休日がない!教師をやめたいと思ったエピソード3つ

頭を抱える男性

35歳男性。栃木県出身。

栃木県での中学校教諭を経て、現在は、東京都内のIT企業で働いています。

 

中学校教諭をしていたときは、部活動の顧問としての仕事や、日々の授業の教材づくりで、過労気味の状態に。

それ以外に、不登校となった生徒対応で、心身ともにすり減らし、ついにうつ病を発症して、退職に至った。

 

趣味は、ロードサイクリングと読書と株式投資。

 

 

教師をやめたいと思ったエピソード1.中学校教師には、休日がなくて、疲労が蓄積した

教壇に立つ教師

 

私は栃木県の人口5万人程度の田舎町で生まれ育ち、地元の公立小学校に通学していました。

そして、大学の教育学部に進学して、教員免許を取得し、卒業。

その後、自分がかつて通学していた地元の中学校に、今度は教諭として戻ったのです。

 

中学を卒業してから、わずか7年後には、今度は教諭として戻ってきたのですから、不思議な感覚でした。

教諭として赴任した当初は、つい数年前に、自分自身が中学生としてこなしていた日程を、今度は教諭としてこなすわけです。

 

なので、忙しくても、平気でした。

若かったですから、体力もありましたし、教諭としての意欲に燃えていましたね。

 

しかし、教諭として赴任して、5年くらい経過したころのこと。

担当している部活動の顧問としての業務が、「忙しい」と感じられるようになり、嫌気がさしてきたのです。

このため、平日の朝練には、顔を出さなくなりました。

 

朝練とは、午前の1時限目の授業がはじまる前に、30分間行われる、部活動の時間のことです。

私は、これを負担に感じるようになり、行かないように。

 

部活動の生徒たちにも、あらかじめ、こう言っておきました。

「先生は、基本的に朝練には出ないことにしたから、『自主練習』ということにしてくれな」と。

不満に思う生徒がでることは推測できましたが、教諭としては、朝練の存在は無駄で、非合理的にも思えたのです。

 

それに、教諭としての、部活動顧問の負担は、大きいものがありました。

土曜日も、日曜日も、部活動がありますから、顔を出さざるをえません。

丸1日の休日というものが、教諭時代にはなかったのです。

 

夏休みや冬休みも、ほとんど毎日、午前中のみでしたが、部活動の練習がありました。

ですから、次第に疲労の蓄積が、ひどくなっていったのです。

 

私が中学校の教諭をしているときに、数名の先生が、小学校への赴任願を校長に出していましたが、その気持ちがよく理解できました。

小学校の教諭ならば、休日は丸1日休めるからです。

 

教師をやめたいと思ったエピソード2.不登校生徒の自宅に、夜出向いて、登校を説得しなければいけなかった

インターホン

 

中学生になると、生徒たちには、思春期が訪れます。

いわゆる、「自我の目覚め」というものです。

 

ですから、不登校となってしまう生徒があらわれます。

中学校での微妙な人間関係や、自分自身の容貌の変化、あるいは自分の家庭環境などが原因です。

女子生徒の場合は、生理が原因で、不登校となるケースも。

 

生徒が不登校となると、担任教諭は大変です。

毎朝、生徒の自宅に電話をして、保護者に尋ねなければなりません。

「息子さんは、今日はどのような具合ですか?」と。

 

また、「今日は、学校にこられそうですか?」などと、尋ねてみたりします。

そして、電話での保護者とのやりとりを、パソコンに記録しなければならないのです。

 

さらには、生徒の父親も仕事から帰宅していると思われる、20時ごろの時間帯に、生徒のお宅を訪問しないといけません。

生徒が、どのような理由で不登校となってしまったのか、両親からヒアリングしたり。

今後、再び生徒を登校させるために、どのような対策が必要かを両親と話し合ったりするのです。

 

そして、生徒の自宅で、生徒と面会し、こう言って、生徒を励まします。

「どうだ元気にしてるか?」

「クラスの皆は心配しているし、学校に戻ってきたら、ちゃんとキミを受け入れてくれると思うぞ」と。

 

中学生という、思春期の生徒に対しては、言葉を飾ることはしませんでした。

言葉を飾っても、このように直感で見抜いてしまうからです。

「この先生は表面的な言葉で取り繕うだけで、自分のことは、なにも考えてくれてはいない」と。

 

ですから、私は何度も不登校の生徒の自宅に通い、何度も生徒や両親と話し合いました。

「嫌な授業のときは、居眠りしても構わない」とまで言って、生徒の登校を促したのです。

 

数ヶ月かかって、学校に復帰してくれるケースがほとんどでした。

ですが、夜遅くまで根を詰めて、仕事をしなければなりませんでしたから、私も疲れ果ててしまったのです。

 

「中学校の教諭」という仕事を辞めたくなりました。

 

 

教師をやめたいと思ったエピソード3.テストをつくる作業と教材づくりが面倒だった

勉強

 

中学校の教諭の仕事で、部活動の次に、日常的に忙しい仕事。

それは、中間テストと期末テストの作成作業と、採点作業です。

 

私は歴史を担当していましたので、日本史と世界史のテスト作成を担当していました。

新任教諭として、赴任したばかりのころは、早めにテスト案を作成して、先輩の教諭に見てもらいます。

そして、「このテストだと簡単すぎるね。100点満点が続出するよ」と言われたら、テストのつくり直しです。

 

平日に部活動の顧問の仕事を終えて、自宅でテスト内容を考えます。

また、休日に自宅で考えて、テストを考案することもありました。

 

テスト案について、先輩教諭からこう言ってもらえたら合格です。

「これなら50点を中心点にして、90点台から20点台くらいまで満遍なく、成績が分散すると思う」と。

そのあと、そのまま中間テストや期末テストに、使用する流れとなっています。

 

そして、テストが終わると、今度はただちに採点作業が。

私が教諭をしていたころは、学年の生徒が約200名いましたから、約200名の採点を完了させるまで、数日はかかります。

自宅に持ち込んで採点したことも、たびたびありましたね。

 

このほかに、日々の授業の教材となるプリントもつくりますから、まさに教諭という仕事は、激務でした。

 

まとめ

丸1日休める日が少ない割に、給料が安いのが、中学校の教諭という仕事です。

政府は、学校運営というものを合理的な発想で、考え直すべきだと思います。

現状の中学校教育は、教諭の過重労働のうえに、成立しているのです。

 

私は、うつ病を発症してしまいました。

これでは、退職する教諭が増えることは当然です。