30代、女性。
6歳のときに、母が自殺してから、不幸な毎日が続く。
しかし、彼との出会いが、私を救ってくれた。
趣味は、家庭菜園。
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両親の死という地獄から救われたエピソード1.6歳のときに母が自殺
私の幼少期から青春期は、真っ暗な時代でした。
私が6歳のとき、母が自殺。
農家に嫁いだ母は、生来病弱で、大変な農作業についていけず、親族から責められるなか、うつ病に。
ある朝、突然、自ら命を絶ってしまったのです。
しばらくして、父は後妻を迎え入れましたが、その人はとても性格がきつい人でした。
私と弟は、ことあるごとに、その人に叱責、罵倒されます。
学校に行く前と帰宅後に、炊事、洗濯、掃除などの家事を押しつけられました。
その人は酒癖が悪く、父がいないときに、酒を飲んでは暴言を吐きます。
包丁を手に、私と弟を脅すこともありました。
そんなとき、私と弟は父が帰宅するまで、家の外でじっと、父の帰りを待つというありさまです。
私は中学を卒業すると、東京に働きに出ることに。
同級生が皆、高校に進学するなか、惨めな気持ちもありました。
ですが、「あの鬼のような人から、逃れられる」。
そう思うと、心が晴れ晴れとしましたね。
両親の死という地獄から救われたエピソード2.生きる意味を失いかけた青春時代
私が20歳のとき、父が交通事故に遭いました。
意識不明の状態が約3週間続き、そのまま父は他界。
そのショックからでしょうか、弟の様子がおかしくなったのです。
幻聴や幻覚が見えはじめ、言動もおかしくなり、病院で診てもらったところ……。
「精神分裂病(現在の統合失調症)」との診断でした。
通院し、薬を服用しながら、社会復帰を目指していた弟。
しかし、近隣の人に暴言を吐いたり、暴力をふるったり……。
挙句の果てには、窃盗で捕まるなど、何度も警察のお世話になりました。
一方で、父と再婚したその人は、父の死後、父の生命保険金をすべて、酒や遊興費に使いきってしまったのです。
父の看病のため、週末になると、帰省していた私。
ですが、父が亡くなったあとは、弟の世話をしに、帰省することになりました。
周りの同世代の友人は、華やかで、楽しそうに青春を楽しんでいます。
そんな様子を見ていると、自分の人生があまりにも暗く惨めで、つらくて仕方がありませんでした。
「このまま生きていても、意味がない」
そんな思いが頭をかすめたとき、ハッとしました。
「これでは、自分も母と同じ運命をたどるのではないか」と。
両親の死という地獄から救われたエピソード3.私を救った上司の励まし
そんなとき、尊敬する職場の上司が状況を察してくれ、励ましてくれました。
「一人一人の人生には、苦しみと楽しみが平等に、半分ずつ与えられている」
「苦しみが続くと、必ず同じ量の楽しみがあとからやってくるが、それが信じられず、絶望してしまうもの」
「だけど、あきらめないでやっていけば、必ず苦しみを乗り越えられるよ」
「前を向いて、未来を見つめて、人のために真心を尽くしていけば、自分にその恩恵が返ってくるから」
苦しい気持ちだったなか、上司のそのお言葉は、真っ暗な闇のなかにさす、一筋の光のようでした。
私はそれから、恨みしか抱いていなかった義母に対して、感謝の気持ちを抱くように。
弟に対しても、「病気の苦しみを、どこまでも理解してあげよう」と努めました。
職場でも、「どんなにつらくても、笑顔を見せる人でいよう」と決意。
「つらい思いを燃料にして、周りの人を明るくしていこう」と、日々努めていったのです。
両親の死という地獄から救われたエピソード4.母の生まれ変わり?
そんななか、職場の後輩の男性が、私の境遇をわかったうえで、結婚を前提とした交際を申し込んできました。
9歳年下の彼は、良家のお坊ちゃんのような男性。
私には、「こんな私では、彼のご両親に申し訳ない」という気持ちがありました。
また、「彼に、私の重い境遇を受け止めることは、できないかもしれない」という不安も抱いていたのです。
しかし、彼は熱烈にプロポーズをし続け、それに根負けしてしまった私は、彼との交際をはじめ、1年後に結婚。
彼は、病と闘う弟のことを自分の肉親のように大事にしてくれ、面倒を見てくれました。
そして、私に対しても、常に褒めてくれた彼。
ことあるごとに、感謝の言葉を送ってくれるのです。
そんななか、すべてに自信がなかった私ですが、次第に胸を張って生きられる自分に変わっていきます。
不思議なことに、彼が生まれた日は、私の母が亡くなった2年後と、ちょうど同じ日だったのです。
「僕は君のお母さんの、生まれ変わりかもしれない」と、冗談めかして言う彼。
私は「そんなこと、あるわけないじゃない」と、口では否定します。
しかし、心のなかでは、「本当にそうかもしれない」と思っている自分もいたのです。
不遇だったときを経て、どんな人にも、心が開けないときを過ごしてきた私。
ですが、彼にだけは、すべてをさらけ出せたのです。
「死を選んだ母が、私と弟を不憫に思って、生まれ変わってきたのではないか」
そう思っています。
彼との間に息子が生まれ、その子もすくすくと、元気に成長していきました。
真っ暗闇だった人生の地平のかなたが、うっすらと明るくなっていくような気がしましたね。
両親の死という地獄から救われたエピソード5.ピンチをチャンスに
そんなある日、実家の土地の地主から、突然連絡が。
「貸してある実家の土地を、半年以内に更地にして、返してほしい」とのことでした。
長年、誰も住んでいなかった茨城にある私の実家は、東日本大震災の影響で崩落。
しかも500坪ほどの敷地には、伸びに伸びた竹が、びっしりと生い茂っている状況でした。
複数の業者に見積もってもらったところ、更地にするには、少なくとも6,000,000円ほどはかかるとのこと。
ふつうの樹木を伐採するのと違って、竹は再利用するが難しいため、伐採費用がかさむとのことでした。
私たちは、その数年前にマンションを購入していたため、毎月とボーナス時のローン返済で、いっぱいいっぱい。
ですので、新たにそのような多額の借金をすることはできなかったです。
子どもの教育費もかかります。
そんなとき、夫の知り合いの人から、格安で撤去をしてくれる業者を紹介されたのです。
その業者によると、最初の見積もり額の半額で、請け負えるとのことでした。
業者にお願いして以降、暗い思い出しか抱いていない実家があった場所は、すべてが撤去されて、きれいな更地に。
その後、そこは市に売られ、今では、近隣の子どもたちが遊ぶ公園に、さま変わりしました。
先日も、久しぶりにそこを訪れると、何組かの親子連れが、楽しそうに遊んでいます。
「私のつらかった思い出が、きれいに洗い流されて、今度は人々に喜びをもたらす場所に、生まれ変わった」
そう思うと、感慨もひとしおです。
突如見舞われたピンチを通して、私の生きることへの執着も、夫との絆も強まりました。
まとめ
苦しかったあの当時、職場の上司が投げかけてくださった言葉。
「楽しみがあとからやってくると信じて、あきらめないでやっていけば、必ず乗り越えられる」
「未来を見つめて、人のために、真心を尽くしていけば、自分にその恩恵が返ってくる」
一日一日懸命に、がむしゃらに生きて、とりあえずここまでこれた私。
上司が淡々と言っていた言葉が、「本当にそうだった」と、心から思える今日このごろです。