50歳。女性。離婚歴、死別歴ありのバツ2。三人の息子のシングルマザー、心理カウンセラー。機能不全家庭で育ち、幼少期から気苦労の絶えない半生でした。両親と主人の他界後、人生をやり直そうと決意。整体師認定資格、心理カウンセラー認定資格を取得。整体は更年期と持病の悪化から休業。カウンセラーのみしております。
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母親が家出したと思ったら亡くなっていたエピソード1.父の母への怒り
私の母は、70歳を超えても掃除のパートをして働いていました。
働きに出るようになったのは、父が早期退職をして、家にいるようになったことがきっかけです。
もともと、仕事が好きで家事はあまり得意でなく、趣味はない人でした。
唯一、孫の世話をしたり、遊びに連れて行ったりすることを楽しんでいたのです。
歳により、身体は弱ってきていたため骨粗鬆症や神経痛で病院に通っていました。
そして、72歳のときに、仕事帰りに溝に落ちたことが原因で、大腿骨を骨折してしまったんです。
骨がくっついてからも、立って歩くことすら困難な日が数ヶ月続きました。
ですが、徐々に回復して車椅子も必要なくなり、手押し車を押してひとりでも外出できるまでになりました。
そのころから、「また働きたい」と言ったりしていました。
しかし、以前にように掃除のパートをする脚力はないため、なかなか仕事は見つかりません。
私は「もう長いこと働いてきたんだから、なにか好きなことでもはじめたら?」と、すすめました。
母はなぜか仕事にこだわって、職探しをはじめました。
高齢で、けがのこともあるため仕事はなかなか見つかりません。
父からは、「とろい」と言われ、暴言を吐かれることも多かったようです。
家事もできないとなると、母はテレビをみるくらいしか、ありませんでした。
数ヶ月の間に、落ち込みや悲哀感、寂しさが増えて、とうとう鬱になりました。
通常であれば、そのようなときに優しくするものですが、父はそれまで以上に母に辛く当たるようになったのです。
「出て行け、お前なんかいなくなればいい」なんて、日常茶飯事。
そのたびに、泣きながら私の住まいにくるのでした。
母がメソメソと泣いているのを父が見て、いきなり怒り出し「いつまでもグズグズしてるな!」と、お皿を投げつけたことも。
だんだんと回復して、以前のように孫と遊んだりできるようになったので、少し安心していました。
母親が家出したと思ったら亡くなっていたエピソード2.とうとう母が家出
回復してきてからも、父からの暴言は続きました。
一日中、ふたりで一緒にいるということが今までなかったため、母を邪魔だと思っていたのでしょう。
それでも母は、父から離れようとはしませんでした。
私のところにきても、夕飯の時間には必ず帰って行きます。
そんなある日、私が体調を崩して病院へ行くために息子を預かってもらったことがありました。
私と主人が帰宅してもとくに変わった様子はなく、母はいつもより元気でした。
もう回復したんだなと、実感して安心していたんです。
その日は、夕飯を一緒に食べようと誘いましたが、「お父ちゃんひとりだから」と、帰って行きました。
母が家出したのは、その数週間後でした。
父からまた、キツいことを言われたのがきっかけだったようです。
あとから知ったのですが、寝る前に父に「私なんか、いないほうがいいでしょ?」と、言ったそうです。
それが、母の最後の言葉になりました。
母親が家出したと思ったら亡くなっていたエピソード3.母はいなくなっていた
その3日後、父から電話がかかってきました。
3日前の夜中から、母がいないというのです。
夜中に目を覚ましたときに、母の部屋をのぞくと、そこに母の姿はなかったと言っていました。
私は、父との電話がおわるとすぐに主人に知らせ、親戚中に電話をしました。
しかし、誰のところにも母はいません。
あちこち探して回りましたが、やはり近くにはいませんでした。
その足で、警察に捜索願いを出しに行きました。
そして、3日後、母が見つかりました。
消防隊員のかたが、見つけてくれたのです。
母は家から歩いて5分ほどの川に、身投げしたのでした。
母親が家出したと思ったら亡くなっていたエピソード4.母は戻らなかった
母の遺体は、葬儀屋さんが警察の安置所まで引き取りに行ってくれました。
いたみがひどいため、そのまま葬儀場に運ばれることに。
父はかなり落ち込み、急に優しくなりました。
「なにもしてやれなかったから、せめて葬式だけは立派にしてやりたい」と、言いだしたのです。
近所の人からは、密葬をすすめられましたが、私は父を尊重して葬儀を行うことに。
母は、安らかな顔をしていました。
傷もわからなく、きれいでした。
まとめ
父を責める気持ちもありましたが、父の暴言や暴力について、役所などに相談に行かなかった私にも責任はあります。
無理やりにでも、うちに泊まらせるべきだったと痛感しました。