37歳女性。
現在は、所有している薬剤師資格を活用し、ドラッグストアでの調剤担当として勤務。
22歳のときに、当時の同級生と結婚し、翌年には子どもを出産しました。
しかし、元主人との間の生活の不一致などから、26歳のときにはじめての離婚を経験。
以後、仕事と家庭を両立しながら、男の子を育てるシングルマザーとして活動中。
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妊娠できたエピソード1.周期を狙っても、なかなかできない妊娠
今から10年以上も前のできごとなので、当時はまだ、今ほど「妊活」というキーワードが定着していません。
「妊活を行っているのに、なかなか思うように妊娠できない」
その悩みに苦しむ女性は決して少なくなく、実際に私もそうでした。
当時、まだ20代前半という、若い年代だった私。
年齢的に、出産適齢期を逃しているというわけでも、決してありません。
なので、普通であれば、すぐにでも妊娠できるはずだったんです。
ところが、まったく妊娠の兆候があらわれません。
主人とは、結婚前の婚約中のころから、行為をときどき行っていたにも関わらずです。
ただ、そのときはまだ正式に結婚しておらず、婚約中であり、時間的な余裕もあった状態。
なので、それほど焦っていなかったのです。
ですが、正式に結婚してからも、そのような状態が続き……。
主人との夜の生活を定期的に実践しながらも、なかなか妊娠の兆候があらわれないときには、さすがに自信を失いました。
妊娠できたエピソード2.周りからの期待を重圧に感じはじめる日々
20代前半の男女が結婚したのですから、否応なしにも、子どもを待望する圧力は存在します。
実際、私の両親からも、「無理だけはしないでいいからね」という、優しい言葉をかけてもらっていました。
しかし、無言の重圧とでもいうのでしょうか?
明らかに、孫の誕生を期待している感情がちゃんと伝わってくるんですよね。
私の両親以上に、過度の重圧を伝えてきたのが、主人側の義父母でした。
私の家と比べ、主人側の家は、家柄的にも格式を重んじるタイプ。
とくに、長男でもある主人と結婚した私に対し、孫の誕生を期待する行為が日増しに、強くなっていきました。
もう自分のなかで「どうにでもなっちゃえ!」と、半ば自暴自棄になってしまうほど。
「孫の誕生はまだか?」
主人のほうにも、義母側から、何度も連絡があったようで……。
一時期は、主人と妊活を毎日実践したくらい。
それ以外の工夫も、もちろんしっかりと実践していた私。
たとえば、主人の晩ご飯に精力がつくものを優先的に使うなど、ありきたりな方法も実践しました。
私自身も妊活前の入浴時に、妊娠しやすい体温にするため、夏場でも熱い湯船に長時間浸かって、体温を高めたりなど……。
それまで、いろいろな努力を実践してきたと思います。
そんな涙ぐましい努力を夫と私の、双方で実践しながらも、結局、状況は変わらず。
結婚してから、正式に1年を迎えるまでの間に、妊娠という嬉しい結果を手に入れることはできませんでした。
妊娠できたエピソード3.やっとあらわれた、妊娠のサインに感激
妊娠という結果を手に入れるために、さまざまな努力を実践していた私。
ですが、とうとう、正しい知識も技術も持たない素人ができる手段は、すべて出尽くした状態に。
それでも、周りからの重圧や、なによりも「自分自身が愛する男性との間に、早く子どもを設けたい!」という強い思いがありました。
なので、めげずに妊活を続けることに。
そこではじめて思い立ったのが、医療機関で妊活をサポートしてもらうという方法です。
今でこそ、当たり前になった病院での妊活なんですが、当時はまだ、それほど認識されていません。
なので、身近な環境で、妊活をサポートしてくれる病院はなかったんです。
それでも、「妊娠したい!」という思いが強かった私。
なので、自宅から車で片道30分はかかる病院まで、通う日々を送ります。
先生も、私の「妊娠したい」という情熱に根負けされたのか、全面的にバックアップして下さったんです。
その結果、とうとう妊娠することができました。
妊娠という事実を知ったきっかけは、実はとてもありきたりなんですが、突然訪れたつわりです。
朝起きたときから、なんとなく気分が優れなくて、身体はだるく、ちょっと熱っぽい感じがしました。
最初は「風邪かな?」と、セルフ診断していたのです。
主人を送り出したあと、自分の朝ご飯を食べるために、準備をしていたところ、突然、強い吐き気が。
体調を崩してしまったときや、腹痛のときにありがちな吐き気ではありません。
なにも食べていないのにもかかわらず、体にあらわれた強い吐き気と食欲不振です。
その際、「もしや」と思って、早速妊活中にお世話になっていた産婦人科に行って、診察してもらったところ……。
先生から「おめでとうございます! 努力が報われましたね」という、嬉しい言葉をいただきました。
あれから、10年以上経過しています。
ですが、そのときの言葉と、それを聞いた瞬間の私の舞いあがるような嬉しさは、今でも、しっかり覚えているほどです。
人生で、もっとも嬉しかった瞬間の1つといっても、決して過言ではないですね。
まとめ
「妊娠した」という事実を聞いてからは、とにかく、自分の身体のことを第一に考えた生活に、ウェイトをおくようにしていました。
間違っても、流産や死産といった、悲しい結末にはしたくなかったです。
出産したことに対して、とても喜んでくれただけでなく、全力でバックアップしてくれた両親や義父母。
そんな周りのおかげで、それからおよそ半年ほど経った吉日に、無事に男の子を出産することができました。
元気に健康に育ってくれている息子の姿を見るたびに、今でも心からこう思います。
「諦めずに、妊活に邁進して、本当に良かった」と。