子どもが小さかったときは、どこへ行っても、周りの人みんなが幸せそうに見えて、自分だけが不幸に思えていました。
「子どもの前では、いつも笑顔でいなきゃ」
そう思っていたので、隠れて泣いていた日もあります。
そんなころが、今では懐かしく思えるようになった、42歳の主婦です。
みんなが幸せそうで、辛かったエピソード1.公園でのできごと
子どもが、小さいころの話です。
主人は仕事が忙しくて、土日もおろか、月に2回休みがあればいいほうでした。
忙しい時期は、月に1回も休みがないこともありましたね。
そのころは、子どももまだ小さくて、いつも私が子どもたちを公園や遊びに連れて行っていました。
結婚前、主人の仕事が忙しいことは分かっていましたが、正直、ここまで忙しいとは思っていなかった私。
主人が仕事から帰ってくると、玄関まで迎えに行き、嬉しくて、すぐに抱きつく子ども。
主人がお風呂からあがってくると、子どもが待ち構えたように、すぐに主人のところへ行きます。
そして、抱っこしてもらったり、飛行機みたいに、ブンブン回してもらったりなど……。
主人に遊んでもらい、すごく嬉しそうでしたね。
その姿を見ていて、「やはり、お父さんが恋しいのだな」と思うと、何だか泣けてきました。
私はこのころ、子ども2人を家でみていたのですが、毎日がとても大変で……。
下の子が生まれ、夜中に起きたりして、睡眠不足なうえに、うえの子は動きたい年ごろ。
なので、「できるだけ、公園に連れて行ってあげよう」と、よく出かけていました。
平日の公園はそうでもないのですが、土日の公園は、家族連れがとても多いです。
とくにお父さんと子どもが、遊具に一緒に乗って遊んだり、三輪車や自転車を持ってきて、押してもらったりしています。
そんな幸せそうな光景が、たくさん広がっていたのです。
公園にきている全員が、お母さんとお父さんの二人がそろった状態で、きていたわけではありません。
しかし、その当時の私には、お父さんと子どもが遊ぶ姿を幸せそうに見ているお母さんの光景が、目に焼き付いて、たまりませんでした。
子どもが、お父さんを「恋しい」と思うように、私も忙しい子育てに追われ、主人を求めていたのかもしれません。
「どうしていつも家には、私と子どもだけなんだろう。月に1~2回でいいから、家族で公園にきてみたい」
公園にきている家族を見て、そんなふうに、すごく思っていました。
そのときの私は、どこへ行くのも、いつも私と子どもだけ。
まるで、母子家庭状態のような感じです。
なので、公園にいる人みんなが、幸せそうで……。
自分だけが不幸に思えて、自然と涙が流れていました。
そんな私は、無理と分かっていても、家に帰ると、主人にあるお願いをするのです。
「月に1度でいいから、一緒に公園に行って」と。
主人は、「分かった」とは言ってくれましたが、なかなか休みがとれず、実現できません。
公園に行くと、子どももよく、ほかのお父さんがブランコを押したり、一緒に滑り台を滑る姿を羨ましそうに見ていました。
子どもは私には、何も言いません。
ですが、きっと「お父さんと遊べて羨ましいなぁ」と、思っていたのだと思います。
私に何も言ってこない子どもを見ていると、可哀想で、また涙がこぼれてしまいましたね。
みんなが幸せそうで、辛かったエピソード2.水遊び場でのできごと
夏の暑い時期だったので、近くの水遊び場に行きました。
そこの遊び場は、浅いところもあるので、小さな子も遊べる人気スポットです。
うちの子どもも、そこがお気に入りで、よく遊びに行っていました。
しかし、公園と同じように、やはりその水遊び場も、家族連れが多くて、お父さんと子どもが、よく一緒に遊んでいます。
私はあえて、その幸せそうな姿を見ないようにするため、視界をさえぎるのです。
帽子を目深にかぶり、サングラスをかけて、日傘をさして、現実から目を背ける一心。
水遊び場には、水鉄砲や子ども用のじょうろ、浮き輪などの水遊びグッズを持って、遊びにきている人を多く目にします。
その日、子どもも水鉄砲を持って遊びに行っていましたが、そこにカッコいい水鉄砲を持っている子がいて……。
気がつくと、いつの間にか、その子のところまで、駆け寄っていたのです。
子どもが、「そのカッコいい水鉄砲を貸して」と言ったようで、貸してもらっていました。
すると、その水鉄砲を貸してくれた子が、別の水鉄砲で一緒にきていたお父さんを追いかけ、水をかけだしたのです。
それを見ていた、うちの子も、そのお父さんに水をかけはじめました。
私は、「すぐにやめさせよう」と思い、自分の子に近づき、やめるように言うと、そのお父さんがこう言います。
「大丈夫ですよ。1人も2人も、一緒ですから」と。
そのお父さんはそう言って、うちの子も一緒に遊ばせてくれたのです。
追いかけごっこがはじまり、子どもたちが、お父さんめがけて、水をかけようと、すごい勢いで走っていました。
そのお父さんは、わざと水をかけられて、「もうダメだぁ」というポーズをとったり……。
そうかと思えば、子どもに水鉄砲で仕返ししたりと、子どもを遊ばせるのがとても上手なお父さんでしたね。
子どももとても楽しそうに笑って大はしゃぎして、その遊んでくれているお父さんにじゃれていました。
その水遊び場で、1時間30分ほど遊んでもらって、水鉄砲を貸してくれたお友だちと、お父さんは帰ることに。
子どもは、あまりにも楽しかったのか、帰り際、そのお父さんに抱きついていました。
私も、久しぶりに子どもの満足した笑顔を見れて、そのお父さんに、心からお礼を言います。
「本当は、うちの子もこうやって、お父さんと思いっきり、遊びたいのだろうなぁ」
そう思うと、また涙が流れてきそうでしたね。
帰りの車のなかで、子どもは遊び疲れたのか、ぐっすり眠っていました。
その姿を鏡越しにみていたら、また涙があふれて、止まらなくなってしまった私。
「自分が頑張って、子どもをみなくてはいけない」
今思うと、このときの私は、肩に力が入りすぎていたのでしょうね。
下の子も生まれて、慌ただしい生活に疲れていたうえに、主人も、仕事で休みがない状態でしたから。
まとめ
当時の私には、見る人みんなが、幸せそうに思えました。
そして、自分がすごく不幸に思えて、自然に涙がこぼれていたのです。
しかし、気がつくと、そんな大変だった時期も過ぎて、現在にいたります。
なので、「あのころのことが、懐かしいなぁ」と、今では思えるようになったのです。