私の極貧生活のときの極貧エピソード6つ

家

28歳男性、フリーランサーをしています。

曾祖父の代までは、地域でも有名なお金持ちだった私の家系。

しかし、祖父が会社をだまし取られ、父が借金を背負っていたため、子どものころから貧乏人として生きるハメに。

 

学校は奨学金で通っていたため、成人した現在も、返済に悩んでいる私。

少しでもまともな生活を目指して、ネットビジネスに精を出す日々を送っています。

 

 

極貧エピソード1.ゲームが買えないから、友だちと遊べない

元気な子供

 

私の小学生のころは、まさに「スーパーファミコン」の全盛期でした。

友人たちは毎日のように、ゲームの話をしていました。

「お年玉で、マリオカートを買った」、「ストリートファイターを買ってもらった」など。

 

「誰かが新しいソフトを買ったら、みんなでコントローラーやソフトを持ち寄って遊ぶ」

それが、当時のスタンダードだったのです。

 

その一方、私はというと、家が貧乏だったためにスーパーファミコンを持っていませんでした。

それどころか、自宅にゲーム機器が一切なかったです。

 

友人たちの間では、「一家に一台スーパーファミコンがあるのは、当たり前」という風潮だった当時。

そのため、私はまるで異端者のように扱われます。

 

子どもは残酷なもので……。

「お前だけ一個もゲーム持ってきてないのに、仲間面するな!」

なんてことを言われ、仲間はずれにされたこともありましたね。

 

なかには、スーパーファミコンを持っていない人も分け隔てなく、自宅に招待してくれる優しい友人もいました。

ですが、ほとんどゲームに触れたことのない私は、対戦ゲームでも惨敗を喫する毎日です。

 

そんな状況を見かねた父が、少し無理をして、クリスマスにスーパーファミコンを買ってくれました。

しかし、実はそのころ、世間ではすでに「ニンテンドー64」がゲームの主流に。

なので、スーパーファミコンは型落ちの機種となっていたのです。

 

それでも、はじめて自宅にゲームがやってきた日は、うれしくてたまらなかったですね。

 

極貧エピソード2.ゴミ捨て場から拾ってきた自転車を組み立てて乗っていた

工場

 

小学4年生のころ、私たちの小学校では、自転車に乗るのがブームになっていました。

友人たちは新品の自転車を乗り回し、数キロ離れた公園まで、サイクリングに出かけるのです。

 

私は当初、自転車を持っていなかったため、友人たちのサイクリングにダッシュで付いて行っていました。

とは言っても、走るのが速いわけではありません。

ですので、少しづつ距離を離され、結局、ゴール地点の公園に到着するのは、みんなよりも1時間近く遅れてになります。

 

そのことを父に話すと、どうやら私のありさまを可哀想に思ったらしく、「自転車を用意する」と約束してくれました。

しかし、ウチは貧乏です。

当然、誕生日でもクリスマスでもないのに、新品の自転車を購入する余裕などありません。

 

「どうするつもりなのか」

そう思っていると、父は私を連れて、廃品回収をしている知り合いのもとを訪ねました。

 

ガラクタが、山のように積みあげられたゴミ捨て場を見まわす父。

そして、しばらくすると、ボロボロになった数台の自転車を引っ張ってきたのです。

 

父は壊れた自転車から使えそうな部品を取り外すと、自宅に持ち帰って、それを組み立てはじめました。

実は昔、自転車修理の仕事をしていた父。

そのため、「部品さえあれば、組み立てられる」と笑って言っていたのを今でも覚えています。

 

父特製の自転車はその日のうちに完成し、私は友人とサイクリングができるようになりました。

今思えば、かなり不格好な自転車でしたが、とても大切に乗っていましたね。

その後、盗まれてしまいましたが……。

 

極貧エピソード3.100円のお菓子を買う友人が大富豪に見えた

駄菓子屋

 

私の家は貧乏だったので、当然、お小遣いもお年玉もありません。

小学生のころは、遊びにお金を使うことが一切許されていませんでした。

そのため、友だちと駄菓子を買うことすら、できなかったのです。

 

それでも中学にあがるころには、父の仕事を手伝う代わりに、少しばかりのバイト代をもらうようになっていた私。

当時、父は土木工事関係の仕事をしていました。

私は学校が休みの日になると、父の会社に出向き、雑用のような仕事を手伝っていたのです。

 

中学生に、あまり重要な仕事をさせるわけにはいきません。

なので、私がやっていたのは弁用の用意や、土嚢に土を詰める作業など、簡単なものだけ。

 

そんな簡単な作業でも、1日に2000円くらいのバイト代をもらうことができました。

正式な雇用関係というわけではなく、あくまで「社長さんからのお小遣い」という感じです。

今思えば、社長さんはウチが貧乏であることを知っていたのかもしれません。

 

こうして手に入れたバイト代で、私は部活の備品を買ったりしていました。

当時私は、テニス部に所属しており、ボール代やガットの張替え代金などをバイト代から賄っていましたね。

 

部活帰りになると、部員みんなで駄菓子屋によることが多く、部活で汗を流した部員たちは、思い思いの駄菓子を購入します。

その際、いつも10円のうまい棒や、20円のキャベツ太郎を買っていた私。

 

軽作業とはいえ、休日の丸一日働いて2000円しか得られない私は、お菓子を買うために、何百円も使う度胸がなかったのです。

よくいえば、「お金の重みを知っていた」と表現できなくもありませんが……。

 

しかし、同じ部内には、月に5000円程度のお小遣いをもらっているという友人も結構いました。

そうした友人たちは、私の目の前で、100円や200円のお菓子をバンバン購入。

 

今でこそ「たった100円のお菓子……」と思えますが、当時の私には、彼らがまるで大富豪のように見えたのも事実です。

と言うより、友人を「大富豪」というあだ名で呼んでいたこともありました。

 

さて、あれから10年以上が経った、今の私はというと……。

100円のお菓子は買えるようになりましたが、恥ずかしながら、いまだに200円のお菓子を買う度胸はありません。

 

大人になって一生懸命働いていても、当時の友人たちにはなかなか追いつけないものですね。

 

 

極貧エピソード4.昼メシを食べるお金がなくて、友だちが減る

お弁当

 

これは専門学校に通っていたころの話なのですが、当時の私は、バイトすらしていませんでした。

専門学校の月謝は奨学金で賄っていたため、とりあえず学費には困っていなかった状態です。

しかし、IT系の専門学校は勉強量が多く、「バイトをしている暇がない」という状況でした。

 

同じ学科の友人のなかには、バイトと学業を両立している人がいましたね。

ですが、要領の悪かった私にはその余裕がなく、毎日遅くまで学校に残っては勉強漬けの日々を送っていました。

 

私が通っていた専門学校には、食堂や売店がなく、昼食は学校付近の食堂でとるのが一般的です。

もしくは、コンビニやスーパーで購入した弁当を校内で食べるという形になります。

 

ところが私の場合、勉強のためにバイトも辞めていたので、毎日外食をする余裕などあるはずもなく……。

毎日自分で手づくりした弁当を持って、通学していました。

 

別に、外食に憧れていたというわけでもありません。

それはそれでよかったのですが、問題なのは友人との付き合い方でした。

 

友人たちは毎日、楽しそうにこのようなやり取りをしています。

「昼飯は○○の食堂に行こう」、「奮発して焼き肉を食べてみよう」などと。

 

彼らは一応、私のことも誘ってくれるのですが、毎日外食をする金銭的な余裕はなかったため、ほとんど断っていた私。

また、学校が終わったあとも、飲み会の誘いがあるのですが、こちらも金銭的な問題で断っていました。

 

「お前は、お金払わなくていいから!」

そう言ってもくれるのですが、毎回そんな好意に甘えるわけにもいきません。

 

結局、専門学校に通っていた2年間で、友人たちと食事ができた回数は、数える程度だったと記憶しています。

食事を通して親密になる機会を失っていたせいで、今でも連絡を取る友人は1~2人程度になってしまいました。

 

「貧乏は、人と人との絆を絶ってしまう」

その事実を身をもって実感しましたね。

 

極貧エピソード5.内定した企業の研修に行くための交通費がなくて困る

ショックを受ける男性

 

専門学校時代に勉強を頑張っていた私は、なんとか難しい国家資格を取得し、IT系の企業に内定を決めました。

「IT系の仕事は儲かる」と聞いていた私。

「さぁ、これから頑張って稼ぐぞ!」と、気持ちを高めます。

 

しかし、内定を取得してから数か月後のこと。

その企業から、「これから半年間、研修に参加するように」と連絡がきたのです。

 

当時はまだ、専門学校の卒業までに、半年の猶予があったのですが……。

「在学中の学生が、新年度から即戦力として働けるように研修を行う」とのこと。

 

もちろん、即答で「やります」と答えました。

ですが、問題は研修が行われる場所。

研修場所は内定が決まった企業の社屋ではなく、自宅から車で2時間ほど先にある別の企業だったのです。

 

複数の会社の新入社員が合同で研修を行うため、場所は持ち回りになっていたようで……。

よりによってその年は、私の自宅から最も遠い場所が選ばれていました。

 

私はやむなく自分の車で通うことにしたのですが、困ったことにガソリン代がまったく足りません。

タイミングの悪いことに、当時はリーマンショックなどの影響で、ガソリン価格が高騰していた時期です。

研修場所に行くには、一日1,000円~2,000円の交通費がかかる計算になります。

 

「バスに乗る」という手段も考えました。

ですが、その場所に行くバスは本数が少ないうえ、たいした金額の違いはなかったと記憶しています。

 

研修には一切給料が出ないうえ、往復に時間がかかるため、バイトをしている暇もありません。

ついでに言うと、原油高の高騰で重機が動かせず、父が働いていた土木会社も倒産したころでした。

状況が悪すぎて、親に「ガソリン代をくれ」とも言い出せません。

 

結局、私は内定をくれた企業にかけ合って、研修をキャンセルしてもらうことに。

その後、研修に参加していないことも一因となり、内定は取り消しになってしまいました。

 

極貧エピソード6.「お金がないから、太りやすい」という矛盾

体重計

 

「貧乏な人は痩せている」

そのようなイメージがあるかもしれませんが、実際はそうではありません。

 

少なくとも、日本やアメリカなどの先進国では、貧乏人は太りやすい傾向にあります。

なぜなら、貧乏人でも買える安い食料には、カロリーが高いものが多いからです。

 

カップラーメンやファーストフード、インスタント食品など、安価な食料にはジャンクフードが多いですよね。

野菜を取り入れた食事は、野菜価格が高騰すればするほど、食費に負担をかけます。

 

「現代人は、一日に○○品目の野菜を食べるべきだ」

よくこんな話を聞きますが、一日に何種類も野菜を買うと、来月まで食費が持ちません。

野菜を食べたいのはやまやまですが、結局はお米やパンなど、安くてお腹いっぱいになる食料を選ぶしかないのです。

 

かく言う私も、昔からずーっと太っています。

一度ダイエットを試みたこともありますが、ダイエットもまたお金がかかるんですよね……。

 

まとめ

いかがでしたか?

これらは私が実際に体験した、極貧エピソードの一部です。

 

正直、書いていて自分で悲しくなってきました。

貧乏であるがゆえに、辛い子ども時代を送った方も少なくないと思います。

 

同じような体験談をお持ちの皆さんが、今後は幸せになれますように。