に夫がどこかで事故にあっているのではないか」などの強迫観念から、少しでも解放されるように。
不思議と、私と一緒にいるときは妻も落ち着いていて、うつ病の症状が出る前の明るい妻に戻ったかのような笑顔を見せてくれました。
うつ病の妻と一緒に乗り越えるためにしたこと2.仕事中の連絡は出来るだけ時間を守り、写真をつけて送る
私が仕事やどうしても一人で出かけないといけないようなときには、できるだけ妻が不安にならないように、前もって連絡する時間を決めてそれを必ず守るように心がけました。
「今日のお昼休みは、11時からだから、11時10分までには連絡するね」という風に約束をしていれば、妻も11時までは気持ちが安定するようです。
そして、私の目線で、お昼ご飯などの写真をつけて送れば、妻は私と一緒にいる気がするようでとても安心して帰りを待ってくれるようになりました。
うつ病の妻と一緒に乗り越えるためにしたこと3.子づくりのタイミングを徹底的に話し合う
結婚して数年たち、妻も私も子どもを意識しはじめる年齢がやってきました。
そのときに考えたのは、やはり妊娠中や産後の妻の精神状態についてです。
いつも通り、妻と一緒に心療内科に行ったときに、先生にそのことを話しました。
すると、やはり妊娠中に飲める抗うつ剤は限定されており、妻がいま飲んでいる薬は妊娠中には少しリスクが高いものとのことでした。
そのため、1年半ほど先に子づくりのタイミングを設定し、それに合わせて妻が少しずつ妊娠中でも飲める薬に変更していくか、妊娠中は薬を中断するか、ゆっくり判断できるようにしました。
結果、妻はもともと信念が強い人間ですので、「私との子どものために頑張る」と言いました。
妊娠中は一切薬の服用をせず、先生のカウンセリングのみですごすことができました。
うつ病の妻と一緒に乗り越えるためにしたこと4.産後の入院中は必ず毎日病院に顔を出す
無事、妊娠期間を終え、出産が終えたあと、1週間の入院生活がありました。
妻は人生ではじめての入院ですし、はじめての子育て、授乳もなかなかうまくいかないし、体もあちこち痛いと嘆いていました。
うつ状態を引き起こす要素はたくさんあると私は判断しました。
たった1週間と思われるかもしれませんが、病院まで1時間ほどかけて毎日お見舞いに行きました。
家族3人で面会時間が終わるまでずっと過ごしました。
妻は、「こんなに毎日、長時間旦那さんが来てくれる人なんて、はじめて見たって看護師さんに言われちゃった」と言っていましたが、その顔はとてもうれしそうでした。
妊娠中から産後はホルモンバランスが崩れ、精神的にも不安定になりやすいと聞いていましたから、早めに行動できてよかったと思っています。
うつ病の妻と一緒に乗り越えるためにしたこと5.育児は「手伝う」ではなく「二人で」を徹底する
妻が無事、予定通り退院できたあとは、子どもとの3人暮らしがはじまります。
当然、1週間で身体が回復しきるわけではないので、できるだけ家事は私が担当しました。
育児についても「手伝うよ」という言葉ではなく、「僕にもさせて」という言葉を選ぶようにしました。
「手伝うよ」では、なんだか「妻がすることが当たり前で、それを私が手伝っている」というニュアンスに聞こえるような気がしたからです。
二人で協力し合うというスタンスをとったことで、妻は「夫婦の絆が強くなったような気がする、頑張って産んでよかった」と言ってくれました。
うつ病の妻と一緒に乗り越えるためにしたこと6.妻は立派な母親であると自信を持ってもらう
産後、1か月ほどたったとき、心配していたことが的中しました。
妻の疲れがピークに達していたのだと思いますが、毎日理由もなく泣き続けているのです。
幼い赤ちゃんを抱いてあやしながら、涙だけ出ているのです。
私は、妻の限界を察知しました。
ここまで授乳のためにと出産後も抗うつ剤を飲まずに頑張ってきた妻でした。
でも、産後うつという病気もあるように、ただでさえ不安定になりがちなこの時期に、妻は今まで十分頑張ってくれた!
という感謝の気持ちしかありませんでした。
そこで、一緒に心療内科に行き、再度抗うつ剤の使用をはじめました。
先生からも、「毎日泣いているお母さんを見ながら、母乳で育つよりも、毎日笑っているお母さんを見ながらミルクで育つほうが子どもにとってもいいはずだ」と励ましの言葉をもらいました。
薬をはじめてから授乳をしてあげることができなくなり、完全にミルクでの育児となってしまいました。
「本当は、この子にとっては母乳が一番なはずなのに」としばらくは落ち込んでいました。
そこで私は、子どもが妻に笑いかけるたびに、「お母さんのこと、大好きだね」、「あんなに長い間、お腹の中で守ってくれたもんね」など。
「授乳をすることだけが母親としての仕事ではない、妻は立派に子育てしてくれている、この子は幸せものだ」ということを日々伝え続けました。
その結果、妻は今、育児を楽しそうにしてくれています。
誰かから「母乳で育てているの?」などと聞かれても、自信をもって「ミルクですよ。でも元気に育ってくれたらそれでいいんです」と答えられるようになりました。
うつ病の妻と一緒に乗り越えるためにしたこと7.明るい将来の話をする
3000グラムほどで生まれた子どもも、今では倍近くなりました。
おもちゃで遊んだり、お座りができるようになったりと急成長を遂げています。
できることが日に日に増えていく子どもを見ながら、妻にはできるだけ、「この子が大きくなったら、こういうところに連れて行ってあげよう」や「この子は将来なにになるかな?」などと、妻が将来を楽しみにできるよう、話しかけるようにしました。
今でも時折疲れがたまると、落ち込んでしまうときもあります。
しかし、妊娠前に飲んでいた薬よりも低用量の抗うつ剤で日々をすごすことができており、子どもと3人で大変幸せな毎日を送っています。
まとめ
この体験談は私の目線で書いていますが、ただでさえ大変な妊婦生活を一番頑張ったのは妻だと思います。
でも妻はいつも、妊娠生活を振り返りながら私に感謝の言葉をくれます。
このようにお互いがお互いを思い、感謝しながら生活してきたことが、うつ病を患う妻との生活を乗り越えられた一番の要因だと思っています。