肝が座ってる!私の肝っ玉母ちゃんのエピソード3つ

母親

33歳女性。主婦。

父親が転職で失敗したため、中学・高校時代は、貧しい生活を送っていました。

しかし、肝の据わった母親のおかげで、無事に学校を卒業する。

 

今は結婚し、夫と仲よく、普通程度の生活を送れています。

趣味は、夫と一緒に食べ歩きすること。

 

 

私の肝っ玉母ちゃんのエピソード1.父が勝手に転職しても、動じない

勉強

 

我が家の父親は、家族にまったく相談もなく、転職しました。

それも、今までしていた工場勤務とは、まったく畑違いの営業職です。

 

まったくの未経験の営業職で、内定はもらったものの、本当にできるかも分からない仕事に就きました。

それを父親から聞いたときに、中学生だった私はビックリしましたね。

 

「今から高校受験を控えているのに、仕事を勝手に辞めて、転職するなんて……」

そう思い、不安になりました。

 

もう、自分の家が経済的に、あまり豊かでないことは分かる年齢です。

なので、「父親の転職で、これからの生活が、これ以上貧しくなったら、嫌だな」と、不安でした。

 

不安な私とは違い、母親は平然とした顔で一言、こう言っただけ。

「わかった」と。

 

それからしばらくして、母親は介護の仕事をするために、ホームヘルパーの資格を取るための学校に、通いはじめました。

そして、私にこう言ってきたのです。

「お父さん、多分営業の仕事できないと思うから、私がフルタイムで働くことにした。家事の手伝いよろしくね」と。

 

それまで、仕事といっても、週に何回かパート勤務ぐらいしか、してこなかった母親。

そのため、「本当にそんなことができるのか」と、私は心配になりましたが、母親のパワーは凄かったです。

 

パートをして、家事をしながら、資格の学校にも通い続けました。

そして、ほんの数ヶ月で、介護職に使えるホームヘルパー2級の資格を取得。

 

当時も、介護の仕事は、人手不足です。

なので、資格を取った学校の紹介を受けて、あっという間に、介護の仕事の正社員になってしました。

それからの母親は、はじめてする介護の仕事を、昼勤も夜勤も頑張って、我が家の生活を支えてくれたのです。

 

母親の予想通り、父親の営業の仕事は、上手くいかず……。

母親が正社員になって、しばらくしたころには、父はまた無職になっていました。

母親は、また父親が無職になったときも、何事もなかったようにしていましたね。

 

なにも言わない代わりに、職場で仕事を休んだ人がいたら、率先して仕事に行きます。

本当は、母親の仕事が休みの日なのに、仕事を入れていた母親。

仕事の量を増やしてでも、私を高校に行かせてくれたのです。

 

母親は、無職になった父のことも見捨てずに、文句も言わず、懸命に働いて、家族を支えていました。

 

私の肝っ玉母ちゃんのエピソード2.自分たちで頑張った引越し

引っ越し

 

高校生のときに、引越しをすることがありました。

ですが、我が家は、引越しの費用も満足に出せる状態ではありません。

そのため、農家をしている知人に頭を下げて、軽トラを借り、自分たちで引越しをすることになりました。

 

そんなときに、我が家の唯一の男手である父親が、洗濯機を持ちあげたときに、ギックリ腰を起こしてしまったのです。

今まで、腰痛なんてしたことなかったのに、急に重たいものを持ったのが、原因だったようで……。

 

「痛い、痛い」と言い、立てなくなった父親をサッとおんぶして、父を軽トラに乗せ、病院に行った母親。

検査の結果、父親はしばらく、安静にしていなくてはいけなくなりました。

 

まだ、引越しの荷物も、ほとんど運び出せていない状態。

仕方がないこととはいえ、本当に仕方のない父親でした。

 

そんなときも、母親は文句一つ言いません。

先に、新居に布団と父親を運び込み、父親には、「新居で寝て待つように」と言いました。

 

結局、女二人での引越し作業をすることになりましたが、まだ洗濯機や冷蔵庫などの、大型家電も運び出せていません。

しかも、手伝ってくれるような人もいなかった私たち。

なので、「便利屋さんでも呼ぼう」と、母親に提案しましたが、「お金がない」と言われて、却下されました。

 

「この大荷物を女二人で持てるのかな」

私が不安になっていたら、母親がなにか思いついた様子で、押入れから毛布を持ってきます。

 

「毛布なんて、一体、なにに使うのだろう」と思っていたら、それで洗濯機をくるりと包みはじめたのです。

そして、毛布を引っ張ると、上手い具合に、重たい洗濯機もズルスルと、引きずることができました。

 

幸い、住んでいる家も、引越す家も1階。

そのため、トラックに積むとき以外は、ズルズルと引きずって、重たい荷物も持ち運ぶことができたのです。

 

引きずっても、柔らかい毛布に包んであるので、家の床にも荷物にも傷が付かず、重たい荷物を運ぶことができました。

「絶対、女手だけで引越しは無理だ」と思っていたのに、母親の機転で、なんとか女二人でやりきることができたのです。

 

 

私の肝っ玉母ちゃんのエピソード3.父親の借金

母親

 

父親が仕事を転職して失敗したために、再就職のため、しばらくハローワークに通っていた時期がありました。

毎日、決った時間に出かけていく父親を見て、こう思っていた私。

「今度こそ、キチンと就職先を見つけるために、頑張ってくれてるんだろうな……」と。

 

そんな父の様子を見て、喜んでいたのも、つかの間で……。

親戚から「父親に貸したお金が返ってこなくて、困っている」と、電話がかかってきました。

 

母親も、その電話をしている最中は驚いた様子でしたが、電話が終わると、普段通りの母親に。

父親の帰宅後に、借金のことを問いただすと……。

 

あきれたことに、父親の毎日通っていた場所はハローワークではなく、パチンコ屋さんだったのです。

パチンコ屋さんで、失業手当のお金を使い切ってしまったのでした。

 

それを母親に、正直に言えばいいものの……。

父親はそのことを言い出せずに、生活費として家に入れていたお金は、実は親戚から借りていたお金だったのです。

 

借金は500,000円ほどでしたが、その程度のお金を急に用意できる余裕は、我が家にはありません。

そのため、母親は父親を連れて、親戚の家に頭を下げにいきました。

 

結局、「何ヶ月も分割にして、お金を返すから」ということで、許してもらえることに。

ですが、私は、父親と父親を責めない母親に、不満を持っていました。

 

なので、母親に「なんで父親を責めないのか?」と、問いただしたことがあったのです。

すると、母親はこう言いました。

「消費者金融で借りて、利息で大変なことになった訳でもないし、父親はキチンと頭を下げに行ったから、もう許す」と。

 

そして、毅然とした態度で「父親を借金で責めたら、承知しないから」とも、言われたのです。

 

まとめ

母親は、何事にも動じない、本当に肝っ玉の据わった人でした。

なにがあっても、「なんとかなる」ではなくて、「自分でなんとかする」、そんな人でしたね。

 

父親も今では、普通に年金をもらいながら、アルバイトを真面目にしています。

「肝が据わった母親がいたから、父親は失敗しても、立ち直ることができた」

そう言っても、間違いないでしょう。