42歳、女性、フリーライター。結婚後約10年間、夫の仕事の関係で日本各地を転々とする。そのため姑とはあまり接点がなかったが、最終的に夫が転職をして、一人で姑が生活する実家に戻ることを決意。それから夫、私、子供二人、姑との生活が始まる。姑との生活の窮屈さに、現在本気で求職活動中。
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姑をうざいと思ってしまったエピソード1.いちいち行動を横目で見ている
姑と同居をはじめると、いろいろなことが気になります。
私も姑の行動が気になるので、横目で見ることが多いですが、それと同様に、姑にも行動を見られています。
はじめはその視線を感じながらも、気にはならなかったのです。
それは今考えると、姑も少し遠慮をして、あからさまに見ていなかったということが原因でしょう。
しかし同居をはじめて時間がたってくると、だんだん視線を感じることがふえていったのですね。
つまり姑もわたしのことがいちいち気になるので、なにをするときにも見てしまう。
また見ることに遠慮がなくなったということがその理由です。
同居なので、行動を見られることは仕方がありません。
しかしなにかをするときに、いちいちのぞき込むような視線を感じることや、つねに監視されているような気分にさせられるのでうざいなと感じています。
姑をうざいと思ってしまったエピソード2.なにが食べたいかいちいち聞いてくる
姑とはもちろん他人同士なので、どんなものが好きなのか、聞いてみないとわかりません。
また二人が歩み寄るためには、言葉で確認をしなければ理解できないことはわかります。
しかし買い物の前になると、いちいちなにが食べたいのか聞いてくることは、正直言うとうざいです。
それは、「もし食べたいものがあるのなら、自分で作ってよ。今日は嫁が作ってふるまったらどうなの?」という姑の気持ちが隠されているからなのです。
過去に一度言われたことがあります。
同居をはじめたときには、姑の管理する台所にどのように入り込んでいったらいいのかわかりませんでした。
そのため調理にはかかわらず、洗いものなどにてっしていたのですね。
しかしそのときに「食べたいものがあるのなら、自分で作らないとね。自分もたまには休みたいな」などという言葉が姑の口から発せられたのです。
それを聞いて、私は「姑に変わって自分がつくるべきなのか」と悩みました。
今でも「なにが食べたい?」とよく聞かれます。
しかしここで食べたいものをいうと、「今日は自分で作れよ、たまにはなにかしろよ」と言われているような気がするので、私は食べたいものを言いません。
もういい加減に食べたいものを聞くのはうざいので、やめてほしいです。
姑をうざいと思ってしまったエピソード3.子どもがギャン泣きすると夫を使って見にくること
子どもが二人います。
また1人は3歳なので、まだまだイヤイヤがあり泣くこともしばしば。
姑がいないところで、もしも子どもが泣くと、夫が飛んできたことがありました。
同居前は、夫は子どもが泣いても放ったらかしの人でした。
そのため、「なんで泣いているのを見にきたんだろう」と不思議に思いました。
しかし、そのような子どもがはげしく泣くと、夫がくるという状況がなんどか続いたのですね。
それであるとき、ふと気が付いたのです。
これは姑が夫を使って見にいかせているに違いないと。
そして姑の「ちょっと見て来て」という言葉で私の思いが確信に変わりました。
姑は子どもが突然泣いたりすると、私が「子どもを虐待をしているのではないか」と思っているみたいです。
そのため、子どもが泣くと、夫をつかって私の行動を見にこさせていたのですね。
私の行動を疑っているということにもうざさを感じましたが、それよりも自分の子どもである夫をうまく使って、私を見にこさせている、ということに腹立たしさを感じました。
そして今でもその行動が続いているので、姑の行動ってうざいと感じています。
姑をうざいと思ってしまったエピソード4.祖先やしきたりを重んじること
姑は、祖先やしきたりを大切にする人です。
もちろんその心は素晴らしいと思います。
しかしそれが私にとっては重荷です。
同居をはじめてから、客間に季節のものを飾ったり、季節ごとに行事をするのはもちろん、食事に関してもその季節のものを取り入れるのは必須。
また「今日はなんとかの日だから、これをたべなければ」と言うのも必須。
はじめはこのような感覚が私にはなかったので、ある意味新鮮でした。
しかし時間がたつと、少しうざくなってきたのですね。
なぜなら、子どもがいるので、忙しいし、そのようなことがすべてできるわけではありません。
子どもだって、季節の食べ物をいつも食べたいわけではありません。
だから食材の応用やアレンジも大切だと思います。
姑の場合はそのアレンジがきかないし、頭の固い人なので、しきたりにのっとっておこなう人なので、うざいなと感じてしまいます。
姑をうざいと思ってしまったエピソード5.子どもは母校に行かせたいという思い
子どもの保育時間や教育に関してはよく考えたかったのですが、姑の考えは、「夫などが通っていた母校に通わせたい」という思いでした。
私はいろいろと見学に行き、最近の保育園事情などの説明もしましたが、聞く耳を持ちません。
どんなにほかにいい学校があったとしても、ほかによい教育方針があったとしても、「絶対に母校がいい」という考えなのです。
その考えに沿って学校を選ばなくてはいけないことがうざかったです。
もっとほかのところを選ぶことができたなら、学校の送り迎えなども楽だったのにと思うことがたびたびありました。
まとめ
姑というのは、女性同士、だから気が合わない、うざい存在であることはまぬがれられません。
また同居をして、はじめてわかったうざさというのもあります。
きっとこの思いは先にも続いていくでしょう。
もしもこの考えに共感してくれる人がいるとうれしいです。