妻に半年も無視されることになったエピソード3編

怒っている女性

35歳男性。

栃木県の中学校の教諭を経て、現在は東京都内のIT企業に勤務。

中学校の教諭時代に、うつ病を発症し、一時無職となった。

 

生活環境を変えるために、東京に引っ越したことが功を奏したのか、私のうつ症状は改善の方向へ。

その反面、社会復帰の途上段階で、私は日経平均株価の先物取引に夢中に。

 

その結果、妻から約半年間、無視されてしまう。

私が正社員として就職が決まるまで、この状況は続いた。

 

趣味は、ロードサイクリングと読書と株式投資。

 

 

妻に半年も無視されたエピソード1.私が障害者雇用枠で働きはじめると同時に、先物取引にはまってしまう

先物取引

 

私はもともと、出身地の栃木県で、公立中学校の教諭を務めていました。

しかし、仕事の忙しさなどが原因で、うつ病を発症してしまい、教諭を退職せざるをえない状況に。

それから、神経内科のクリニックに通院する日々を送ります。

 

うつ症状が、落ち着きはじめたころのこと。

神経内科の主治医から、「生活環境を変えることも、病気を治すためのひとつの方法」と提案を受けました。

なので、私たちは栃木から東京へ引っ越すことにしたのです。

 

しかし、東京へ引っ越してからも、しばらくは私のうつ症状は改善せず、無収入の状態が続きました。

貯金を取り崩す生活が数ヶ月続き、「このままだと、生活が破たんするのではないか」と思う状況まで追い込まれたのです。

 

しかし、幸いにも私のうつ症状が改善に向かい、短期間のアルバイトを勤めることができるまで、体調が回復。

私は、多くの職種のアルバイトをしました。

探偵社の調査員のアルバイトや、1日限定の交通量調査や、1日限定の工場でのアルバイトなどもやりましたね。

 

私は無駄づかいをすることなく、その日もらった日給を自宅に持ち帰り、妻を喜ばせていました。

そして、私は障害者雇用枠ではありますが、ついに正社員として事務職の仕事に就くことができたのです。

 

障害者雇用枠ですから、月給は100,000円台。

ですが、やっと安定収入を得られるようになり、とてもうれしかったですね。

切り詰めて生活をしていけば、なんとか落ち着いた生活を送れる状態にまで、辿り着くことができました。

 

妻もとても喜んでくれて、優しい言葉をかけてくれます。

「良かったね!」「だけど、あんまり無理しなくていいからね」と。

 

ところが、私の精神状態が復調していくにつれて、私の株式投資やFX取引への意欲が復活。

このころはまだ、貯金をほぼ使い切った状況でしたから、再び貯金をしなければいけない状況です。

 

しかし、毎日会社に通い、朝9時から夕方17時まで仕事をしていくうちに、自分に対する自信を取り戻しつつありました。

そんな私は、変なプライドを持ってしまったのです。

「俺はもともと、元公務員だったんだ。学校の教師だったんだ」と。

 

そこで、中学校の教諭時代に使っていたネット証券の口座に、妻には内緒でお金を入金。

日経平均株価の、先物取引をはじめてしまいました。

 

株式投資で、大企業の銘柄の取引をするためには、300,000円から500,000円くらいは用意しておく必要があります。

しかし、当時の私には、そこまでの資金力はありません。

そこで、証拠金として約100,000円を入金すれば1枚分の取引ができる、日経平均のミニ先物を手がけることにしたのです。

 

先物取引は、当時でも朝9時から深夜3時まで、取引が可能でした。

そのため私は暇さえあれば、パソコンに向かって、日経平均先物の分足チャートを眺めるように。

 

2週間ほど経過して、妻がやっと気がつきました。

私が家のわずかなお金を使って、先物取引をしていることに気がついたのです。

しかし、妻は「止めたほうがいいんじゃない。体をまた壊すよ」と、私を軽く注意しただけでした。

 

そして、ため息をつくようになり、それ以降、私を無視するようになったのです。

 

 

妻に半年も無視されたエピソード2.妻から無視されるようになっても、私は平気でした

パソコンを扱う男性

 

私は、妻に無視されるようになってからも、先物取引をやめることはありませんでした。

平日は、売買を毎日繰り返していた私。

 

5分足のチャートで売買判断をして、儲かると思ったら買いを入れて……。

値幅が20円もあがったらすぐに、利益を確定していました。

 

それに、ミニ先物1枚で売買していましたから、私はこう思っていたのです。

「日計り取引で損をしても、元手の約100,000円を丸々失う危険性は少ない」と。

 

毎日取引をして、一進一退の取引成績でした。

ですが、「自分の判断能力が健全化に向かっている」と思うと、嬉しくて仕方なかったのです。

 

毎朝起きると、食卓に食パンが置いてあります。

その食パンをトースターで焼いて、自分でコーヒーをいれて、会社に出かけていきました。

 

朝は妻と顔を合わせることはなく、言葉を交わすこともありません。

そして、夜帰宅しても、テーブルに置かれた食事を済ませて、すぐにパソコンに向かいます。

 

このころは、「もしかしたら躁状態だったのかもしれない」と思うほど、妻から無視されても、精神的痛手を感じませんでした。

 

妻に半年も無視されたエピソード3.私が正社員として就職したことをきっかけに、妻が話しかけてきました

仲がいい夫婦

 

妻から無視されるようになって、4ヶ月ほど経過したころのこと。

私がひとりで、神経内科のクリニックに出向いて、主治医の診察を受けたところ、主治医からこう言われました。

「そろそろ、障害者雇用枠ではなく、ふつうの正社員として働いても、大丈夫ではないですか」と。

 

私は帰宅して、ずっと会話のなかった妻に対して思い切って、話しかけたのです。

「今日、先生から『普通の正社員として、働いてもいいよ』って言われたんだよ!」と。

 

妻は私の顔をじっと見て、なにも答えずに、子どもを抱っこしていました。

しかし、直感的に自分は、「妻から見捨てられてはいない」と感じたのです。

 

そして、猛然とパソコンに向かい、複数の転職サイトに登録をして、仕事を探しはじめた私。

転職活動に、3ヶ月費やしました。

 

仕事を続けながらの転職活動でしたので、疲労感もたまり、先物取引は中止。

仕事と転職活動に集中したのです。

 

その結果、現在勤務している、IT企業の経理部門の一般職として、採用してもらえることが決定。

経理は未経験でしたが、私は元教諭です。

「実務を教えれば、すぐに仕事を覚えるだろう」と、思ってもらえたのだと思います。

 

内定の連絡をもらうと、すぐに妻に「次の会社が決まったよ」と報告しました。

すると、妻が返事をしてくれたのです。

「ああ良かった。これでやっともとに戻れるね」と。

 

私は「妻がずっと我慢していたのだな」と思い、「これからは頑張るからね」と妻に言ったのでした。

それからは普通に、家族でコミュニケーションをとれて、生活をおくることができています。

 

まとめ

家族は、些細なことが原因で、簡単に崩壊してしまうものです。

私たちの家族が崩壊しなかった理由は、私の精神が病んでいたからだと思っています。

 

仮に、私の心身が健康な状態で、家にお金がなく、私が先物取引に夢中になっていたら、妻は離婚を切り出してきたでしょう。

その点で、私は妻の我慢強さに感謝しているのです。