23歳女性、2児の母で主婦。
小学生、中学生のときに、キャプテンに任命され、チームの代表として、大会で優勝しました。
その後、地元の記事や新聞のインタビューを受けたりと、目立つようになる。
顧問の先生に、「キャプテンなんだから」と、チームメイトのことで叱られることがあり、嫌になりはじめた私。
キャプテンであるがために、チーム内での確執ができてしまう。
卒業後は完全インドア派で、趣味はオンラインゲーム。
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キャプテンをやって辛かったエピソード1.地元の新聞記事などのインタビュー
私は小学校3年生のときから、バレーボールのクラブチームに所属していました。
最上級生になると、チームの代表であるキャプテンを抜擢。
このクラブチームのキャプテンは、監督が毎年決めています。
そして今回、監督は私にこう言いました。
「キャプテンをやってもらおうと思っている。キャプテンはチームを引っ張り、まとめる役でもある。頑張って」と。
正直、ビックリしました。
なぜなら、私より古株のチームメイトがいたり、過去のキャプテンはアタッカーであることが多かったからです。
私は後衛で、どちらかといえば、あまり目立つ役割ではありません。
また、とくに上手なプレーをする訳でもなく、前に立って行動し、リーダシップを取るような子でもなかったのです。
なぜ私をキャプテンに抜擢したのか、不思議でした。
ですが、私は「監督に認められたんだ」と思い、当時は嬉しく感じたものです。
所属していたクラブチームは、わりと強いチームで、全国大会に何度も出場しているチーム。
そのため、地元の大会では、優勝の常連で、「勝って当たり前」と言われるほどでした。
優勝すると、閉会式で優勝カップや賞状などをいただくのは、キャプテンの役になります。
もちろん、嬉しく感じましたが、辛かったのはその後のインタビューです。
地元の新聞に、小さく載る程度なのですが、毎度同じ新聞記者の方がやってきます。
「今回の優勝のポイントは、どこだと思いますか?」
「優勝した今のお気持ちは、いかがですか?」
「練習で辛かったことはなんですか?」
「次は、どこを目指したいですか?」
このような毎度似たような質問に、答えなければなりません。
小学生ながら、「ニュアンスを少し変えなければ」と、いろいろ考えながら、受け答えをするのが、とても辛く感じました。
また、得点を取っているのは私ではなく、アタッカーなので、なんとなく答えにくい質問も。
そのほかにも、毎回ではなかったのですが、チームの優勝記念撮影のほかに、キャプテンの個人撮影もありました。
私はあまり写真写りがよくなく、新聞に載った次の日には、学校のクラスメートにいじられることもあったほどです。
12歳で、思春期にさしかかる時期だった私には、とても辛いできごとでした。
キャプテンをやって辛かったエピソード2.チームメイトのことで叱られる
チームメイトに、とっても活発で、面白い子が2人いました。
しかし、二人とも性格は負けず嫌いで、反抗期だったのか、問題行動をすることが多かったです。
負けず嫌いなので、競う練習は、真剣に行なう二人。
しかし、そのほかの地味な練習になると、遊んだり、サボったりするのです。
そのため、チームにとって、あまりいい影響がありませんでした。
2人のことで、監督によく叱られ、注意されることが多くなった私。
「キャプテンなんだから、チームをまとめなさい」 「キャプテンがしっかりしないと、チームがバラバラになり、試合に影響が出る」
監督の言っていることは理解もできるし、分かってはいたのですが、なかなか行動に移すことができませんでした。
「ここで注意したことによって、チームがよくなるのだろうか」と、疑問があったからです。
私は、チームの間に、余計に壁ができてしまうように感じました。
「2人の行動はよくない」と、分かっていながらも、同級生であり、友だちです。
仲もよく、練習以外でも、外で会って遊ぶくらいでした。
そんな友だちに、「ちゃんと練習してよ」と言われて、面白く思うはずがありません。
しかし、このままでは監督に何度も叱られるので、段々と嫌になり、私は「なにか行動を起こさなければ」と考えました。
そこで2人だけに注意するのではなく、チームミーティングで、みんなにこう言ったのです。
「練習中は集中しよう」
「基礎練習も、真面目に取り組もう」と。
それらの声かけに、やはり反応は薄く、とくに変わることはありませんでした。
私は大会が近づくたびに、監督に叱られ、練習に行くのも辛くなり、「早く引退したい」と思うようになったのです。
キャプテンをやって辛かったエピソード3.全校生徒の前で、部活動のアピール
小学校を卒業し、中学校の部活動では、バレーボールを続けました。
同級生は、小学校のときのメンバーと大きく変わらず、みんな仲よく、続けることができていましたね。
そんなある日のこと。
通っていた中学の一貫行事で、各部活のキャプテンが全校生徒の前に立ち、新1年生に部活動アピールをすることがありました。
このときも、なぜか顧問の先生から、キャプテンに指名をされていた私。
なので、私がマイクを持ってスピーチをしなければならなかったのです。
みんなの前で話しをするのが得意ではない私は、仮病を使って、副キャプテンにお願いしようか、本気で悩んだくらいでした。
しかし、そのときはきてしまい、全校生徒の前で、3分程度のスピーチを行うことに。
緊張からなにを喋ったのか、そのときの光景も、なにも覚えていません。
私は赤面症で、耳まで赤くなってしまうタイプ。
そのため、そのあとはクラスメイトに散々いじられてしまい、とても辛かったです。
キャプテンをやって辛かったエピソード4.チーム内での争い
3年生の引退試合がはじまる前に、各地域事に、選抜チームがつくられるようになります。
地域内の学校のなかで指名された選手は、選抜選手として、選抜チームの練習に入るのです。
そのなかで、またレギュラーメンバーとベンチメンバーの12名が選出され、選抜大会というものに出られます。
そんなことも忘れていた私はある日、副キャプテンの子に、「3年生だけで話しをしよう」と、提案をされました。
私は「なにかあったっけ?」と、あまり深く考えずに、みんながいる部室に残ります。
すると、副キャプテンの子がこう言ったのです。
「ずっと隠してたことがる」
「実は、選抜チームの練習に指名されている」と。
いきなりのことでビックリしたのは、私と、3年生で唯一補欠であった子だけでした。
リベロ含め、私たちのレギュラーチームの構成は、3年生が5人、2年生が2人です。
私は一応レギュラーではあったものの、とくに上手いプレイヤーではないので、当たり前の結果だと思います。
補欠だった子は、結果よりもずっと隠していたことに、とても怒ってしまいました。
「そんなに信用ないチームメイトなら、いらないよね」
そう言い、後日から、練習にこなくなってしまったのです。
それも、そろそろ選抜メンバーの練習がはじまる、日程のギリギリで言われたのですから、気持ちは分かります。
私もキャプテンとして、「頑張ってきたのにな」と、悔しく感じました。
ですが、逆に「キャプテンだからこそ、言いにくかったのだろう」と思ったのです。
地域内の中学校のキャプテンで、選ばれていないのは、私だけだったのですから。
「キャプテンじゃなければ、隠されることもなく、素直に応援できていたのでは」
そう思うと、「キャプテンは辛いな」と感じました。
まとめ
キャプテンにしか味わえない、経験もたくさんしました。
しかし、それは嬉しいことだけではなく、当然、嫌なことも。
同級生であっても、部活がはじまると、立場を考えて行動しなければいけないのです。
いつも仕切をとっているキャプテンが実は、チーム内で最弱の立場なのかもしれません。