私は貧乏な家庭で育った。貧乏家庭エピソード8つ

貧乏

20才女子大生。

18才まで極貧生活を送っていた。

現在は奨学金で大学に通っていて、アルバイトを何個もかけ持ちし、普通の生活をしている。

 

貧乏な生活を送っていたものの、あまりお金に執着がない私。

将来は「普通に、このまま生活ができればいい」と思っています。

 

 

貧乏家庭エピソード1.給食費が払えない

給食

 

5人兄弟の末っ子だった私の家庭は、給食費が払えないことがほとんどでした。

当時、給食費は学校の先生に直接持っていく仕組み。

なので、「先生に給食費は持ってきた?」と聞かれるたびに、申し訳ないうえに、恥ずかしくて、どうしようもない気持ちになりました。

 

給食費が払えないことが恥ずかしくて、学校に行くのが本当に嫌だった私。

それでも、貧乏であることを誰にもバカにされなかったのが、唯一の救いでした。

 

貧乏家庭エピソード2.食卓にブラックバス

ブラックバス

 

私の家庭の食卓では、その辺に生えてる雑草やパンの耳が、主食として出てくることは当たり前。

しかし、ブラックバスが出てきたときは参りました。

 

母が、どこからともなく手に入れてきたブラックバスのようでしたが、くさみがすごくて、とても食欲なんかわきません。

しかし、ブラックバス以外に食べるものがなかったので、生きるために我慢して食べました。

 

ブラックバスを食卓に出した理由を母に聞いたことがあります。

すると母は、「子どもたちが成長期だから、たんぱく質を食べさせてやりたくて、食卓に出した」と言いました。

 

当時は、「なんで、こんなくさいものを食べなければいけないんだ」と思い出したが、今になっては、母の意図が分かり、感謝しています。

 

貧乏家庭エピソード3.お風呂はたいてい水風呂

お風呂

 

貧乏あるあるだとは思いますが、基本的に光熱費が払えないので、お風呂はたいてい水風呂です。

私の家庭ではこれがスタンダードでしたので、なんとも思いませんでした。

友だちと行った市民プールで、シャワーがお湯だったときは、とてつもない感動を覚えたことを今でも忘れません。

 

当時は、「お風呂があるだけマシだ」と親から言い聞かされていた私。

なので、水風呂に対してはむしろ感謝さえしていました。

 

某芸人さんの幼少期は、流しがお風呂の代わりだったそうなので、うちの家庭はまだいいほうだったのかもしれません。

 

貧乏家庭エピソード4.試食に家族で出かける

スーパーの試食コーナー

 

家族でお出かけすることがあったのですが、外食なんて、とてもじゃないけどできない経済状況。

なので、お腹を満たすために、スーパーの試食に家族でまわっていました。

 

「友だちの家族に見られたら」とか考えてしまって、恥ずかしかったのです。

ですが、普段家では食べれないようなものが、試食では食べられたので幸せでした。

 

わざわざ家へ帰ってから着替えて、違う人を装い、同じところへ試食へ行ったりしていた我が家。

試食を配っていた人は、とっくに気付いてたかもしれませんが、私たち家族は食べるために必死でしたね。

 

貧乏家庭エピソード5.家族全員、雑草に詳しい

雑草

 

道に生えている雑草のどれが食べられるものか、見分ける知識が家族全員に備わっていました。

雑草はいくら食べても無料なので、まずここで、お腹を満たすしかありません。

なので、道を歩くたびに、雑草をくまなくチェックしていました。

 

どの季節にどのあたりで、あの草が生えるという知識のおかげで、貧乏でなくなった現在でも、食費なしで暮らせる自信があります。

しかし、やはり栄養が偏ってしまいますので、食事が雑草だけというのはおすすめしません。

 

たんぱく質などをとるために、昆虫食も考えたことがありましたが、さすがに当時は抵抗があってできませんでした。

 

 

貧乏家庭エピソード6.夏のレジャーは川

川

 

夏休みなどに家族でお出かけするときは、必ず近所の川でした。

涼しいし、まあまあ綺麗な川でしたので、お風呂に入らずに済んで、水道代が浮くという仕組みです。

 

川遊びをすると、かなりお腹が減りますが、そのときは帰りに近所のスーパーによって、試食を家族でまわっていました。

川で遊んでいるときは、貧乏であることなんて忘れることができましたが、やはり帰りによるスーパーの試食は恥ずかしかったです。

 

年ごろの女の子であったからだとも思いますが、温泉によったり、外食でおいしいものを普通に食べたりすることに憧れました。

 

貧乏家庭エピソード7.友だちとの移動手段は走る

走る子ども

 

自転車は家に1台しかなかったので、末っ子の私は、ほとんど使わせてもらうことができませんでした。

友だちとどこかへ出かけるときは、いつも友だちがこぐ自転車に追いつけるように走っていましたね。

 

運よく自転車が使えたときもありましたが、運動神経が悪かった私。

乗ろうとしても、自転車の乗り方が分からなくなって、結局走って移動していました。

移動手段が走るしかなかったおかげなのか、運動神経こそ悪いものの、体力はかなりありましたね。

 

高校時代は、家から高校まで10キロほど距離がありましたが、徒歩で通っていました。

 

貧乏家庭エピソード8.布団は2つしかない

寝ている子ども

 

私の家庭では、布団が2つしかありませんでした。

7人家族なので、兄弟の身長や体の大きさを考慮して、上手く布団がかぶれるように工夫。

 

意外と冬はおたがいの体温であったかかったです。

しかし、「テレビドラマみたいに1つの布団でぐっすり眠ってみたい」と何度も思っていました。

 

1つの布団に自分1人で眠っている今は、逆に寂しく思います。

慣れというものは恐ろしいものですね。

 

まとめ

間違いなく貧乏であったことは確かなのですが、当時の私はそこまで不幸せに思ったことはありません。

貧乏で恥ずかしいとは思うものの、常に家族との距離が近くて、あたたかい日常でした。