35歳男性。
栃木県の中学校教諭を経て、現在は東京都内のIT企業に勤務。
うつ病を発症したことなどが原因で、教諭を退職し、無収入に陥る。
そして、結婚したばかりということもあり、貯蓄が少なかったため、貧乏生活に転落した。
食事のおかずに困窮する状況となり、貯蓄が尽きる寸前のころには、食生活が変化。
ご飯に醤油をかけて食べたり、ご飯に具のない味噌汁をかけて、食事をする日々を送る。
趣味は、ロードサイクリングと読書と株式投資。
見出し
貧乏で生活苦で地獄だったエピソード1.うつ病の発症などが原因で、教員を辞めて、無収入となった
私は大学を卒業して以来、栃木県の人口5万人程度の田舎町で、中学校の教諭をしていました。
しかし、教諭の仕事の繁忙さで体調を崩しがちになったのに加え、うつ病を発症したことが重なり、退職。
教諭を辞めたあとは、失業保険を受給していました。
ですが、やがて受給期間が満了してしまい、完全に無収入状態に。
教諭を退職してからは、神経内科に通院して、処方された薬を服用。
それに、まだ気分が重くて、ずっと自宅の自室内に、こもりきりの状態でした。
このため、失業保険の受給期間が終了してからは、貯蓄を取り崩して生活することになったのです。
貧乏で生活苦で地獄だったエピソード2.ご飯に醤油をかけて食べた
私が無職となった時期というのは、結婚式をあげて日が浅いこともあり、貯蓄はわずかしかありませんでした。
中国へのお見合いツアーに参加したうえで、結婚式と披露宴を開いた私。
そのため、独身時代の貯蓄をかなり使ってしまっていたのです。
ですから、無職になった段階で、貯蓄は2,000,000円しかありませんでした。
さらに、私のうつ病の症状が深刻な状態を脱すると、主治医からはこう指摘を受けます。
「生活環境を変えるのも、これから生きていくうえで、ひとつの改善策です」と。
また、ハローワークに仕事の相談に行くと、こう言われたのです。
「思い切って東京に出れば、仕事を探すのに苦労することはないかもしれませんね」と。
私たち夫婦は話し合い、思い切って栃木県の実家を出て、東京に生活拠点を移すことにしました。
私が人間として復活するために、栃木県から脱出する必要があったのです。
そして、引っ越し費用をわずかな貯蓄から取り崩したため、東京へ出てからは、節約生活に転落することに。
妻は「困ったー」と、何度も口にするようになりました。
私はまだ、うつ病の症状が残っていますから、ポカンと妻の困り果てた様子を眺めていることが多かったと思います。
しかし妻は、東京に出てきたとたん、アグレッシブに行動を起こしはじめました。
「米買ってくる!」と言って、自転車に乗り、スーパーに行って、10kgの米を購入。
「米さえあれば、なんとかなるからね!」と、明るく妻は言います。
さらに妻は「またスーパーに行ってくる!」と言って、味噌や、塩、醤油、砂糖といった調味料を多めに購入してきました。
妻によると、米と味噌と調味料があれば、人間は死なないそうです。
「中国の農民は米しか食べてないからね!」と妻は言いましたが、私は「ほんまかいな」と思いましたね。
しかし、キッチンに米30kgが積まれたのを見たときは圧倒されました。
東京に出てから数ヶ月は、まだ収入がありませんから、どんどんお金が出ていきます。
家賃と光熱費と食費だけで、毎月100,000円以上出ていきました。
一方、貯蓄は1,300,000円程度まで減少していましたから、まさに死活問題です。
夫婦で話し合って、「食費をギリギリまで切り詰めよう」と決断。
それからは、電気代を節約するために、毎回お米を5合まとめて炊くことにしました。
そして、1食につき夫婦2人で1合食べることに。
これで、5食分となります。
しかし、やはり、おかずがないと食事をした気持ちになれません。
私が「なにか、おかずが欲しいねー」と言うと、次の日に妻が「スーパーの閉店間際に行けば、安く買えるよ!」というのです。
そして、妻が閉店間際のスーパーに、自転車で買い物に行きました。
閉店間際の時間帯になると、お総菜や魚が半額で見切り売りされているのです。
妻はそれらを毎日買いに行きました。
そうすることによって、夫婦1食あたりの経費が、200円くらいで済むのです。
しかし、それでも、日々のお金の減少には勝てません。
どんどん、食費を切り詰めることになります。
妻も「お金には勝てないね」と、愚痴をこぼすように。
閉店間際のスーパーに買いに行く頻度を2日に1回、3日に1回と、どんどん減らしていきました。
しぶとい根性を持っている妻も、くじけていましたね。
しかし、私は月日の経過とともに少しずつ、うつ病の症状が改善。
少しずつ、前向きになってきたのです。
私は妻に「チャーハンつくれば、お腹がふくれると思うよ」と言って、チャーハンの素を購入。
おかずをなにも入れないで、フライパンで炒めて食べたりしました。
また、「ふりかけなら、もっと安くて節約になるかもね!」と言って、安いふりかけをインターネットで大量購入。
2人で、お茶とご飯にふりかけで食事を済ませれば、1食あたりの経費は100円程度で済むのです。
チャーハンのほうが少し経費が高くついてしまい、夫婦で1食あたり130円程度に。
そのせいか、半年くらいたつと、貯蓄額がついに700,000円程度になってしまいました。
私たち夫婦は頑張って、もっと食費を節約することにしたのです。
とにかく、米だけは買い続けました。
米さえあれば、空腹をしのげます。
ついには、炊いたご飯に醤油をかけて食べるように。
具のない味噌汁を、ご飯にかけて食べたこともあります。
私たちは空元気で「おいしいね!」と言い合いました。
空腹のときに食べれば、これでも立派な食事なのです。
貧乏で生活苦で地獄だったエピソード3.短期のアルバイトを繰り返したあと、現在の会社に正社員として採用された
教諭を辞めてから1年が経過したころのこと。
新しい神経内科の主治医から、「少しなら、働いてもいいでしょう」と言っていただけました。
それから私は短期間、探偵のアルバイトをしたり、障害者雇用の枠でアルバイト採用されたりして、少しずつ社会復帰。
アルバイト生活でしたが、毎月収入を得られるようになった私。
貯蓄がなくなる寸前のところで、私たち夫婦は生き残れそうな希望を持てるようになったのです。
妻は「私たち、生きていけそうね!」と言って、満面の笑みを見せたこともあります。
そして、現在では東京都内のIT企業に正社員として就職することができ、安定した生活を送ることができるようになりました。
まとめ
私はうつ病を発症したことなどが原因で、一時期無収入の状態に転落しました。
お金がないという状態は、惨めなものです。
食事に困窮していくことになります。
ご飯に味噌汁をかけて食事をしたときは、「自分は動物か」と思いましたね。
しかし、かろうじて貧乏地獄から脱出できて、普通であることが幸せなのだと実感しています。