母娘で殴り合いの喧嘩になったエピソード4編

暴力

 

母娘で殴り合いの喧嘩になったエピソード1.夫婦の不仲が原因

夫婦

 

私が中学に入学して1ヶ月目くらいから、両親の仲が悪くなっていることに気づきました。

原因はまったくわからず、「どうしたんだろう」くらいにしか、思っていませんでした。

 

それまでは、普通の家庭と一緒でみんな仲良く一緒にご飯を食べて、テレビを見たり笑って話していたんです。

それがある日、急に仲が悪くなってしまい、毎日のように喧嘩をするようになったんです。

 

二階の私の部屋にまで、父と母の怒鳴り声が聞こえるようになり、家にいるのが嫌で家出を繰り返すようになりました。

怒られるのはわかっていましたが、両親の喧嘩のことはどうすることもできません。

 

なので、家にも学校にも行かず、ずっと友だちの家にいました。

すぐに学校から両親に連絡がいき、母にむりやり家に連れ戻されてました。

 

そのときに、「お願いだから私に迷惑をかけないで、普通にして」と、言われたんです。

私は「普通ってなんだよ、お前が普通じゃないじゃん」と、心のなかで思いました。

 

それからもかわらず、両親の仲は悪くなるだけ。

聞こえてくる話によると、父がギャンブルにお金を使いこんでるのが原因だったみたいです。

 

「お前なんて死んでしまえ!このろくでなし!」そんな怒鳴り声を毎日聞きながら、中学時代をすごしました。

 

母娘で殴り合いの喧嘩になったエピソード2.家庭内暴力による非行

喧嘩

 

私は毎日、家で10歳下の弟とふたりで、喧嘩に耐えていました。

私が高校にあがったころには、父が家で暴れるようになったんです。

 

コップを投げつけたり、テーブルの上のご飯をキッチンのシンクにたたきつけたり、もうなにがなんだか、わかりませんでした。

近所の幼馴染にも心配されるようになり、日々のストレスですべてが嫌になりました、

 

自然とまた家に帰らずに、悪い友だちと遊ぶように。

制服のまま街中で遊んでいたため、学校の先生に補導され、親に連絡がいきました。

 

母はパートを早退し、先生に頭を下げて私を家に連れて帰ってくれました。

そのときまた、「お願いだから、迷惑だけはかけないで!」と言われ、腹がたってきたんです。

 

私のことではなく、自分のことしか考えてない母に「ババア、死ね!」と、言ってしまったんです。

この言葉で火がついたのか、「親に向かってババアってなに?!」と、私の頭をなん度も殴ってきました。

 

私も、母の手をふり払い蹴り飛ばしました。

なん度蹴っても起き上がって殴りつけてくるので、私もなん度もなん度もやり返したんです。

 

私は完全にグレてしまいました。

不良友だちと遊ぶことも増え、夜中に街中で遊ぶようになりました。

 

深夜帰ってきては、毎日のように部屋で騒ぐ私。

我慢の限界がきたのか、「出て行かないと殴るぞ!はやく出ていけ!」と、友だちの前で殴りかかってきました。

 

そのままお説教がはじまったのですが、私はまったく聞く耳を持ちません。

そんな私に「そんな子どもを産んだつもりはない」とか、「あんたなんか、私の子どもじゃない!」と、まくしたてました。

 

友だちが仲裁に入ってくれるまで、1時間くらい髪の毛をつかみあい、激しく殴り合いました。

 

 

母娘で殴り合いの喧嘩になったエピソード3.喧嘩をとおして知った母の病気

病気

 

しばらくして母が、「あなたのことを、心配しているから怒るんだよ」と、話してくれました。

「あなたに殴られても痛くも痒くもない、でも、あなたを殴ってるこの手がすごく痛かった」と、泣きながら話してくれました。

 

でも、数日たつと、またいつもの喧嘩口調の母に戻っているんです。

「私の母はいつも怒っている」そんな、印象になりました。

 

母のことを友だちに相談したり、同じような境遇の先輩に相談したりしました。

原因はわからず、「ただ私が良い子じゃないからだ」と、考えてたんです。

 

そんな母が病気だと知ったのは、タンスに隠している薬をみつけたとき。

最初はなんの薬かわからなかったけど、ネットで調べると「うつ病」の薬だということがわかりました。

 

当時、うつ病はあまり理解されていなかったので、衝撃的でした。

自分の親がうつ病になるなんて、なにかの間違いじゃないかと思いなん度も調べました。

 

そこで、母のおかしな言動などの原因が理解できたのです。

 

母娘で殴り合いの喧嘩になったエピソード4.最終的にわかった母の気持ち

ストレス

 

私は、母の気持ちを全然わかっていなかったんだなと、ものすごく反省しました。

私以上に辛い想いをしていたんだと、とても伝わりました。

 

なにがあっても暴力で解決してはいけないと、身をもって感じました。