二人の娘を持つ、50代前半の母。
二人とも心を病み、それぞれの方法で心の苦しさを訴え、今に至る。
生きづらさを抱えて、日々悩みながらも、懸命に生きる娘たちに励まされる毎日。
私自身も精神を病み、世のなかに適応することが、むずかしいと感じている。
心の病がある娘と生きてきたエピソード1.上の娘の心の病
私には、娘が二人います。
上の娘は、中学一年生のときから心を病みはじめ、不登校を繰り返しました。
昼夜が逆転し、学校に行くのをあまりにも嫌がるので、精神科の受診を勧められ、抗うつ剤を飲みはじめることに。
毎日服用するように言っても、その日の気分で薬を飲んだり、飲まなかったりしました。
薬を飲まないために、不安定になるのかわかりません。
しかし、顔の表情がなくなり、私のちょっとした言動にもキレて、物を壊したり、髪の毛をハサミで切ったりして、とても手がかかりました。
今は精神科の薬を規則正しく飲むようになり、安定してきましたが、学校は高校を三か月で自主退学して、今に至ります。
ときどきアルバイトもしましたが、要領の悪さも加わって、怒鳴られたりしたことがトラウマになり、すっかり引きこもりに。
長女の様子を見ていると、まるで自分の過去の姿を見るようで、毎日がとても辛いものでした。
私も学校が嫌いで、母に怒鳴られながら、やっと高校を卒業したのです。
母には、私が学校に行きたくない気持ちはまったく理解されませんでした。
世間の目から見たときに、学校に行かないというのは、一種の落伍者であったと思います。
田舎の人たちの視線を、なによりも重視する母の気持ちが、痛いほど分かっていました。
そのため、「自分がなぜ普通の子のように行けないのか」、その理由を知りたいと思っていましたね。
そんな私が子育てをしたのですから、「娘たちも私と同じような道を行くだろうと」、ある程度覚悟はしていました。
その直感はやはり現実になり、長女の不登校、精神科受診、高校の自主退学。
はたから見たら、社会に適応することがむずかしい娘になってしまったのです。
それは、私自身に原因があるとはっきりわかっており、むしろ「私のもとに生まれてきてしまったために、苦労をさせてしまった」と、自らを責める日々でした。
心の病がある娘と生きてきたエピソード2.下の娘の心の病
下の娘である次女も、例外ではありませんでした。
周囲の子どもたちと一見、仲よくできるのですが、決して心を開くことはありません。
一人でいることを好み、集団生活が大の苦手。
長女に手がかかってしまった分、いつか次女もなにかの形で、爆発するのではないかと思っていたのです。
それは、中学2年になったころ発現。次女は私に自分の腕を見せました。
見ると、無残にもカミソリで、自分の腕に線を引いていたのです。
そう、次女はリストカットをしていました。
深さも自分で調節し、どのくらい深く切ったらどのくらいで治るのか、傷の調節までやっていた次女。
泣きながら腕を見せて、私に辛い気持ちをうったえてきたのです。
一見、優等生の次女にとっては、家族のなかで「いい子」を演じなければならない、義務感のようなものを感じていました。
長女は当時集団カウンセリングを受けていたのですが、次女は「いい子」であったために、ただ耐えるしかなかったのです。
「くるべきときがきた」と思いました。
やはり二人とも心の傷が深く、すぐにでも崖から落ちそうな、ぎりぎりのところで生きていたのです。
次女のリストカットが衝撃だった私は、こっそり机の引き出しを見ました。
「カミソリで切ると痛みはなく、むしろ爽快感を感じるのだ」と、日記に書いてあったのです。
その文章を内緒で読んでしまったことや、リストカットをする気持ちを理解できない私は、学校の担任の先生や、教育委員会のカウンセラーなどに助けを求めました。
次女は、大人しく一緒に行きましたが、まったく心を開きません。
わかったのは、周囲の人たちの期待が重すぎるということでした。
誰もそんなに期待をしていないのに、成績のいい次女にとって、その期待を裏切ることは「罪悪」だと思ったようです。
夫がかつて次女に期待して、「お前だけを見て生きる」と言ったことを思い出しました。
それはすなわち、長女には期待しないけれど、次女には期待する。
長女にとっては、「自分は期待もされない子なんだ」と感じるしかない、一言だったでしょう。
もちろん、夫のせいだけではありません、私がもっと子どもに対して、罪を犯してきたのです。
心の病がある娘と生きてきたエピソード3.新しい未来へ
次女は今大学生で、真面目に通い、成績もよく、奨学金ももらい、家計を助けてくれます。
しかし、「将来どうしたいのかはまったく決められない」と言っているのです。
「就職もできるのかわからない」と、不安な様子をときどき見せます。
そんなときはいつも、「大丈夫だよ」と言うしかありません。
私は私で、かつて夫のDVに耐えかねて鬱になり、子どもをろくに見られず、寝たきりの状態が何年も続いて、娘たちには申しわけない思いでいました。
家庭が機能しないなかで、娘たちはそれぞれの方法で悲鳴をあげていたのです。
私もただ、一緒に泣くしかありませんでした。
今は、それぞれ落ち着いて暮らしています。
夫は仕事に集中し、娘たちも大きくなり、親の気持ちを理解できる年になりました。
長女は今も引きこもっていますが、家事を助けてくれ、次女は毎日往復4時間かけて、大学に通っています。
まとめ
青少年期のもろさは今はなくなり、少しづつ成長しています。
私も娘たちの姿を通して、たくさんのことを学びました。
いつなんどき、崖から転げ落ちるかわかりませんが、今日を大切に、前を向いて生きています。