1990年代に渡韓した50代の主婦。
某宗教団体のマインドコントロールにより、こんな思想に。
「韓国は再臨のメシアの生まれた国であり、韓国人男性と結婚することは名誉である」と。
しかし、実は結婚できない男性を連れてきて、適当にマッチングしただけのものだと知りました。
そんな韓国で、暮らしてきた体験を書きたいと思います。
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日本を嫌いになったエピソード1.渡韓
90年代後半に渡韓した私は、某宗教団体のマインドコントロールによって、家族の絆を半ば捨て、貯金をすべて教団に渡しました。
ほかにも、車も献車、職も捨て、「もう日本に戻ることはない」と決心して、渡韓したのです。
「日本は韓国に対して罪深い国であり、謝罪をしなければならない存在なのだ」と、信じてきた私。
生まれたばかりの赤ちゃんを見ても、「私より尊い存在」と思いましたね。
「自分のことより天(神様)を優先しろ」と、自己否定を徹底的にされてきました。
その結果、自分の存在自体がけがれたものであり、「韓国人に対しては、なにをされても仕方がない。我慢しなければならない」という思想を植え付けられたのです。
「自分を尊ぶ」という、本来あるべき人間の姿さえも、見失うハメに。
洗脳の結果、私の結婚相手が韓国人だということを知って、内心いやだと思いました。
しかし、その本心の声を無視してきてしまったのです。
恋愛感情など、当然ありません。
どこの誰かもわからないのに、よくそんな決意ができたものだと、今では思います。
日本を嫌いになったエピソード2.日本人は嫌い
そんな私が夫の親族に会いに行ったとき、小学校一年生だった姪っ子の友だちがきていました。
しかし、その子は、私ともう一人の日本人を見て、すぐに帰ってしまったのです。
理由を聞いてみると、「日本人が嫌いだから」と言う甥っ子の友だち。
日本で反日カルトに所属していたので、ある程度覚悟はしていましたが、目の前で自分の国を否定されるのは、はじめてのことでした。
しかも、小学一年生。
「幼少のころから、日本に対する感情を持っていた」ということです。
そのとき、柳寛順(ユ・グァンスン)の本を姪っ子が持ってきました。
「日本人のせいで、体を六つ切りにされて死んだ」と聞いていた私たちは、涙を流しながら懺悔をしたものです。
私がきたのは贖罪のためであり、「自分の幸せよりも、神様が喜ぶことを優先すべきだ」と、思っていましたから……。
「日本のせいで死んだ、独立運動家は素晴らしい精神を持っていた」と、思い込んでいました。
日本を嫌いになったエピソード3.好奇の目
私を待ち受けていたのは、韓国人たちの好奇な目でした。
日本のほうが当時はるかに暮らしやすく、女性たちは職業も持っています。
それらをすべて捨てて、どこの誰かもわからない人と、喜んで結婚したのですから、当然のことです。
そして反日感情がありますから、日本人だと知ると遠くから見はしますが、近くにはきません。
子どもが生まれて育てる過程でも、韓国人の反応は半々でした。
「外国からやってきて、子育てをすることがどれだけ大変だろうか」と、なぐさめてくれる方もいれば……。
あからさまに教会の批判をして、自分の子どもと遊ばせないように、命令する親もいました。
そういう人は、決して自分の顔は見せません。
私の子どもに、「うちの子とは遊ばないよう」に言うのです。
それをそのまま伝えてくれる子どもの友だちは、「なぜそうしなければならないのか」分からなくて、残念がっていました。
遊んでいる途中でも、母親から呼び出しがかかって、家に帰らなければならないのです。
日本を嫌いになったエピソード4.行方不明事件
反日感情とは少し離れますが、子どもたちが幼稚園にいたころ、幼稚園生には見えない女の子が幼稚園にいました。
その子は小学三年生くらいに見えましたが、私の二人の娘たちとよく遊んでくれていた、その女の子。
ある日、いつものように女の子と娘たちが公園で遊んでいたのですが、気が付くと、いつの間にか、いなくなっていました。
夕方からずっと探しましたが、見当たりません。
女の子が知的障害を持つ子だと知ったのは、幼稚園の園長先生に電話して聞いてから。
なんでも、下の兄弟が赤ちゃんのため、お父さんの兄弟の家で暮らしていたそうです。
結局、次の日の午前2時ごろに、子どもたちは見つかりました。
家から遠く離れた、大型スーパーにいたそうで……。
夜遅くに子どもたちだけでいるのを不審に思った男性が、子どもに家の電話番号を聞いて、電話してくれたのです。
その子の親からは、最後まで謝罪の言葉がありませんでした。
むしろ子どもたちが「○○(その子)とは遊ぶな」と、先生に注意をされて終わり。
日本でもし同じようなことがあったら、親が謝罪にくると思います。
何事もなかったからよかったものの、夫には責められるし、子どもはその後も遊び続けるし……。
韓国での子育ての難しさを感じました。
日本を嫌いになったエピソード5.反日感情の犠牲者
幼いころから反日教育が行き届いている韓国で、日本人の母を持つことは、子どもたちにとっては災難なことでした。
日本人の母親がいると分かると、子どもたちはいじめられるのです。
上の娘は韓国人のお父さんがいるにも関わらず、「日本人」と呼ばれ、ボールペンを投げつけられたりしました。
男の子たちに囲まれて、「嫌な思いをした」と言います。
下の娘も、「なにかにつけて、教師が家庭環境などを好奇の目で見てくる」と、いろいろ聞いたりしました。
娘は中学生になると、日本人の母親がいるということを、級友の誰にも言わなかったそうです。
日本人の母親というだけで、私も、子どもたちも、反日感情の犠牲に。
マインドコントロールされていたころは、それすらも「日本の罪を償うために仕方のないこと」と思っていたのです。
まとめ
ニュースやネットの記事を見ると、韓国人は反日教の信徒たちのように思えます。
日本を好きだと言えば、親日として社会的な制裁も受ける可能性があり、あからさまに親日だと言うことはできません。
韓国と日本のはざまで生きてきた過去の時間は、いろんなことを体験し、学んだ日々でした。
ですが、反日感情だけはどうしても受け入れることができないのです。
「韓国と日本が、隣国として手を合わせて生きられたらどんなにいいだろうか」と思います。
隣同士でいがみ合う姿は、両方の血が混じった子どもたちにとっても、悲しいものでしかありません。