息苦しいし生きづらい!田舎に閉塞感を感じたエピソード6つ

閉塞感

田舎出身の50代主婦。

現在は都会暮らし。

 

田舎で30年生きてきて、田舎特有の閉そく感、窮屈感に耐えきれず、田舎を飛び出すことに成功。

現在は海外暮らし。

 

外国人であることの不便さはあるものの、都会であるため、日本にいると感じる空気の重さから解放される。

 

 

田舎に閉塞感を感じたエピソード1.私の実家がある田舎

田舎町

 

私の田舎は年々人口が減っていて、20年前と比べると、2万人は減っています。

母の主治医が言うには、お年寄りが今後どんどん亡くなるため、加速的に人口が減るそうです。

 

かつての街中はシャッター街になり、歩いている人はほとんど見かけません。

実家の前の道は、一日に車が何台か通るくらいで、歩くと目立ちます。

 

「どこの誰が歩いている」と、窓から見ればすぐに分かるような状態。

なので、ある意味監視されているような気分になり、恐怖心を感じながら歩きます。

 

田舎に閉塞感を感じたエピソード2.私の幼かったころの時代

ラジオ体操

 

私が幼かったころは、近所付き合いが活発でした。

町内会館で子どもたちだけのお泊りがあったり、夏休みになればお祭りがあり、習字大会などがあった記憶があります。

 

そのほかには、夏休みになると近くの土手で朝6時からラジオ体操をやり、そこに参加することが夏休みの宿題でした。

廃品回収も週に一度は車で回ってきて、近所の家を歩いては、新聞紙や本がないか聞きに行ったことも。

 

どこの家の方たちも優しく親切で、この世に悪人がいることなど、想像すらしなかった幼少時代でしたね。

 

田舎に閉塞感を感じたエピソード3.個人商店から大型商店への転換期

店じまい

 

私の友人の一人に、個人商店を営むお父さん、お母さんがいました。

個人の家の一部に商品を置き、魚や肉、お菓子、生活用品などを販売。

幼いころからの付き合いで、両親以上に愛情を注いでくれる、そんな方たちでした。

 

その友人家族とは、いろんなところに出かけた私。

今ではそれらがとても懐かしく、その友人一家がいなかったら、私はもっと閉鎖的で愛情不足な人間になっていたでしょう。

 

その個人商店が、危機を迎える時代がやってきました。

大型店舗の出現により、同じ商品を安く提供することのできる店に、人々がどんどん流れていったのです。

 

友人一家も時代のうねりに流され、最終的には店を畳むことになり、引っ越しを余儀なくされ、その後の付き合いはなくなりました。

 

 

田舎に閉塞感を感じたエピソード4.近所付き合いの希薄な時代

冷え切った人間関係

 

私が高校を卒業した後のこと。

20代前半くらいまでは義務的でしたが、近所の付き合いはありました。

 

私の祖母が亡くなった90年代の前半は、近所の人たちが一緒に手伝ってくれて、お葬式をとり行ったことがあります。

普段は顔を見せることがない、近所の人たちもお線香を手向けてくれました。

 

バブルがはじけて景気が悪くなるにつれて、自分たちの生活だけで精いっぱいになった人々。

近所の人たちであろうと、他人に関わる余裕がなくなったせいでしょうか。

オープンな近所付き合いがなくなっていったように思います。

 

子どもたちの声が聞こえなくなり、近くの保育園は閉鎖。

年をとった人たちばかりの田舎になってしまったことも一因でしょうか。

 

日本人は身内のことを詮索されるのが嫌いですし、自分の家に恥だと思うことがあれば話すことはありません。

また、聞かれると困ることは他人にも聞かないため、自然とコミュニケーションは減っていきました。

 

田舎に閉塞感を感じたエピソード5.田舎の噂話

頭を抱える女性

 

狭い田舎のなかでの噂は、すぐに広まります。

「あの人がこういうことを言っていた」と話せば、なぜかそれを違う人から聞く始末。

 

近所付き合いで神経を使っていた母は、幾度となく苦い思いをしてきました。

それを聞くたびに、幼いころに感じた近所の人への好感が、嫌悪に変わっていきましたね。

 

個人的にみたら、悪い人などいません。

しかし、噂話に尾ひれ背びれがつくと、真実はねじ曲げられて伝わっていきます。

それが悪いことであるならば、人の視線は冷たいものに。

 

祖母から母への悪口を聞かされた近所の人は、母が道を通ると、冷たい視線で見たそうです。

祖母の悪口を鵜呑みにして、母を悪い嫁だと決めつけたのでしょう。

 

私も例外ではありませんでした。

実家の敷地内に強引に引っ越してきた父の妹夫婦から、幾度となく嫌がらせを受け、母も私も被害をこうむることに。

 

祖母が亡くなってからは叔母が、私たち家族を攻撃してきました。

それは今も続いています。

 

田舎に閉塞感を感じたエピソード6.沈みゆく田舎

人がいない田舎町

 

田舎に帰ると不思議と肩が重くなり、自転車で外出をすると、家に向かう途中から重さが増していきます。

家はあるのに、人は見当たりません。

 

みな年をとって外出が困難な人や、デイケアで昼間いない人たちが多いため、まるでゴーストタウンのよう。

「早く家に駆けこまなければ」と思いながら、自転車で帰ります。

 

途中人が多い場所に行くと、いくらか心が軽くなりますが、人口の減った町並みには活気がありません。

そのため、沈んでいくような錯覚さえ覚えるのです。

 

私の親の世代は、近所との付き合いが濃厚だったかもしれませんが、私の世代では人生の中間くらいから、希薄になっていったように思いますね。

今は若い人たちも、ぽつぽつ新しい家を建てて、引っ越してきます。

もちろん、昔の世代を知っている人たちではありません。

 

昔から住んでいる人たちの様子は、訃報となって聞こえてきます。

時代が変わっていく様子を、親の世代の方たちはどんな気持ちで見てきたのでしょうか。

 

まとめ

私は閉鎖的で窮屈な田舎の生活には、肌がまったく合いません。

「人のことをよく知りもしないで噂を流しては、それまで仲よくしてきた人たちを仲たがいさせる」

そういう田舎独特のいやらしさには、ほとほと嫌気がさしました。

 

近くにいるから、なんだかんだと言われます。

だから、遠くに離れたほうが心の自由を満喫できて、悪口を言われることもありません。

 

家はあるのに人の姿は見えず、しかし、どこからか人が見ているかもしれないという感覚は、ある意味ホラーでもあります。