現在、中学生の子どもふたりを育てるシングルマザーです。子どもが2歳、4歳のときに離婚して再婚せずがんばっています。日々、ひとりで仕事、家庭を両立させるのはしんどいですが、あっという間に10年たち、子どもも成長していろいろと、支えになってくれるようになりました。
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私が仕事で辛いと感じたこと1 .家計を支える重圧
私は、子どもが2歳と4歳のときに離婚しました。
離婚後は、実家のある埼玉県に移ってきました。
まず、子どもの保育園探しからはじめ、並行して職探しもしました。
保育園の費用は、シングルマザーのため無料となりました。
しかし、新しい住居の家賃はもちろん、引越し費用や家財を1からそろえる費用など、貯金がどんどんなくなりました。
養育費も取り決めないままだったので、親子3人の家計を自分が支えていかなければならず、重圧が大きかったです。
子どもはまだ小さかったですが、正社員で就職しました。
正社員でも、中小企業への途中入社で、お給料は生活費ぎりぎり。
賞与もしばらくはもらえません。
余裕がほとんどないまま、家計をひとりで支えていくことになりました。
私が仕事で辛いと感じたこと2. 残業が多い
小さい子がいても、採用してくれた会社でしたが、残業が毎日1時間はかならずありました。
1時間残業すると、保育園のお迎えがギリギリになってしまい、毎日、かけ込むようにお迎えに行っていました。
週に1度が2度は、時間がすぎてしまうこともあり。
実家の両親に、お迎えをお願いすることもしばしばあり、精神的に苦痛でした。
私が仕事で辛いと感じたこと3.求められるスキルが高い
試用期間をへて、なんとか正社員に登用はしてもらいました。
しかし、仕事に求められるスキルが高く辛かったです。
職種はSEだったのですが、常に勉強していないとついていけません。
進化するテクノロジーにも対応しなければならず、スキルを磨くための勉強が大変でした。
私が仕事で辛いと感じたこと4.体が辛くても休めない
職場はぎりぎりの人数で、自分が休むと仕事に多大な影響が出てしまいます。
少しくらい体調が悪くても、気軽に休めませんでした。
とくに、小さい子どもは保育園で風邪を移されてきます。
子どもの病気で休むこともあったので、自分自身のことではさらに休みづらかったです。
一度、利き手の手首をひねって痛めたことがありました。
それでも、湿布をしながら、パソコンのキーボードを叩かなければいけなかったのが、辛かったです。
私が仕事で辛いと感じたこと5.学校行事に参加できない
父親もいる家庭なら、交互に休みをとって子どもの学校の行事に参加できます。
家はひとりだったので、毎回、私が休むわけにいきませんでした。
子どもの成長を見れるような、授業参観には出席したかったですが、ほとんど出ることができませんでした。
PTAの役員も、全部は出席できず、活動が中途半端になってしまうのが辛かったです。
私が仕事で辛いと感じたこと6.会社の行事が多かった
戦後創業された、ワンマンオーナーの会社で、昭和の社風も多く残した企業体質でした。
そのため、「上司や同僚と、親睦をはかるため」と、いわれて時間外のイベントがあることが辛かったです。
とくに大変だったのは、地域のボランティア活動として、1時間早く出勤させられたことです。
ゴミ拾いをしたり、土曜日に講演会に参加させられたり、準備にかり出されたりもしました。
休日に、出ても手当がでるわけでもなく、子どもとの時間もとれず、辛くてたまりませんでした。
しかし、参加は厳しくチェックされ、活動に貢献が低いと賞与の査定にも影響するのです。
労働組合もなく、社長の一存で規定が決まり、改善していくような動きもないので、社員の入れかわりも激しかったです。
私が仕事で辛いと感じたこと7.子どもに寄りそう時間が取れない
高度経済成長時代のモーレツ会社のような社風のなか、生活の比重は会社にかたよりました。
子どもに寄りそえる時間や、精神的余裕がなくなっていき辛かったです。
日々の宿題をこまめに見てあげたり、学校でなにがあったのか、話を聞いてあげることもできませんでした。
家事も大変で、家がどこかしか乱雑だったのが、落ち着かない気持ちでした。
料理はがんばってレトルト類をあまり使わずバランスよく用意するよう心がけていましたが、本当に大変でした。
私が仕事で辛いと感じたこと8.職場の人間関係がむずかしかった
人の入れかわりの多い部署でしたが、働いていたのは独身、実家暮らしの女性ばかりでした。
私のように、ひとりで子育てをしているような人はいませんでした。
そのため、会話や話題も合いませんでした。
職場に共感しあえるような人間関係がなかったのは、少し辛かったです。
やっぱり、日常で親身に話せるような同僚がいると、気分も軽くなったと思います。
まとめ
こんな感じで、10年がむしゃらにがんばってきました。
正直いうと、辛いと感じる余裕もないくらいの忙しさでした。
これからも、頑張っていきたいです。