37歳男性。アルバイト。
22歳から、愛犬と過ごし、現在、2代目バカ犬と生活中です。
初就職離職後、10年間派遣生活を経験し、フリーターに。
朝まで趣味のネットサーフィンを堪能し、8時に就寝し、14時に起きる不規則生活を満喫中。
見出し
不良の多い高校にいたときのエピソード1.昼休憩の公開処刑
火・木・金の昼休憩には、校舎裏で「タイマン勝負」という名の公開処刑が行われていました。
不良グループが主催するもので、代々受け継がれてきた伝統行事らしいです。
幹部メンバー6人が、気に入らない生徒を呼び出しては、「タイマン」という名の蹂躙を行います。
拒否権はなく、もし無視してしまうと、あとあとまで、散々イジメ抜かれるのです。
私は、呼び出しをボイコットしてやりましたが。
この「タイマン」は、ボコボコにしてからが本番で……。
倒れた相手を6人がかりで、高笑いしながら、蹴りまくります。
おかしなスイッチが入っているのか、気を失っても、続いたりして、警察沙汰も何度もありました。
先生方は、「係わりたくないのが、ホンネ」といった感じで……。
「若いうちは、多少ケンカしたほうが、落ち着いた大人になる」
などと言って、大事になる以外は、止めに入ることもめったにありませんでした。
ひどいときはライターを握りこんで、歯を根こそぎ折り、金属バットでメッタ打ちにされている人まで。
これはさすがに、事件になりました。
ですが、やった当事者は停学だけで済んでいたので、「学校の7不思議」なんて、言われていましたね。
幸いにも、目を付けられることなく、ひっそりと暮らしていた私。
内心では「学校に、なにしにきているんだろう」と思っていました。
今はもうなくなったようですが、ランチどきが、一番ひどい公開処刑の時間でしたね。
今思い出しても恐いですし、20年近く経った今でも、彼らとは会いたくないです。
不良の多い高校にいたときのエピソード2.放火してでも、イジメたい
不良グループ6人と、その友だちに放火されました。
「タイマン勝負を断ると、あとあとまで散々苛められる」と書きましたが、そのイジメの延長で放火したのです。
「人間、リアルを超えたリアルになると、ホントに笑えないものだ」
そう痛感しましたね。
はじめのころは、毎日家の前に原付で乗りつけて、空ぶかしや奇声をあげるなどして、何時間も騒ぎ立てていました。
しかし、ご近所の通報で、次第に離散します。
今度は、騒ぐついでに、壁にペイントをしていくのです。
それでも反応しなかったので、次はとうとう、窓ガラスを割られました。
さすがに両親も我慢できず、警察に通報して、対処することに。
当事者たちは、親同伴で謝りにきました。
「これで、少しは大人しくなるだろうな」と思っていたのですが、ここからです。
通報したことを根に持って、あろうことか、家の玄関に火を付けたんです。
幸い、被害こそ小さく済みました。
ですが、おかげで、玄関から5メートルほどの入り口付近の廊下は、消し炭だらけに。
犯人は脅されただけの関係ない少年で、後に主犯格の幹部が補導。
学校を退学になったので、逮捕されたのだと思います。
「自分たちの快楽のために、言うことを聞かない人間にはなんでもする」
そんな考えを持った人間に恨まれた結果、放火にまで至った事件です。
不良の多い高校にいたときのエピソード3.ヤ○ザが出待ちする学校
胸倉を掴まれて、「Yを出せ」と、校門で恐い人たちが出待ちしていました。
不良グループのYは、格闘技の有段者だったそうで……。
少し前に、町で暴れていて、大人5人を相手に、大立ち回りでした。
相手は、そちらの世界の方たちらしく、骨折などの病院送りになってしまったらしいです。
そのうち下校だけでなく、毎日登下校に、ヤツラはあらわれました。
関所のように、一人一人止めて、聞き回っていましたね。
当然、Yは学校にはきていませんでした。
ですが、恨みを持つ誰かが自宅を教えたらしく、健闘むなしく、彼は入院生活するハメになったのです。
その後は悲惨で、ご両親が相手方の入院費やら、相当な額の示談金やらを工面したと聞きます。
僕らからすれば、正直なところ、「自業自得」と思える人間なので、「可愛そう」とは思いませんでしたね。
いろんな意味で、社会のルールを守らない結果、恐い人たちに出待ちされた、レアケースでした。
不良の多い高校にいたときのエピソード4.おもちゃ工場浸入
中堅の不良グループが、おもちゃ工場を襲って、逮捕されました。
きっかけは、「某おもちゃ工場は、たくさんの売れ筋在庫を抱えているから、それを手に入れよう」というのが、はじまりのようで……。
住所電話番号は勿論、人のいない時間帯を何度も確認して、下調べをしていたと聞きます。
セキュリティー関係も、一通り確認して、いざ実行。
ある一人が、浸入成功のメールがきて安心していると、メンバー以上の人数が車に向かってきます。
理由も分からず、面食らっているうちに、取り囲まれてしまった形に。
その人たちは、国家公務員の方々で、学校内で話が流れて、教師がリークしたようです。
それを聞いて、当時は「大人って汚い」なんて、思った私。
捕まるべくして捕まって、むしろありがたいことですが……。
子どもの理屈は、自分本位ですから、逆恨みしか残らなかったのでしょうね。
今思うと、「なぜおもちゃ工場だったんだろう?」と、首をかしげます。
「お金を捻出するためには……」
その問題を解決するために、働くじゃなく、「楽して稼ぐ」というのが、不良のなかにあったのでしょう。
その結果、おもちゃ工場にご迷惑をかけることになったと思います。
まとめ
不良は、カッコいいものではないです。
当時は、実に冷や冷やする毎日でした。
それに、とんでもないことが許される毎日の生活でしたが、素行不良です。
時代が流れても、同じような人はきっといますよね。
でも、社会人には汚点でしかないです。
「ヤンチャと素行不良の違い」を正してあげたいものですね。