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母娘で殴り合いの喧嘩になったエピソード1.夫婦の不仲が原因
私が中学に入学して1ヶ月目くらいから、両親の仲が悪くなっていることに気づきました。
原因はまったくわからず、「どうしたんだろう」くらいにしか、思っていませんでした。
それまでは、普通の家庭と一緒でみんな仲良く一緒にご飯を食べて、テレビを見たり笑って話していたんです。
それがある日、急に仲が悪くなってしまい、毎日のように喧嘩をするようになったんです。
二階の私の部屋にまで、父と母の怒鳴り声が聞こえるようになり、家にいるのが嫌で家出を繰り返すようになりました。
怒られるのはわかっていましたが、両親の喧嘩のことはどうすることもできません。
なので、家にも学校にも行かず、ずっと友だちの家にいました。
すぐに学校から両親に連絡がいき、母にむりやり家に連れ戻されてました。
そのときに、「お願いだから私に迷惑をかけないで、普通にして」と、言われたんです。
私は「普通ってなんだよ、お前が普通じゃないじゃん」と、心のなかで思いました。
それからもかわらず、両親の仲は悪くなるだけ。
聞こえてくる話によると、父がギャンブルにお金を使いこんでるのが原因だったみたいです。
「お前なんて死んでしまえ!このろくでなし!」そんな怒鳴り声を毎日聞きながら、中学時代をすごしました。
母娘で殴り合いの喧嘩になったエピソード2.家庭内暴力による非行
私は毎日、家で10歳下の弟とふたりで、喧嘩に耐えていました。
私が高校にあがったころには、父が家で暴れるようになったんです。
コップを投げつけたり、テーブルの上のご飯をキッチンのシンクにたたきつけたり、もうなにがなんだか、わかりませんでした。
近所の幼馴染にも心配されるようになり、日々のストレスですべてが嫌になりました、
自然とまた家に帰らずに、悪い友だちと遊ぶように。
制服のまま街中で遊んでいたため、学校の先生に補導され、親に連絡がいきました。
母はパートを早退し、先生に頭を下げて私を家に連れて帰ってくれました。
そのときまた、「お願いだから、迷惑だけはかけないで!」と言われ、腹がたってきたんです。
私のことではなく、自分のことしか考えてない母に「ババア、死ね!」と、言ってしまったんです。
この言葉で火がついたのか、「親に向かってババアってなに?!」と、私の頭をなん度も殴ってきました。
私も、母の手をふり払い蹴り飛ばしました。
なん度蹴っても起き上がって殴りつけてくるので、私もなん度もなん度もやり返したんです。
私は完全にグレてしまいました。
不良友だちと遊ぶことも増え、夜中に街中で遊ぶようになりました。
深夜帰ってきては、毎日のように部屋で騒ぐ私。
我慢の限界がきたのか、「出て行かないと殴るぞ!はやく出ていけ!」と、友だちの前で殴りかかってきました。
そのままお説教がはじまったのですが、私はまったく聞く耳を持ちません。
そんな私に「そんな子どもを産んだつもりはない」とか、「あんたなんか、私の子どもじゃない!」と、まくしたてました。
友だちが仲裁に入ってくれるまで、1時間くらい髪の毛をつかみあい、激しく殴り合いました。
母娘で殴り合いの喧嘩になったエピソード3.喧嘩をとおして知った母の病気
しばらくして母が、「あなたのことを、心配しているから怒るんだよ」と、話してくれました。
「あなたに殴られても痛くも痒くもない、でも、あなたを殴ってるこの手がすごく痛かった」と、泣きながら話してくれました。
でも、数日たつと、またいつもの喧嘩口調の母に戻っているんです。
「私の母はいつも怒っている」そんな、印象になりました。
母のことを友だちに相談したり、同じような境遇の先輩に相談したりしました。
原因はわからず、「ただ私が良い子じゃないからだ」と、考えてたんです。
そんな母が病気だと知ったのは、タンスに隠している薬をみつけたとき。
最初はなんの薬かわからなかったけど、ネットで調べると「うつ病」の薬だということがわかりました。
当時、うつ病はあまり理解されていなかったので、衝撃的でした。
自分の親がうつ病になるなんて、なにかの間違いじゃないかと思いなん度も調べました。
そこで、母のおかしな言動などの原因が理解できたのです。
母娘で殴り合いの喧嘩になったエピソード4.最終的にわかった母の気持ち
私は、母の気持ちを全然わかっていなかったんだなと、ものすごく反省しました。
私以上に辛い想いをしていたんだと、とても伝わりました。
なにがあっても暴力で解決してはいけないと、身をもって感じました。