性格が明るかったのに暗くなったエピソード3編

性格が暗い女性

27歳女性。イラストレーター。

人間関係は広く浅くで、知り合いは多いが親友と呼べる友だちは、1人もいないタイプ。

 

旦那と猫が、親友代わり。

誰とでも、そつなく話を合わせるのが得意です。

 

そもそも、人付き合い自体が苦手なので、在宅ワークがある意味天職。

「家計簿を買おう買おう」と思って、早数ヶ月が経ちます。

 

 

明るい性格が暗くなったエピソード1.明るい性格の小学校時代

小学生の男女

 

私は小さいころから明るく、積極的な子どもでした。

幼稚園の学芸会の「不思議の国のアリス」や小学生での「ジャングル大帝レオ」では主役を担当。

口下手でこそありましたが、初対面にも関わらず、誰にでも話しかけることができて、すぐに友だちをつくることができていました。

 

授業でも、積極的に手をあげたりするため、先生達にも気に入られていた私。

休み時間には、庭で男の子達とボール遊びをしていたりと、活発な性格でした。

毎日怪我をして帰ってきて、母を心配させていたほどです。

 

運動会ではリレーの選手に選ばれたりほど、運動神経も抜群。

また、クラス委員になったりと、なにかと目立つ存在だったと思います。

 

クラスのなかの派手な子とも、地味な子とも、分け隔てなく仲のよい関係を構築。

そのため、疎外感など感じることなく、明るい性格のまま、小学校を卒業することができました。

 

明るい性格が暗くなったエピソード2.急に上手くいかなくなった中学時代

登校拒否

 

ですが、私の家の家庭環境は、あんまり良好とは言いがたいものでした。

小学生から高校生の途中までにかけて、父は単身赴任をしていて、関東で母と2人暮らし。

その母が当時はとてもヒステリーで、理不尽なことで私を叱ったり、厳しい教育をしていたのです。

 

対して、父もかなり厳格で怖く、私にとっては理解者とは言いがたい存在でした。

習いごとも厳しく、兄弟もいない家のなかで、私の居場所がだんだんとなくなってきたように感じたのです。

そして家庭内での心の影は、中学生になった私の交友関係にも影響していきます。

 

小学生のころはみんな子どもで、どんなタイプの子とでも仲よくし合えていた私。

しかし、中学生になると女の子たちは少しずつませてきて、しっかりとした「グループ」をつくるようになっていきました。

すると不思議なことに、今までの方法だと、友だちとうまく仲よくできなくなっていったのです。

 

私が小学生のころ仲よくしていた友だちは、私が知らぬ間に違う女の子たちのグループに。

だからと言って、その子と仲が悪くなるわけではありません。

 

ですが、教室移動やお弁当の時間、登下校などは私とではなく、そのグループの子たちと一緒になります。

その結果、必然的に私は、1人で行動するようになってしまいました。

 

正直、自分もそのグループのなかに入ることはできたのかもしれません。

ですが私は、「友だちは自然発生的にできるものだ」と考えていました。

 

その考えのせいで、こう思ってしまい、友だちがどうしてもできなかったのです。

「『孤独になりたくないから、入れてもらう』のような関係で、友だちになっても、むなしいだけか」と。

 

うまく媚びれず、友だちがつくれない私はお弁当や登下校も1人。

本来は寂しがりな性格を隠して、気丈に振舞っていました。

「別に、1人でも平気だし」という顔をして過ごしていて、「可愛そう」だと思われたら、負けだと思っていたからです。

 

学校では誰とも話すことがなく、家に帰っても母のヒステリーを受けなくてはいけない日々。

周りにも頼れる人がいないし、習いごとや勉強で、趣味などに費やせるような時間もない。

そんな八方塞がりの状況で、私の性格は日に日に暗くなっていってしまったのです。

 

 

明るい性格が暗くなったエピソード3.名前も知らない友だちに救われる

卒業

 

そんな最中の高校2年生の終わり、両親が離婚することになりました。

それまでも、家庭内で小さなトラブルを起こしてきた私。

その結果、「もうストレスの限界だ」と思って、ある日からほとんど家に帰らなくなったのです。

 

そのころにはもう携帯電話を持っていて、SNSサイトのコミュニティでネット上の友だちをつくることができていました。

彼らに会って、彼らの家を転々とし、学校にも行かないように。

それまで私は小学生のころから皆勤賞だったので、1度学校を休んだら、心の糸が切れてしまったのです。

 

私はそれまで、青春らしいことを1つもしたことがありませんでした。

友だちと家でゲームをしたり、公園で朝まで喋ったり、自転車で一緒にどこかへ行ったり、海に行ったりなど。

 

友だちがいなかったので、当たり前ですよね。

なので、高校時代にやりたかったことをすべて取り戻すように、毎日そうやって遊んで回りました。

 

友だちの家に行ったこと自体も、はじめての経験。

「その前の数年間で、こんなに笑ったことはない」というほどに、おなかを抱えて笑って、本名も知らないようなその友だちに救われたのです。

 

その手放しで、無責任な遊び方の反動で、精神的にガクッと落ち込んでしまった時期もありました。

ですが、そのネット上の友だちと彼らと遊んだ時期がなければ、今の私はないかもしれません。

 

彼らのおかげで、少しずつ心の安定を取り戻した私は、なんとか出席日数ギリギリで卒業。

そのころには、母に優しくできる心の余裕も生まれていました。

 

それから10年近くが経ち、今ではなんとか1人の大人として、自活することができています。

ですが、時折とてもネガティブになったり、自暴自棄な暗い考えが頭をすぎることがあるのです。

それらはほとんどすべて、やはり私が思春期に抱え続けていた、心の闇の結果だと思いますね。

 

自分のアイデンティティを構成する時期に、そのような悲観的な暮らしをしてしまった結果です。

「私のなかに深く根付いてしまった暗い性格は、死ぬまで付き合っていかなくてはならない」と感じています。

 

まとめ

性格は明るくなくてはいけないなんて、私は更々思いません。

みんなそれぞれの性格があって、個性があるのが当たり前。

 

なので私は、元気を押し付けてくるタイプの人が苦手なのです。

1人1人楽しいと思うことも、セルフコントロールの仕方も違って、当然なのですから。

 

暗い性格の人に寄り添える自分でありたいですね。