俺は元不良。喧嘩ばっかりしていたエピソード5編

殴り合いをする人

年齢は33歳。独身の男性です。

学生時代は、多少やんちゃしていた時期もありました。

ですが、先輩に紹介されて、現在はテレビ業界の仕事を真面目にこなしています。

 

体を動かすのが趣味で、ここ数年は、自転車にはまっている私です。

 

 

元不良で喧嘩ばっかりしていたエピソード1.まだ、まともだった中学生時代までのこと

野球

 

私の両親は、真面目なタイプ。

母親は熱心な教育ママで、少し厳しいぐらいのしつけがありました。

ですが、子育てに熱心なので、いつも優しかったです。

 

父親は公務員なので、いたって真面目なタイプ。

私は、中学生を卒業するまで、公務員住宅で生活していました。

 

そのため、周りにいた友人も、同じような家庭環境で育った子どもたちばかり。

真面目な友だちが多かったのです。

 

私は、小学生一年生から、中学3年生まで野球をやっていました。

将来は、「プロ野球選手になりたい」という夢を持ち、真剣に取り組んでいた私。

進学しようと決めていた高校も、野球をするつもりで選んだのです。

 

地元では、ちょっとした進学校でしたね。

私は5教科の合計で、学年トップを取ったこともあるぐらい、成績が良かったので、難なく進学できる学校だったのです。

 

ところが、高校で野球をする夢は、打ち砕かれてしまいました。

なぜなら、中学3年生の夏の終わりに、肘を壊してしまったからです。

 

少し前から、肘を痛めていたものの、少し休息を取れば、投げられる痛み。

なので、だましだまし、ピッチャーをしていました。

 

しかし、試合中に、本格的な痛みが……。

「もう、野球を辞めなくてはならない痛みだな」だということが、一瞬でわかったぐらいです。

 

ここからの私は、それまでの私と、180度変わるような生活を送ることになります。

 

元不良で喧嘩ばっかりしていたエピソード2.はじめての喧嘩のこと

高校

 

私は高校に進学しました。

当初、野球をする予定で選んだ高校です。

ところが、私はもう野球をできない体になっているので、高校に進学した意味なんて、まったくありません。

 

高校に行くと、いろんな中学校から、同級生が集まってきます。

そのため、公務員住宅でつくった友だちには、いないようなタイプの友だちも増加。

熱心に打ち込むことがなくなってしまった私は、自然と不良ぽい方向に流れるようになっていったのです。

 

高校に進学して、2ヶ月ぐらいのときに、当時の学年で多少目立っていた私に、因縁をつけてくる同級生がいました。

「話して分かるようなタイプではないな」と思ったので、暴力沙汰の喧嘩に。

 

長年にわたって、野球に真剣に取り組んでいた私は、意外と腕っ節が強かったようで……。

一発顔面を叩いただけで、漫画で見るような、ダウンをとったのです。

 

そのときの拳の感触を、「めちゃくちゃ気持ちいい!」と感じたのが、正直な気持ちでした。

それがきっかけで、喧嘩する数が増えていくのです。

 

ちなみに、学校のなかでやった喧嘩は、これが最初で最後。

しばらくの間、停学処分になりました。

 

元不良で喧嘩ばっかりしていたエピソード3.毎週のように、喧嘩していたこと

警察

 

私は、学校の外で、毎週のように喧嘩をしていました。

不良が集まりそうな場所に、足を運んでいたという背景もあります。

 

そういう場所に行くと、みんな心のどこかで、こう思っていたのでしょう。

「殴る相手を見つけたい」と。

むしろ、そう思っている人間しかいなかったです。

 

みんな、喧嘩するための、きっかけづくりを求めています。

たとえば、「目が合った」というのは常套句です。

 

こうなってしまうと、いつゴングが鳴ったのか分からないタイミングで、喧嘩に発展します。

街中でケンカを起こせば、もちろん、警察の厄介になることもしばしば。

 

そうなると、噂は周辺に広がっていくというもの。

今まで関わったことのない、地域の人間と喧嘩をすることもありました。

 

 

元不良で喧嘩ばっかりしていたエピソード4.喧嘩を卒業したときのこと

車椅子

 

高校三年生になったときに、私らの仲間だった1人が、喧嘩で大怪我を負う事態になりました。

金属バットで、足の骨をズタズタにされてしまい、一生歩けなくなってしまったのです。

 

彼は、もともと根性があるタイプだったので、身の危険を感じながら、常に喧嘩に望んでいました。

なので、車椅子になっても、悲観するようなことがなかったのです。

 

しかし、ここで黙っていないのが、彼の親。

「うちの子どもと関わらずに、縁を切ってほしい」と言われました。

 

彼とは「一生付き合っていける関係」だと思っていたので、私は「それはできない」と、はっきりと言い放ったのです。

そこで、向こうのお父さんと口喧嘩に(殴り合いの喧嘩は、くれぐれもしていません)。

 

なかなか収拾のつかない展開だったため、私はこのように申し出ました。

「不良を卒業するから、彼との付き合いを続けさせてほしい」と。

それを機に、私は喧嘩を卒業することを決めたのです。

 

元不良で喧嘩ばっかりしていたエピソード5.そのあとのこと

社交的な社会人

 

私は、もう喧嘩をしないと決めたわけですが、そのあとがなかなか大変。

やっぱり、喧嘩を挑んでくる連中は、引き続きいるわけです。

 

なので、拳で握りたい思いを我慢しながら、避けて通ることが増えました。

周りの友人も、私が喧嘩をしないように、仲裁に入ってくれることも多かったです。

 

私は、大学進学のために地元を離れることになったので、喧嘩をふっかけられることは、めっきり減りました。

もともと、真面目なタイプでやってきたので、真面目な生活に戻るのは、難しいことではなかったのです。

 

大学4年間は、今までのような喧嘩をすることはなく、無事に卒業をして、就職することになりました。

 

まとめ

以上が、私の喧嘩をしていたときのエピソードです。

散々人を殴ってきた私が言うのもなんですが、やっぱり喧嘩はいいものではありません!

メリットなんて、ひとつもないのです。

 

周りで、喧嘩の道に走りそうな人がいたときには、止めてあげてください。