35歳、女性、専業主婦。
地元は京都府の田舎で、緑が豊かな地域です。
多くの人が専業農家として、生計を立てていました。
ですが、私たち親の世代ぐらいから、「兼業農家にして、外で仕事を持つ」という人が増えてきたようです。
田舎特有の排他的なところが、まだまだ残っています。
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田舎の闇を感じ、怖いと思ったエピソード1.都会からきた転校生がいじめられたこと
私の通っていた小学校、中学校は実家近くの公立の学校だったのですが、かなり田舎の地域でした。
近くに住んでいる子どもはほとんど、「中学までは一緒の顔ぶれで通う」といったところだったのです。
ですが、たまに都会から、転校生がやってくることがありました。
「転校生は人気があり、人が集まってくる」という話をよく聞きます。
しかし、私が通っていた学校で過ごしているメンバーは、幼稚園から常に同じ。
なので、ほかの子が入ってくることに対して、抵抗感もあったように思います。
「田舎に対して、受け入れている様子の子」、「違和感のないような子」はいいのです。
しかし、ちょっとおしゃれな雰囲気だったりすると、アウト。
とくに、東京出身などの場合は、仲間に入れてもらえずに、無視されていることもありました。
「調子に乗っている」「イントネーションがおかしい」
などといったことで、陰口が広まっていたりもしましたし、孤立してしまう子もいましたね。
私は、そういったいじめは嫌いなので、当たり障りなく接していました。
しかし、あからさまに、最初の段階で拒絶している子も、少なくなくありません。
今振り返ると、「田舎特有のことかな」と思います。
都会では、いろいろなところから人が集まってきていて、出身地もバラバラですし、話している言葉もさまざまです。
しかし田舎では、昔から田舎に住んでいる人の子どもたちが、続けて住んでいるということがほとんど。
そのため、地元意識が強く、排他的なのです。
「田舎は、とにかく怖い」
高校に通い都会に出てから、「田舎の独特の雰囲気だったな」と実感しました。
田舎の闇を感じ、怖いと思ったエピソード2.都会からやってこようとしていた、住職の人を断ったこと
今から20年ほど前なのですが、私の祖父が村の代表をしていたときのこと。
前の住職が亡くなってしまい、新しく住職を探すことになりました。
しかし、「田舎に住んでもいい。きたい」という住職が、なかなかいません。
そのため、「誰にしようかな」と、祖父たち村の代表者の人は頭を悩ませていたのです。
そんなときに、「住職として移り住んでもいい」という人がいました。
しかし、その人は東京出身の人。
そのうえ、商売人をしていて、それでうまくいかずに、仏門に入ったという人でした。
「移住する覚悟でくる」と言ってくれていたのですが、「どうしようか」と、皆で話し合うことに。
しかし、このとき「この近くで、慣れている人のなかから選びたい」という意見が多く、そのオファーを断ることになったのです。
祖父は先進的な部分もあり、「村に新しい風を入れる意味でもいい」と、思っていたようで……。
しかし、「うまくいかない」と嘆いていましたね。
話しを聞いていて、排他的な村の人たちに、「古臭いな」と思いました。
結果的に、近くのお寺で修業をしていた人が着任。
しかし、なかなか住職としてというのは慣れていない人だったので、就任してからも、問題が続出。
いろいろと仕事に慣れるまでは、不手際もあったようで、村の人たちが信頼するまでに時間がかかりました。
「どこからきてくれる人でも、しっかりと仕事を全うしてくれる人ならいい」と思ったのですが……。
そうではなかったことに驚いたことを、今でも覚えています。
田舎の闇を感じ、怖いと思ったエピソード3.村に昔から住んでいる人と、途中から戻ってきて住んでいる人を区別していること
私の住んでいた実家の地域では、多くの人が、「ずっと前の先祖の時代から、住み続けているという人」で構成されています。
しかし、たまに大学や就職で都会に出て、そのまま都会に住み、いろいろな事情で途中から、田舎に戻ってくる人がいるのです。
田舎では、そういった人と、ずっと住み続けている人に対しての扱いが違います。
祖母の世代ではとくにそうなのですが、ほとんどの方がこう言うのです。
「○○さんは途中から戻ってきて、ここに住んでまだ浅いから、○○(地元の地域)の人というふうには言えないところもある」と。
その人はしばらくは都会に出ていたようですが、村に戻って住んでから20年。
しかし、「ここに住んで浅い」というふうに言われ、「不思議だな」と思います。
祖母は70年近く住んでいるので、そういったところでは新しい人になるのかもしれません。
ですが、ふとしたときにそういった言葉が出るので、闇を感じましたね。
また、人の怖さも実感しました。
田舎の闇を感じ、怖いと思ったエピソード4.地域のやり方に捉われていて、伝統を守ろうとしていること
私の出身地は仏教のある宗派です。
そこに住んでいる人は、どこの家も同じ宗教に属していることにしていて、村の中心にお寺があります。
なので、「みんな、そこの檀家さんだ」という考え方です。
都会に出てくると仏教の人もいれば、キリスト教の人もいますし、人それぞれの考えによって信仰も違っています。
ですが、実家地域では、古来からこのやり方。
人それぞれの考え方でいいと思うのですが、「みんな同じ」という横並びを大事にしているのです。
お葬式のやり方なども、最近までは、亡くなった人の家でお葬式をあげて、村の同じ班の人が手伝うという方法が行われていました。
ここ数年ようやく、「セレモニーホールを利用して……」という選択ができるように。
そういったことで、葬式が簡素化されるようになりました。
それまでは誰か亡くなったら、総出でお手伝いにあたることになっていて、実に大変。
村のやり方に固執しているところがありますし、なかなか時代が変わっても、変わろうとしません。
田舎は、村の集まりもたくさんありますし、いろいろと大変です。
そのために、私たち世代からは都会に出る人が増えていき、村のなかでは、高齢化が進行。
その原因は、「このような排他的で、伝統を守ろうとする習慣にある」と、私は思っています。
まとめ
田舎は排他的なところがあり、闇が多いです。
「怖い」と思うのも、当然かもしれません。
「変えていこう」という声をあげるのが、難しいところもありますが、なかなか変わらないと思います。