ギャンブル癖のある父のせいで、地獄の貧乏を味わったエピソード3つ

高校生

20歳女性。国立大学生。

父がギャンブラーであり、家庭は貯金ができないほどに貧乏であった。

「優しい母を救いたい」、「家庭を守りたい」と考えて、中学生からアルバイトを開始。

 

今では、貧乏生活も人生の糧として、考えることができるようになりました。

 

 

地獄の貧乏を味わったエピソード1.家賃の代わりに……

インターホン

 

私の家はとても貧乏でした。

母は、スーパーでパートをしていましたね。

 

父は鉄工所で働いていましたが、ギャンブルのくせがあり、ボロ負けしては母にあたります。

そんな家庭でしたので、もちろん貯金もままならず、アパートに住んでいたのですが、家賃を払えずにいました。

 

みなさん、家賃を滞納したことはあるでしょうか。

学生さんなら、学業とアルバイトの両立が難しく、「いつの間にか滞納してた」なんてこともあるかもしれません。

 

しかし、私の家はそんな「ど忘れして、一か月分払い忘れてた」なんていう滞納ではないのです。

大家さんからの書状を完全に無視していました。

さらには滞納期間は半年、いえ、1年以上です。

 

そんな私の家庭の態度に、大家さんも不動産屋さんも激怒。

そのころの私は小さかったので、そこまでとがまれることはありませんでした。

しかし、訪ねてきた不動産屋さんに、両親が連れていかれたこともあったのです。

 

その後はあっという間に、家の家電が持って行かれてしまいました。

漫画やドラマなどで、借金を返せずに金目の物を持って行かれるシーンがありますが、まさにそれを想像していただいて結構です。

闇金などにお金を借りていなくても、小さい個人の不動産屋さんや大家さんだと、そういうこともあり得たのでしょうか。

 

とにかく私はあの一件から、家電製品に対しての情が深くなってしまいました。

テレビはまだしも、冷蔵庫や洗濯機はないと困ります。

そのため、不動産屋さんでしっかり怒られた両親と一緒に、リサイクルショップや粗大ごみ置き場を探して回りました。

 

数日探してようやく見つけたのが、古い二層式洗濯機と霜がたくさんたまる冷蔵庫。

それでも見つけたときの喜びは、みなさんには計り知れないほど、大きなものといえるでしょう。

 

「古いものは嫌だ」と言って完全に否定せずに、感謝をする心も必要ですよね。

今では家電量販店に行くと、胸がドキドキしてしまいます。

だって、あんなに見つからなかった家電がたくさんあるんです。

 

こうなっては笑い話ですが、あのころのつらい気持ちや喜びは、ずっと胸にしまってあります。

 

地獄の貧乏を味わったエピソード2.新聞配達中学生

新聞配達

 

貧乏な家庭に生まれた子は、両親のためにも稼がねばなりません。

そこで、学校に内緒で、知り合いに頼んではじめたのが、新聞配達のアルバイトです。

 

当時はまだ、中学生でした。

朝は3時に起きて職場に向かい、各家に新聞を届ける毎日。

周りの同級生がドラマなどを見て夜更かしするなか、私は朝早く起きるためにそれもできず、8時には寝ていました。

 

友人たちとテレビの話をすることは、もちろんできません。

だからといって、アルバイトをしていることも伝えられず、たくさん葛藤していたのを覚えています。

 

しかし、新聞配達のアルバイトをはじめたことで、自分の行いを反省したのか、ギャンブルを辞めてくれた父。

母もとても喜んでいたので、「なにはともあれ、アルバイトをして良かったんだ」と心底思いました。

 

中学生の時期は、話題が芸能人やテレビの話で持ち切りになりがちです。

ですが、観てない子もいるってことを忘れちゃいけません。

 

私はほかにも家庭が厳しくて、テレビをほとんど見せてもらえなかった子がいました。

なので、私はその子と他愛のない話をして、楽しんでいましたね。

 

今の時代の中学生がどうなのかはわかりませんが、どうせなら、たくさん笑って学生生活を過ごしてほしいと思います。

 

 

地獄の貧乏を味わったエピソード3.行けなかった修学旅行

修学旅行

 

高校のころは新聞配達のアルバイトを辞めて、コンビニでアルバイトをはじめました。

高校がアルバイトを許可していたので、夜も働き放題。

父もギャンブルを辞めて仕事に打ち込んでいたので、昔よりは裕福になったかのように思いました。

 

しかし、親戚の連帯保証人になってしまったため、貯金ができない状態に。

母は人が良かったので、人の頼みを断れなかったのです。

 

そんなこんなで、私は修学旅行に行くことができませんでした。

行先は沖縄、はじめての飛行機、それに向けてアルバイトを頑張ったのですが……。

やはり、家庭を顧みることはできませんでしたね。

 

バイト代はすべて家に入れました。

友人にも「お金がないから、修学旅行に行けない」なんて言えず……。

「いとこの結婚式があるから」なんて、適当に理由をつけてやり過ごしていました。

 

修学旅行期間は、みんなから楽しい写真が送られてくるなか、必死でアルバイトをしていた私。

今でも、あのころのことを思い出すと、とてもつらいです。

しかし、修学旅行に行って、家庭にお金を入れていなかったら、もっと後悔したかもしれません。

 

「過去の自分の選択に悔いを残さず、前向きに生きていこう」と思えるエピソードです。

 

まとめ

私の家庭の貧乏エピソードは、いかがだったでしょうか。

私は貧乏でつらい思いをしましたが、決して不幸ではありませんでした。

 

父もギャンブルを辞めてくれたし母は優しかったし、今では奨学金を借りて、大学に通うこともできています。

「どれだけそのとき辛いと思って生きていても、いつか必ず救われる日がくる」と知ってほしいです。