中学生のころから、精神的に病んでしまった娘を持つ、50代主婦。
自分自身も抗うつ剤、睡眠剤を10年以上飲んでいます。
薬の減薬を体験したことで、薬の怖さを体験。
しかし、「少しだけなら大丈夫なのでは」と、娘に受診を勧めたことがきっかけで、娘とともに、今現在も薬を服用をしながら暮らしている。
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うつ病の娘と一緒に闘病したエピソード1.娘の発病原因
娘が精神的に病んでしまったのは、私が娘を養育する期間、極度のストレスを感じてしまったが原因です。
また、夫との仲が悪く、しょっちゅう喧嘩をしていた場面を見せてしまったことなど、いろいろなことが考えられます。
私は韓国在住ですが、人々が反日感情の洗脳を受けている韓国社会で生きてきました。
そんななか、「日本人の母を持つ」という立場が、娘がクラスメートからいじめられる原因に。
娘にとっては、学校生活は辛いものでした。
娘に関心を持ってくれる親戚などの大人たちもいません。
また、愛情不足から、精神的に安定した暮らしを送れなかったことも原因です。
娘の立場は、私の子ども時代の環境を考えても、比較できないほど過酷なものでした。
うつ病の娘と一緒に闘病したエピソード2.新しい友だち
小学4年生の二学期に、私の夫、娘のお父さんと、別れて暮らすようになった娘。
学校の担任の先生に気を使ってもらい、クラスの友だちを二人紹介してもらいました。
そのうちの一人の子は、私が日本人であることを知ると、親から友だちになることを反対されたそうで……。
娘の誕生日に招待しても、きてはくれましたが、すぐに帰ってしまいました。
もう一人の子は、ときどき家にも遊びにきてくれるほど、仲よしに。
親から「日本人の子だから遊ぶな」と、禁止されることがなかったそうです。
彼女は、今に至るまで、唯一友だちでいてくれるありがたい存在。
この子がいなかったら、娘は誰とも話す相手のいない、孤独な日々を送っていたと思います。
うつ病の娘と一緒に闘病したエピソード3.勉強ノイローゼ
小学校はどうにか通い、卒業しましたが、中学にあがると、異変が見られるようになりました。
中学生になると、中間、期末のテストがあります。
ある日の午前3時ごろ、娘の部屋から泣き声が聞こえてきたのです。
「こんな時間になにをしているのだろう」と部屋に行くと、娘は勉強をしていました。
しかし、その勉強がとても大変で、「泣くほどつらい」と言うのです。
私の体験を言うと、勉強は午前になるまでしたことはありませんでした。
遅くても、12時までには寝ていた私。
ですから、娘がこんな時間になっても勉強していることが驚きであり、なぜ早く終わらせないのか、理解できませんでした。
生真面目な娘は、勉強をたくさん強要する韓国の学校で、言われたとおりに頑張りすぎたのです。
試験の結果は悪くはありません。
しかし、娘は中学校を卒業するころには、勉強をしようとすると、ノイローゼ状態に。
その結果、集中して、勉強できない状態になってしまったのです。
うつ病の娘と一緒に闘病したエピソード4.抗うつ剤処方
勉強するという行為ができなくなり、鬱の症状が見えはじめ、昼夜が逆転するようになると、朝学校に行くことが難しくなりました。
ちょっとしたことでキレて、私に当たるように。
「反抗期なのだから、親なら誰でも通る道」だと覚悟をしていましたが、どうも様子が違うのです。
心配して私が受診している病院に行くと、薬を処方されました。
「中学一年生に、薬はどうなんだろう」と疑問の思いが湧きましたが、外国人である私は、韓国社会のことを知りません。
夫も同居していませんでしたから、社会福祉などの情報も一切知らなかったのです。
「もし知っていたら、病院に行かせることはなかった」と、後悔の念が何度もよぎりました。
しかし、ときはすでに遅し。薬をやめると反動がきて、さらに症状は悪化。
それを理解できない娘は、反抗するときは薬を規則正しく服用しないため、結果、また悪化するということを繰り返したのです。
うつ病の娘と一緒に闘病したエピソード5.無事中学を卒業
朝の登校が難しくなり、「卒業するまでに、必要な日数を通えるのか」と、心配した私。
そこで、学校のカウンセラーに助けを求めました。
すると、担任の先生にカウンセラーを紹介され、許可をもらったのです。
「教室に入りたくないならば、カウンセラーさんがいるところで過ごしてもいい」と。
小学校からの友だちは、遠回りになるにも関わらず、朝わざわざ家を訪ねてくれて、一緒に登校してくれました。
現代史を詳しく教えるようになるこのころが、娘にとっては「辛い時期だった」と、のちに話しています。
母親である私の国を徹底的に批判するために、私のことを考えると、教室にいられなくなったそうです。
中学は無事に卒業しましたが、薬からの卒業はいまだに難しい状態で……。
それから、5年になる今になっても、安定期があったと思えば、突然、嵐のように周囲を振り回して、怒り狂います。
ほとぼりが冷めると、嵐の時期がうそのようにおとなしくなるのです。
うつ病の娘と一緒に闘病したエピソード6.私の減薬体験、娘の薬への反感
私は減薬を体験しました。
少しづつ薬をカッターナイフで切り、「最後には飲まなくなれるように」と頑張ったのです。
ですが、徐々に体の調子が悪くなり、最後には激鬱状態に。
悲しい歌を聞くと、涙が流れて止まりませんでしたね。
夜寝ていると、いきなり発作が起きて、「死ぬのではないか」と思うほど驚きました。
その数時間後にも再び発作が起き、のたうち回るほど苦しかったです。
体調が急におかしくなって、突発的に外に出て、大声で叫びたくなるほどの苦しみを味わったことから、減薬を辞めました。
医者はその後、処方を変更。
「それらの症状が薬のせいではない」と、最後まで突っぱねました。
しかし、ネットを見ると、減薬、断薬を体験した人と同じような症状であったことが分かったのです。
娘の気分にはむらがあって、薬をきちんと飲んでいれば、精神は安定した状態に。
薬を飲むことへの反感を感じ、服用を拒否した日には、飲まないことで起こる症状に、家族は何度も振り回され続けました。
まとめ
私は精神科の薬を飲みはじめて10年以上経ちますが、その期間いろんな感情を味わいました。
やめると禁断症状が出る薬を飲むことに、腹が立ったりするほど。
しかし、薬は勝手にやめると危険です。
それを体で知った私は、今日を普通に暮らせることに感謝しながら、薬を飲みます。
薬のおかげで眠れるし、穏やかに暮らせるのです。
薬が欠かせない生活から解放されるには、まだ時間がかかりそうですが、娘とともに、今日もガチでぶつかりながら暮らしています。