急に妊娠して無気力になってしまいつつも出産したエピソード2編

遊んでいる親子

4ヶ月半もの長い入院生活が嘘のように、今では家事や子育てに毎日追われて、忙しい日々を過ごしている42歳の主婦です。

 

ときどき、「自分だけの時間が欲しい」と思うことも。

しかし、そんなときは、このときのことを励みに頑張るようにしています。

 

 

急な妊娠で無気力になったエピソード1.急に入院することを言われて、寂しさのあまり無気力になってしまった

妊婦

 

結婚して、二人目を妊娠したときのことです。

1人目も8ヶ月まで仕事をしていたので、「2人目のときもそうしよう」と考えていました。

 

しかし、5ヶ月ごろから、お腹に頻繁に張りを感じるように。

1人目のときには感じていない張りだったので、気になっていました。

 

検診のときに、先生にそのことを話すと、こう言われたのです。

「早産の可能性があり、このまま無理をすると、子宮破裂のリスクもある」と。

 

私はこのとき、入院しないといけないくらいの、お腹の赤ちゃんの状態にショックを受けました。

ですが、「入院生活が4ヶ月半になる」と言われたことのほうが、ショックでたまらなかったです。

 

このとき、1人目の子どもがまだ3歳になっていません。

そのため、4ヶ月半も離れて暮らすのが、寂しくてたまりませんでした。

しかも、「子宮破裂のリスクがあるので絶対安静」と言われて、「4ヶ月半もの間、外出や外泊も禁止」と言われたのです。

 

それから入院する2週間の間、子どもの顔を見たり、話す姿を見ているだけで、涙がこぼれていました。

1人目の子どもが「お母さん亅と言うたびに、離れる寂しさがこみあげてきて、また涙が出てしまいましたね。

 

このときのことを今思うと、かなり情緒不安定になっていたと思います。

入院することになって、仕事も辞めて、そして、子どもも私が入院するので、実家でみてもらうことに。

 

そして入院する当日、子どもと主人と母が病院にきてくれました。

子どもは、私と離れることなどまったく理解していなかったので、私の病室にきてテレビを見たり、おやつを食べたりして、ご機嫌な様子。

そんな様子を見ていると、また涙が止まりませんでした。

 

そして、いよいよ子どもと別れるとき、主人が子どもを抱っこして、車に乗ろうとします。

そのとき、子どもが「イヤイヤ、お母さんも車いっしょ亅と言って、泣きじゃくりました。

泣きじゃくる子どもを主人がなんとか抱っこして、車に乗せましたが、車からは子どもの泣き声がずっと響きます。

 

その姿を病院から見送っていると、なんとも言えない寂しい気分になりました。

まるで、誰も知らない土地に、一人でぽつんと残されたような感じです。

 

それから部屋に帰ると、泣きじゃくる子どもの姿ばかりが思い出して、私も大声で泣きました。

なにもする気が起きず、無気力なまま、ただただぼーっとして、2、3日を過ごしたのです。

 

 

急な妊娠で無気力になったエピソード2.入院した部屋が孤立していて、無気力になってしまった

病室

 

当時、私のいた病室は、赤ちゃんを産んだ人が入院している部屋よりも、かなり離れた場所にありました。

「長い入院生活のため、その部屋でもいいなら、その病院に入院できる」とのこと。

 

正直、1人ナースステーションからも離れていて、リフォームもされていない、寂しい部屋に入院するのは嫌でした。

しかし、「そこに入院できなければ、大きな総合病院の相部屋に行かなければいけない」と、聞かされていた私。

「やはり、慣れている病院がいい」と思い、仕方なく私は了解したのです。

 

それなので、看護師さんや掃除の方と話す以外は、1日誰とも会わず、話さない日が何日も続くことがありました。

「ぽつんと離れた部屋で、4ヶ月半もの間過ごすことになるのか」と思うと、寂しさと辛さがこみあげてきて、なにをする気にもなれません。

その結果、また無気力になってしまいました。

 

私の母も家から病院まで距離があったので、毎日はくることができません。

病院のベッドに入ると、子どもの顔ばかり浮かんで、「早く会いたい」と、そればかり思っていました。

 

仕事をしているときは、仕事と子育ての両立で忙しく自分の時間もなくて、「時間が欲しい」と思っていた私。

しかし、実際に仕事も家事もしなくていい状態になると、そんな気持ちも変わってきます。

自分の時間がたっぷりできた途端、なにもやる気が起きず、ただただ長い1日が過ぎていくのです。

 

自分なりに、「この状態を少しでも、有意義に過ごさなければ」と思った私。

それで、母に図書館から本を借りてきてもらったり、友だちに漫画や雑誌を持ってきてもらい、読んだりもしました。

しかし、それを読み終えてしまうと、またどう過ごせばいいのか分からず、無気力に。

 

なにもしていないと、子どもに会えない寂しさがこみあげてきて、泣いてばかりいました。

入院してる当時は、いつまでも抜け出せない、暗いトンネルにいるかのようでしたね。

 

元気のない私を元気づけようと、週に半分は、母親や主人が子どもを連れてきてくれました。

そのときばかりは会えなかった分、子どものことが愛おしくて、時間を惜しむように過ごしていた私。

 

でも、一緒にいた分だけ、離れるときは辛くて、毎回子どもが大声で泣きじゃくります。

「この状態がいつまで続くのか」と思うと、また辛くて涙が出てしまいました。

 

また、1日があまりにも長く、寂しさや辛い気持ちをぶつけるところがない状態です。

なので、「入院生活のことを残しておこう」と、日記を書いていました。

 

ときどきそれを読み返すことがあるのですが、今見ても、文章になっておらず……。

殴り書きのような文や、「子どもに寂しい思いをさせ、申し訳ない」とか「辛い」とか「なにもする気になれない」という言葉ばかりが書いてありました。

「このときは、本当に無気力な状態だったんだなぁ」と、つくづく思います。

 

入院してるとき、妊娠しているのもありましたが、なにもやる気が起きず、ただひたすら眠っていました。

24時間中、食事をとる以外、ほとんど寝ていたんじゃないかと思います。

今となれば、「よくあんなに眠れたな」と、不思議なくらいです。

 

また、音もしない静かすぎる病室にずっといるうちに、だんだんと不安な気持ちも強くなっていきました。

「退院して、無事に2人育てられるだろうか」と、そればかり考えていた気がします。

やはり、病院に1日中いて、外に出ることもなく、誰と話すこともないので、かなりストレスがたまりましたね。

 

まとめ

結局、そんな無気力な状態が入院中ずっと続きましたが、なんとか無事に、2人目を産むことができました。

4ヶ月半もの長い間の入院生活でしたが、その辛かった状態をときどき思い出し、励みになることが多々あります。

 

「あのときの辛かった入院生活も、無駄ではなかったんだな」と思いました。