いじめられ精神病院に入院しそうになり、やり返したエピソード4編

燃える

中学2年生のころに、私が気管支喘息で休んでるあいだ、私がありもしない悪口を言っていたと噂をたてられました。毎日、「死ね」とか「性悪女」とか「ブス」だとか書かれた手紙が、ポストに入っていました。私は、登校拒否になりました。自殺もはかり、2年生には学校に行けなくなりました。3年生になって、親が動いてクラスを別々にしてもらい、髪もストレートにし、別人になりました。自分に自信をつけて、大腕をふるって学校へ行き出し、イジメた子らにやり返してやりました。

 

 

いじめられたけど、やり返したエピソード1.軽いいじめにたえた日々

なく

 

中学2年生のころ、小学校から仲の良かった子が数人いて、私たちはの仲間でA子だけ別々のクラスになりました。

A子は、毎日家まで迎えに来てくれて、私たちは一緒に登校していました。

 

クラスで一緒になった、B子、C子、D子となにをするのにも、一緒につるんでいたんです。

中学1年生のころに、男子生徒から軽いイジメにあったときも、全力で守ってくれてました。

 

中学2年生になると、クラスも別れたので、男子生徒からのイジメはなくなりました。

自分でいうのもなんですが、わりとあかるい性格で、芸能人のモノマネしたり笑いの絶えないグループだったんです。

 

ですが、B子はその場にいない友だちを「あの子って、性格悪いとこあるよね」とか、言うような子でした。

しかし、とくに気にせず、接していました。

 

いじめられたけど、やり返したエピソード2.本気のいじめの開始

悪口

 

だけど、私が気管支喘息になってしまい、2週間ほど学校を休むことになったときに、事件が起こったのです。

私が休んでいる間に、B子がC子とD子に私の悪口を言っていたのです。

 

当時は携帯もなかったので、手紙がきました。

「お前、陰口ばっかり言って、最低!もう顔も見たくない!学校来るな!」という内容。

 

1通ではなく、なん通もです。

私は、心当たりもないので、学校に行くのが怖くなりました。

 

朝と夜も逆転し、親も心配していましたが「まだしんどいから」と、気管支喘息が治っても、学校へは行きませんでした。

それでも、毎日B子からの手紙は届きます。

 

まさかの、カミソリが入ってたこともありました。

 

いじめられたけど、やり返したエピソード3.精神病院に連れてかれる

通院

 

だんだん、生きてる価値がわからなくなってきました。

学校へ行っても、イジメられる。

 

絶望を感じ、私はとうとう、睡眠薬を大量に飲みんだのです。

涙を流しながらも飲みきり、時間がたつごとに、頭がボーっとしてきたことを覚えています。

 

気がついたのは、3日後でした。

そこは、病院でした。

 

親は、毎日届いていたグループの子らからの手紙を読んだみたいで、なぜ私が命を絶とうとしたのか、理解していました。

親も、A子も優しかったです。

 

それから退院をして、親に精神科に連れて行かれました。

薬の管理や、部屋の管理も親がしていました。

 

ある日、精神病院の閉鎖病棟へ入れられそうになり、私は「嫌だ!」と泣きながら、父の腕を離しませんでした。

「お前が死のうとする限り、ここへ入院させる」そう、言われました。

 

私は「どうして、こんな恐ろしいところへ入れようとするの?」と、泣きながら訴えたのです。

手を放そうとする父に、「わかった!もう死のうとしないから!」と、泣き叫びました。

 

父も泣いていました。

父の腕からは、私のひっかき傷があり、流血していたのです。

 

いじめられたけど、やり返したエピソード4.SMAPに助けられ殴りにいく

音楽

 

私は、音楽を聴くようになりました。

SMAPの「心の鏡」という曲が、私を応援してくれてるように感じ、ずっとその曲を流し続けました。

 

だんだん、「私がなんで死ななきゃいけないんだ!」そう、思えるようになったのです。

もう3年生に上がるタイミングだったので、校長にほかの子とクラスを離してくれるよう、親が頼んでくれたんです。

 

私は自分を変えるため、まず美容室に行きました。

イメチェンをして、3年生になってから、A子とまた一緒に学校へ行くことができました。

 

変わった私を見て、学校のみんなが振り返ります。

私は、自分に自信をつけたおかげで気にせず、学校生活をすごしました。

 

新しいクラスのみんなは、あたたかく接してくれたんです。

前みたいにモノマネしたり、面白おかしい自分に戻り、楽しい学校生活でした。

 

しばらくたってからB子、C子、D子を別々に呼び出して、1発ずつ殴ったんです。

「私は、悪口なんて一切言ってない!」と、すごむと、三人ともおとなしくなっていました。

 

まとめ

毎年のように、若くして、イジメで命を放棄してしまう人が増えています。

ニュースを見るたびに、心が痛みます。

 

私が命を絶とうとしたのは、ある意味、危険信号だったのかも知れません。

運良く命は救われましたが、今回の私へのイジメは、B子からしたらうらやましかったのかも知れません。

 

かならず、イジメられる側にも原因はあるはずです。

でも、被害者であることに間違いはありません。

 

私みたいに、死を覚悟してはい上がる力を、どうかつけてほしいです。