49歳女性。社会福祉法人に勤務。
フルタイムで仕事をしながら、高校3年生、中学校3年生、小学校4年生の3人の子どもを育てています。
子どもってかわいいけど、その子の個性に合わせながら、寄り添うように育てていくのって大変。
「日々勉強」と感じています。
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うつ病と闘病した娘のエピソード1.突然の娘の異変
中3の娘が中学1年生になり、しばらく経ったころでした。
朝、元気に学校に行ったはずの娘でしたが、突然担任の先生から電話があり、こう言われたのです。
「教室でMさんが泣き崩れてしまって、理由を聞いても話してくれない」
「心配なので、ひとまず保健室で休養してもらっています。お迎えにこられますか?」と。
それを聞いた私は、びっくりして学校にかけつけ、とりあえず娘を連れて、自宅に戻ってきました。
理由を聞いても、あまりきちんとは話してくれず、「大丈夫だから」と言います。
次の日も「休む?」と聞く私に、「ううん。大丈夫」と学校に出かけて行きました。
そんなことで何日か過ぎ、「大丈夫かな?」と思っていた、ある日の夕方のこと。
今度は、剣道部の部活顧問の先生から、お電話をいただき、こう言われました。
「Mさんが私の指導方法にくってかかり、『それならやめるか』と言ったけれど、『やめない。でも部活はしたくないから見学します!』と見学していたが、ほかの生徒への影響も大きいため、どうしたらいいだろうか」と。
中学に入って剣道部に入り、「剣道ってすばらしい。姿勢もよくなるし、礼儀作法も身に付くし」と、頑張っていた娘。
なので、「きっと剣道は好きなはず」と思い、顧問の先生にこう伝えたのです。
「今は、いっぱいいっぱいで気持ちが荒れて、本心ではないことを言っているのだと思う」
「少し休ませてもよいと思うが、長い目で見ていただけると、あり難い」と。
また、「いい機会」と思い、スクールカウンセラーさんに相談したいことをお伝えしました。
すぐに、スクールカウンセラーさんとお話をする機会をつくって下さった、部活顧問の先生。
娘にはうえには兄がいますが、能天気な性格のせいで、スクールカウンセラーさんのお世話になることはありませんでした。
そのため、私にとっても、はじめての経験。
ドキドキしながら、相談室のドアをたたきました。
うつ病と闘病した娘のエピソード2.スクールカウンセラーさんに聞いてもらって
はじめて会ったスクールカウンセラーさんは、「60代の、すてきなおばさま」といった感じの人。
やさしい笑顔で、挨拶をしてくださいました。
それから、そのスクールカウンセラーさんにこう言われたのです。
「さっき、娘さんとお話をしたけれど、とっても頭のいい娘さんね。いろいろなことをきちんと見ている」
「ただ、がんばりすぎて、いっぱいいっぱいになっているのに、誰にもそれを話せず、苦しんでいるみたいだった」
「お母さん、よく聞いてあげてくださいね」と。
スクールカウンセラーさんにそう言われて、私は相談することにしました。
「娘が小さかったころからの話なのですが、私も仕事でいっぱいになることが多く、夫も土日の仕事が多いため、家にほとんどいませんでした」
「そのため、ひとりで3人の子育てをしていましたが、どうしていいか、わからなくなるときがあり、『私は子どもたちに、なんにもしてやれていない』と感じてしまうことがあったのです」
「でも娘は、そんな私を助けようとしてくれていたのだと思います」
涙まじりに、お話しさせていただくことができました。
そして、余裕のなさから、娘の話を聞いてあげる雰囲気がつくれていなかったことを反省した私。
それから、精神科のお医者さんにかかったほうがいいのか、ご相談すると、こう言われました。
「今日の娘の様子と、お母さんに話を聞いてもらうことができれば、大丈夫のような気もするが、行ってみてもいいかもね」。
その日、家に帰ってから、娘とゆっくり話をすることに。
最初はあまり話したがらない感じもありましたが、無理をさせずに、ゆっくり聞きました。
多分、全部話してくれたわけではなかったと思いますが、「なにかあったら、いつでも声をかけて」と、伝えることはできた私。
それから、恐る恐る「専門の先生に診てもらいたい?」と聞いてみたら、「行ってもいいよ」と娘は答えました。
その後、スクールカウンセラーの方から、何カ所か教えていただいた精神科に電話。
そのなかから、よさそうだと思うところに、行ってみることにしたのです。
うつ病と闘病した娘のエピソード3.アドラー心理学に救われた日
いよいよ、精神科を受診する日がきました。
駅前の大きなマンションの一室に診療室があり、入ってみると、待合室にたくさん本が並んでいます。
題名をみていくと、「アドラー心理学」について書かれた本が多く、借りることもできるということでした。
そして、待合室にいる私たちのもとに、女医さんが姿をみせます。
「お母さん、Mさんそれぞれで30分ずつ話を聞こうと思うけど、どちらが先のほうがいい?」と、娘のほうを見ながらききました。
「私が先のほうがいいかな」と即答し、診察室へ入っていく娘。
絵を描きながら、いろいろな話をしたそうです。
そして、次は私の時間。
しかし、入ってすぐに、娘を褒められたのです。
「すごく頭のいい娘さんね。どうやったら、あんな風に育てられるの?」
「はっきりものをいうことができるし、私はああいう考え方、大好きよ」と。
私は、「娘は私の力を必要とすることなく、自分で育ったんだ」と説明しました。
本当に、小さいころから私を頼ることなく、自立していた娘。
転んで泣いているときも、抱っこしてなぐさめてあげたくても、一人で自分の部屋にこもります。
その後、気持ちを建て直して、元気な顔で、また家族の前にあらわれるのです。
それから兄弟関係、家族関係の話、娘の赤ちゃんのころからの話をしました。
そして、「家では、娘にどんな接し方をしたらいいのでしょう」と、私は聞いたのです。
すると、先生は、こうきっぱりおっしゃいました。
「え? なぜ? 家では今まで通りでいいと思いますよ」
「問題は学校で起こっているのだから、家での問題ではありませんよ」と。
私は、びっくりしてしまいました。
通常は子どもになにかあれば、「家庭の問題」、「母親の関わり方の問題」と言われるのが、当たり前だと考えていた私。
なので、それはすごく新鮮な言葉だったのです。
それが、アドラー心理学の考え方のようで、診断は軽いうつ状態とのこと。
「お薬を飲むほどではないので、なにかあったら、いつでもまたきてね」と、言われました。
帰りに、アドラー心理学の本を1冊借りて帰り、その本を読んで、私も勉強になることがたくさんありましたね。
まとめ
娘もなにかスッキリしたような感じで、その後は元気に、学校生活を楽しんでいるようです。
部活も今では部長となり、頼られる存在になっています。
娘も助けを求めれば、きちんと対応してくれるということが、実感として分かったのでしょう。
なにかあれば、アドラー心理学の先生のところに、かけ込むことだってできます。
自分の不安や怒りとの付き合い方を少しだけ学んだ娘は、今は笑顔で過ごすことができているのです。