33歳、専業主婦です。
「アンタは大人になったら、スチュワーデスになる」
幼いころより、母親から予言とも、刷り込みともとれる台詞を繰り返し聞かされ続け、早々に英語学習がスタート。
結果、大学卒業後、本当にCAとして、航空会社に就職しました。
結婚を機に退職し、夫のMBA留学に付き添うため、現在、海外移住の準備中です。
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「母は強し」を実感したエピソード1.妊娠中にタバコを吸っていた
母の肝っ玉ぶりは、どうやら私が産まれる前から、存在していたようです。
私を妊娠して、8ヶ月くらいのころ、母は商店街で、突然、見知らぬおじさんに怒鳴りつけられたそう。
「おい、そんな大きなお腹で、なにをしとんねん!!」
それもそのはず、なんと母は、あろうことか、咥えタバコで、ふらふらと自転車に乗っていたというのです。
普通、妊婦さんというのは、胎児に悪影響を与えないよう、いろいろなことにとても気をつかうものですよね。
もちろん、喫煙や自転車移動など、言語道断。
普通は、転ばないようペタンコ靴を履き、お薬が飲めないから、風邪などひかないように、マスクをしたり。
カフェインを避けるために、お茶は麦茶を飲んだりなど、健康に気を付けます。
しかし、私の母は、普通にコーヒーも飲んでいたそうで……。
大らかというか、肝が据わっているというか、のんきにもほどがあります。
その話を聞いて、驚いた私が、母にこう尋ねたのです。
「そんなことして、もし私に、なにかあったらどうするつもりだったの!?」と。
すると、母は笑いながら、美味しそうにタバコをふかし、こう言うのです。
「まぁ、五体満足で産まれてきてんから、結果オーライやん」と。
私はたまたま、健康に産まれてきましたが、現在ご妊娠中の方は、決して真似しないでくださいね。
「母は強し」を実感したエピソード2.溺れた私を救ってくれた
これは私が小学生のころ、夏休みに家族でプールへ行ったときの話です。
ホテルのプールで泳ぐ私を写真に収めようと、プールサイドから、カメラを構えて手を振る父。
私はそれに応えようと、プールの真ん中へ行きます。
すると、とんでもないことが起きてしまいました。
そのプール、端のほうはとても浅く、小学生でも余裕で足がつくのですが、中心のほうへ行くにつれて、急激に深くなっていたのです。
そんなことを知らない私が、真ん中あたりで、立とうとすると……。
「足がつかない!」
それなのに、当時の私はどういうわけか、謎のサービス精神を発揮し、溺れながら笑顔でピース。
父はそんな私を見て、「ふざけて、溺れたふりをしている」と思い込み、そのまま撮影を続けました。
「沈んでは、笑顔で浮かびあがってピース」、「沈んでは、笑顔で浮かびあがってピース」を繰り返す私。
そのたびに、だんだん顔が引きつり、ゴボゴボと音を立てはじめます。
異変に気付いたのは、少し離れたカフェのテラスで、タバコを吸っていた母でした。
母は娘の危険を察知すると、すぐに駆け出し、助走をつけたまま、私服の状態でプールへダイブ。
そして、私を抱きあげ、救ってくれたのです。
まさに、母は強し。
その後、私も父も、こってり怒られたのは、言うまでもありません。
「母は強し」を実感したエピソード3.イタリアでスリを退治
私が社会人になって数年経ち、生活が落ち着いて、貯金も少しできてきたころの話です。
母と2人で、イタリア旅行をすることになりました。
日本では無敵な我が母も、海外は不慣れで、外国語もまったく話せません。
「ここは、私がしっかりしなきゃ」とばかりに、母に口酸っぱく注意していた私。
「ヨーロッパはスリが多いから、バッグのジップを閉じて、体の前で持つようにして。とくに電車なんかでは気を付けてね」と。
いざローマで地下鉄に乗り込むと、母は真剣な面持ちで、言われた通りにバッグを抱きかかえました。
地下鉄は混雑しており、ほぼ満員に。
私も自分のバッグを守りながら、次の目的地への行き方のメモを見て、おさらいしていたのです。
すると次の瞬間、「こらっ!!」とドスのきいた怒声が、車内に響き渡りました。
声のほうを見ると、母が鬼の形相で隣に立っている、ジプシー風の少女を睨みつけているではありませんか。
「どうしたの?」と私が聞くと、「この子、私のカバンに手を入れようとしてきたんや」と言います。
少女はうろたえるように目線をそらし、次の駅で、そそくさと降りていきました。
「イタリア語も英語も話せない母が、まさか日本語でスリを撃退するとは……」
「やはり、この人には頭があがらないな」
「母は強し」と、思わされたできごとでしたね。
「母は強し」を実感したエピソード4.愛猫の死
最後に、ちょっと不思議で、思い出すと「ウルっ」ときてしまうエピソード。
我が家は全員動物が大好きで、昔から家には常にペットがおり、ピーク時は猫を4匹飼っていました。
「猫は、自分の死期を悟って、死の直前に姿をくらませる」
などと言われるように、死ぬ前に失踪するのは、よくある話です。
実際、我が家で飼ってきた歴代の猫たちのなかに、出て行ったきり、帰ってこなくなった子も。
また、家の非常に目立たない場所に隠れて、ひっそり死んでいたりした例も少なからずあります。
しかし、マメという白猫だけは違ったのです。
マメは18年前、近所の子どもが、「猫を拾ったから、飼ってほしい」と持ってきた猫でした。
そのころすでに、家には猫が3匹もいて、手一杯。
ですが、その子の家族が猫アレルギーで飼えないとのことだったので、我が家で引き取ることにしたのです。
最初にやってきたとき、マメはとても猫には見えないほど、毛も生えていなければ、目も開いていません。
まさに産まれたてで、しかも、瀕死の状態でした。
本来なら、母猫が母乳をやるのはもちろんのこと、舐めてやって目を開けさせたり、排泄を促すのですが……。
その母猫から引き離されれば、子猫は当然、簡単に死んでしまいます。
母はやわらかい綿棒をぬるま湯で湿らせ、母猫の舌に見立てて、優しく撫でてあげました。
また、目を開けさせたり、おしっこを出させたりなど、とにかく、その猫に全力を尽くしたのです。
元気になってくると、子猫用のミルクを飲ませるときなどは、バトルさながらで……。
嫌がるマメに引っかかれた母の手は、傷だらけの血まみれでしたね。
そうした母の努力の甲斐あって、マメはすくすく育ち、次第にふてぶてしい、デブ猫へと成長。
しかし、そんなマメも18歳、人間でいうと88歳くらいになったころ、徐々に食欲を失い、弱りはじめました。
すでに結婚し家を出ていて、痩せ細っていくマメの様子を、母からメールで聞いていた私。
「本当はあんまりよくないねんけど、食べられるものを食べてくれればいいから」
母は、マメが唯一口にできたマグロの刺身を買ってきて、小さくほぐし、少しずつ食べさせていました。
ある夜、マメは水すら口にしようとせず、苦しそうに息をしていて、「もうここまでか……」と、母は思ったそうです。
動物病院に連れて行くこともできます。
ですが、老衰でありどこが悪いわけでもなく、できることといえば、栄養点滴で延命するくらい。
「それを繰り返したところで、自力で水も飲めないほど弱った老猫を、大嫌いな病院に連れて行き、無理やり生きながらえさせるのは、飼い主のエゴでは?」
母はそのように思い、「お別れをする腹をくくった」と言います。
それを悟ったのか、翌朝、待っていたかのように、母のもとへやってきて、弱々しく「ニャア」と鳴くマメ。
その後、母の腕のなかで、眠るように静かに息を引き取ったのです。
母は、こう言っていました。
「もちろん悲しいけれど、こんなに長生きしてくれて、どこへも姿をくらまさず、目の前で逝って、安心させてくれたから良かった」と。
母に目を開けてもらったから、最後に目を閉じる瞬間まで、ちゃんと母のそばにいることで、恩返しをしたのかもしれません。
母の根気強さや愛情が、マメを孝行猫にしたのでしょうね。
やはり母は強いです。
まとめ
数えればきりがない、「母は強し」エピソード。
皆さんの身近にも、あるのではないでしょうか。
「細かいことは気にしないが、優しく強く、いざというときには、とんでもない馬力を発揮する」
いつの時代のお母さんも、そんな強い存在なのかもしれませんね。