47歳女性。
アパレル勤務を退職して、25歳で元旦那と結婚し、専業主婦となる。
31歳のとき、1歳と5歳の息子を連れて、離婚。
33歳で再婚し、保育所勤務、介護職勤務を経験する。
41歳で血液がんが見つかり、翌年に治療のため、休職から退職となり、現在は無職。
趣味は洋裁や小物をつくることで、最近、メルカリでのやりとりを満喫中です。
見出し
離婚をおたがいの両親に報告したエピソード1.私の両親には、子連れで2泊泊まりに行ったときに報告
ある日の朝、機嫌の悪い夫が「出て行け!!」と、大声で叫んでいました。
いつものことです。
なにか調子が狂うと、暴言暴力がひどくなってきていたので、もうあきれ返って、右から左に聞き流す毎日でした。
そんな、夫の声が、朝から響いているある日のことです。
さんざん悪態をついたあと、気が済んだのか、いつものように仕事に出かけた元夫を見送ります。
そのあと、静かで平和になった空間でふと、あることを思いついたのです。
「子ども2人を連れて、実家に遊びに行こう」と。
もちろん、なにも言わず、書置きもなにも残さず、勝手にですね。
「『出て行け! 死ね!』と、さんざん言っていたではないですか。出て行ってあげましょうよ、なんていい奥さんなんでしょっ!」
そのように、鼻で笑ったのをよく覚えています。
元夫の「出て行け!」は、挨拶のようになっていました。
長男は、近所に仲のいい友だちがいて、幼稚園も大好き。
なので、私が子どもたちを連れて、本当に出て行くとは、思っていなかったようです。
実家で、「今日は、なにも言わずにきた~。ちょっと泊めて」と、切り出した私。
そのため、「けんかでもしたの?」と、親は聞いてくれました。
子どもたちがいつもと変わらず、はしゃいで遊んでいるなか、私は話をすることに。
「実は……、今すぐってわけじゃないんだけど……、将来的に離婚することに決めた」と。
「今すぐはちょっとね。子どもも小さくて、私も仕事してないから、収入ないし」
「もう少しお金を貯めて、『やっていけるな~』と思ったタイミングで、離婚しようと思ってる」
はじめて、「離婚」という言葉を出して、両親に話しました。
そして、ふだんの夫の様子などを追加して、少しだけ話し出したとたん、両親はびっくり。
「そんな! 将来的になんて言わずに、すぐにでも離婚しなさい!! 今なら、少しくらい援助できるから」
しかも、このように言ってくれたのです。
正直びっくりしました。
「まだ先の話かな?」と思っていたことが、口に出したことで、道が開けてきたのです。
とりあえず、元夫が謝罪して、迎えにくるようなら、一度は帰ります。
しかし、気持ちのなかではもう、「『いつでも離婚!』と思っておこう……」という状態でした。
どうしても生活のことが心配で、一歩踏み出せないところがありましたが、霧が晴れましたね。
あとは、「どう短期間で、スムーズに離婚するか」ということで、語りだすと長くなるので、割愛しますが……。
もめずに勢いで、離婚届を書かせることに成功しました。
「親権も私」と、確認をとったあとで、「じゃあ……」と出してきた離婚届に、私の父のサインがすでにあったのが、効果的だったのでしょうね。
元夫は、その勢いのまま車で、10分ほどの自分の実家に、1人で行きました。
義母からすぐに電話がかかってきて、夫がかなり動揺した様子で、あれこれ話したそうです。
ですが、夜だったので、翌日改めて、話をしに行くことになりました。
離婚をおたがいの両親に報告したエピソード2.元夫の両親には、離婚届が完成した翌日に報告
平日で義父も元夫も仕事に出ていたので、義母に私が1人が呼び出される形に。
義兄夫婦も、2階で2世帯で住んでいる家で、いつも私が行ったときには、義姉も顔を見せていました。
そのため、今回も例外ではありません。
義母は、まだ昨日の今日で、動揺している様子。
義姉が「本当に、もうそういうことなの?」と切り出します。
私がいつものように笑顔は見せずに、かたい表情のままで、「はい……」と答えるところから、話ははじまりました。
実はこの義母にも、なにかの拍子で、突然激怒するところがあり……。
ちょっと観点の違うことで、普通なら簡単な会話で済むところを、誤解して、一人で激怒するのです。
そのうえ、口から生まれたようにまくしたてるので、近所でも怖いものなし。
というか、真剣に向き合うと、かなり面倒な相手です。
なので、聞き手はあまり多くを話さず、なんでもニコニコしながら頷いていれば、うるさくありません。
しかも、敵に回すことがないので、「そうしておこう……」と、避けられているような、圧力のある感じでした。
ですから、この義母にも頭を下げ、しおらしく報告。
「続けていけるなら、できる限り、頑張りたかったのですが、申し訳ないです」と。
「普段、優しいのでね……。でも、キレると……」
このように言葉を濁す感じで、母親に息子の悪口を聞かせることのないように、慎重に言葉を選びました。
自分も息子2人の母になっていたので、余計に「息子を悪く言われたら、気分が悪い」、ということは分かっていましたから。
「私がうまく対応できれば、こじれなかったかもしれないですが、すみません」
謝る感じで、話を進めます。
すると、涙ぐみながら、いろいろ優しい言葉をかけてくれましたが、内容は全部は覚えていません。
「あの子は根はいい子だけど、たしかに昔から、壁を『バーン』と、叩いたりしたことがあった……」、「いろいろ難しい子だった」
そんなことを言っていたような気がします。
ですが、次第に、あれこれと話が派生してきてしまい……。
最終的に、しんみりと話が長くなってしまいました。
「子どもはなにがあっても、母親と一緒にいるべきだ」
「自分も何回も離婚を考えたけれど、『帰ってこい』と言ってくれる親ではなかったから、子どものために我慢した」
「暴力さえなくなれば、もしあの子が心入れ替えて、1人前になれたら、また一緒になってやってくれる?」
心のなかでは、「絶対ないし」と、思っていた私。
しかし、ここは女優にならなければ、すべてが水の泡になってしまいます。
なので、ちゃんと頷いておきました。
まとめ
最終的に、作戦どおり、とてもいい感じで見送られることができ、義母と顔を合わせたのはそれが最後です。
「まだ提出前なのに、やり遂げた!!」
その喜びが大きくて、「離婚届の完成品を破られでもしたら、大変!」と、どこに隠そうか考えながら、帰宅したことを鮮明に覚えています。