41歳女性。専業主婦。子どもはひとりっこで、大事に手をかけて育てている。しつけには厳しいが、ひとりっこなので、案外甘いところもある。数年前まで働いていたが、現在は自宅で専業主婦をしている。趣味は、カルトナージュとフラワーアレンジ。
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私がいじめの加害者の親となってしまったエピソード1.部活の先生から電話がくる
ある日のこと、夕方遅くに電話が鳴りました。
電話に表示されていたのは、子どもの中学校の番号。
子どもは、もう帰宅していましたので、「なんだろう?」と、思いながら電話に出ると、部活の顧問の先生からでした。
これまで、部活の先生から電話をもらうことなど、ありませんでした。
先生は少し怒った口調で、子どもが同じ部活の子を殴ったと言います。
一瞬、息を飲みましたが、案外、冷静に話を聞けたのを覚えています。
「暴力ですから!」と言われた言葉が、耳から離れませんでした。
よく、テレビなどで「まさかうちの子が!」と言っていますが、本当にそんな気持ちです。
ショックでした。
しかし、事実を受け止めるしかありません。
私がいじめの加害者の親となってしまったエピソード2.子どもを問いただす
電話を切ってすぐ、子どもに顧問の先生から電話があったことを伝えました。
子どもはふてくされていましたが、殴ったのは事実だと認めました。
いじめは、部活の仲間ほぼ全員でやっていたらしく、「私だけじゃない」と、言いはったんです。
加害者なのに、言い逃れする我が子に、イラだちを感じました。
大勢で、ひとりをターゲットにするなんて、許せない気持ちで一杯。
自然と、子どもをにらんでいたのかもしれません。
その子は、小学生のときから仲良くて、よく遊びにきていました。
当然、お母さんのことも知っていたので、合わせる顔がありません。
とんでもないことをしたと、頭のなかがパニックでした。
恥ずかしくなったのと同時に、相手に怪我はなかったか心配になってきました。
「もし訴えられたらどうしよう」という、怖い気持ちもあったと思います。
私がいじめの加害者の親となってしまったエピソード3.子どもを連れてあやまりに行く
いてもたっても、いられなくなり、すぐに菓子折りを用意して、子どもとふたりでその友人宅へ向かいました。
子どもは嫌がるかと思いきや、文句も言わずについてきたのです。
私は、その様子を見て少しホッとしました。
車を運転しながら、第一声はなにを言うか考えていました。
もちろん、今回のような事態ははじめての経験だったので、私もどうしていいかわりません。
とにかく、あやまるしかありません。
友人の家のチャイムを鳴らすと、お母さんと友人も顔を出してくれました。
怪我はなかったか確認して、とにかく、あやまりました。
当然、子どもにもあやまらせました。
相手のお母さんは、小学校のころからよく知っていて、非常に温厚な人です。
でも、すごく恥ずかしい気持ちになりました。
相手の子もニコニコと笑っていたので、ホッとしたのを覚えています。
いじめは、やられるほうの親も辛いですが、やるほうの親も辛いものですね。
しばらく、自分の育て方かたが間違っていたのだろうかと、自問自答していました。
これまで生きてきて、こんなに恥ずかしい思いをしたことはないかもしれません。
「情けない」と、溜息ばかりついていたと思います。
私がいじめの加害者の親となってしまったエピソード4.顧問の先生へ会いに行く
翌日、顧問の先生をたずねました。
ズケズケとものを言う、生徒からも怖い先生でとおっている人です。
生徒指導の先生でもありましたから、想像がつくでしょうか。
私は、緊張しながら先生にあやまりました。
「一歩間違うと、怪我しますからね!」と、強い口調で言われ、私は少々へこんでしまいました。
子どももガッチリ叱られたようですが、私も叱られ穴があったら入りたい気持ちです。
顧問の先生に、「あなたの育てかたが悪い」と、言われているようなものですね。
そこまで言われているのに、私はまだ「うちの子に限って」みたいな気持ちが、心の奥底にありました。
甘ちゃんですね。
多分、どんな親でもやっぱり我が子がかわいくて、かばってしまうのでしょう。
どれだけ悪いことをしたって、我が子は憎めない。
つい、美化したり正当化してしまうのでしょか。
自分も、多くの親と同じでした。
私がいじめの加害者の親となってしまったエピソード5.自分の心の葛藤
この一件を処理すべく、やれることはやったものの、私の心には深い傷跡が残りました。
それは、自分の子育てへの自信喪失です。
いい子に育てようと、一生懸命にやってきたのに、失敗だったのだろうかと不安になりました。
たしかに、中学生の時期は多感期であつかいが、むずかしいとは言います。
しかし、人への思いやりや優しさは、十分に教えてきたつもりだったのに。
全員がイジメをしているなかで、自分だけが加わらなければ、自分にまわってくると言います。
なんとも、理不尽だと思いました。
ですが、やはり子どもには、人の痛みがわかる人間になってほしいと思います。
それをどう子どもに伝えて、これからどう育てていけばいいのか、答えが出ないままです。
まとめ
いじめは、大人の社会にも存在します。
ですから当然、まだまだ未熟な子どもの世界では、大なり小なり日常的に起こっているのかもしれません。
今回、いじめる側の親になって、自分の育てかたを考えさせられました。
そして、いじめる側の親も、辛いことを知った事件でした。