33歳、女性。
結婚後は、専業主婦をしています。
中学から高校までずっと、楽器はクラリネット一筋。
部活を辞めた直後は、放課後に音楽室から聞こえる、合奏の音を聞くのもつらかったです。
趣味は、読書。
「みんなでなにかをやるのは、私には向いていない」と思っている。
見出し
精神的な疲れから部活をやめたエピソード1.ゆるい中学校の部活の延長で、強豪校に入ってしまった
高校時代、私は吹奏楽部に所属していました。
楽器はクラリネットです。
中学生のときからずっと吹奏楽部でしたし、運動が得意ではなく、ほかの文化部に興味も持てなかった私。
なので、高校でも、そのまま吹奏楽部に入りました。
私たちの中学校の吹奏楽部は、私たちが入学したときに、新設された部で、先輩は2年生の数人だけ。
顧問の先生は、社会人サークルに所属している方でした。
ですが、部としては、なんの実績もありませんでしたし、特別演奏のうまい生徒もいなかったです。
演奏技術を高めるというよりは、「みんなでワイワイ合奏するのを楽しむのが目的」、というような部活動。
ところが、高校の吹奏楽部は、全国大会常連の強豪校でした。
吹奏楽部の大会では、すべてのチームに金から銅までの賞が与えられ、金賞を取ったチームから、全国大会へ行けるところが選ばれます。
私たちの部活動では、「金賞は、とって当たり前」というレベルだったんです。
そんな状態なので、普段の練習も、とても厳しいものでした。
進学校で朝も課外があるのに、さらに早く登校して、朝練をするのは当然。
ランニングや筋トレなど、肉体的なトレーニングも日課でした。
だけど、それでも上に先輩がいる間は、良かったんです。
ただ、先輩の言うことを聞いて、一生懸命に練習していれば、認められていました。
だけど、いざ自分が最高学年になってからは、なにもかもが変わってしまったんです。
精神的な疲れから部活をやめたエピソード2.能力もないのにリーダーになってしまい追い込まれていった
まず、私にとって不運だったこと。
それは、同じパートの同級生2人が演奏技術も高く、リーダーとしての能力も優れていたことです。
吹奏楽部では、楽器(パート)ごとに、そのパート内を統率するリーダーを設けています。
「上級生が抜けたあと、このパートリーダーになるのは、私以外の2人のうち、どちらかに違いない」
そう考えていた私。
ところが、2人はなんと、部長と副部長として、部全体をまとめる役割に指名されてしまったのです。
部長・副部長とパートリーダーの兼任は、もちろんできません。
ほかに3年生のいない私のパートでは、消去法的に、私がパートリーダーを務めることになってしまいました。
だけど、私は決して、演奏が上手くはありません。
そんななか、中学からコンクールで競ってきたような後輩たちに、囲まれる毎日。
そこで実感したのは、吹奏楽や楽器に関する知識も技術も、まったく足りていない自分の状態です。
かといって、そこから「知識を学ぼう」と思うほどには、吹奏楽に対する情熱はありませんでした。
おまけに、そのころから徐々に、自分のさまざまな能力に限界を覚えていった私。
なので、人を引っ張るような役割を避けるようになっていったのです。
当時の私には、コミュニケーション能力も、リーダーとしても器も、なにもかもが足りませんでした。
パート練習をしても、後輩たちに、なにか指導ができるわけでもない。
曲の解釈についても、後輩のほうが詳しいです。
同学年の仲間に相談しようにも、彼女たちは「部をまとめるのに精いっぱい」といった状態で……。
その結果、私は段々と、追い詰められていきました。
精神的な疲れから部活をやめたエピソード3.同級生に励まされるも耐え切れず、部活をさぼりがちになった
それでも私は、パートリーダーとして、演奏技術が未熟なものとして、練習を頑張ったつもりです。
同級生も忙しい合間をぬって、いろいろなことを教えてくれましたし、励ましてくれました。
だけど、私はどうしても、「自分の能力のなさ」と「リーダーという重圧」に、耐えきれなくなっていったんです。
「私が練習を指導したって、誰がうまくなるわけでもない」
そう考えるようになった私は、部室に足が向かなくなりました。
部活の時間が近づくと、憂鬱になっていったんです。
「朝練に行かなければ」
そう思うと、学校も嫌になり、朝になると、胃が痛むように。
ついには、遅刻して学校へ行き、部活の時間がくる前に、早退するようになっていきました。
同級生はときどき、私のクラスまで、きてくれていたようでしたね。
だけど、休み時間に彼女たちと話をするのすら、私には辛いことでした。
精神的な疲れから部活をやめたエピソード4.顧問に呼び出されたが、会わずに退部届を提出した
部活をサボるようになって、数か月経ったころ、顧問の先生から呼び出しを受けました。
部長や副部長はクラスが違ったので、同じクラスのパートが違う部員を通じて、それを伝えられたんです。
だけど私は、芸術家肌で音楽に対して向上心のない生徒に、関心のない顧問に話せることなど、なにもありませんでした。
呼び出された日にも、顧問とは一切、話はしなかったんです。
そしてその後、退部届を部長に手渡しました。
「一生懸命にやっている彼女には、申し訳ない」
そう思う気持ちも大きかったのですが、結局、私には荷が重すぎたんです。
吹奏楽部の活動自体は大好きでしたが、もう楽器を見るのすら、嫌になってしまっていました。
まとめ
「もしあのとき、私以外の誰かがパートリーダーになってくれていたら、きっと私は、部活を辞めずに済んだ」
私は、今でもそう思っています。
だけど、それほど情熱もないのに、熱心な部活に入ってしまったことから、間違いだったんでしょうね。
部活以外の高校生活にも、影響が出てしまったこの件について、私は今でも忘れられません。