高校卒業後、周囲の反対を押しきり、年の差結婚。
今年で、結婚10年目になります。
親子ほど年の離れた中年夫を持つ28歳で、バリバリ働くアラサー主婦。
子どもが産めない体質のため、落ち込んだ時期もありましたが、偏屈夫1人で手いっぱいなので、現在は「子どもがいなくて良かった」と思える日々を送っている。
旦那に不信感が募ったエピソード1.普通は言えない暴言
結婚して10年目、私たち夫婦は、なるべく風通しのいい関係性を築くために、ある暗黙のルールがあります。
それは、「なるべくためずに嫌なことは嫌と言うようにすること」です。
しかし、私たち夫婦は年の差婚のため、その歳の差は親子ほど。
年の功には勝てず、父親でもおかしくない年齢の旦那に、自分のすべての気持ちを打ち明けることは難しいです。
なので、それについて悩んだ時期もありました。
旦那はもう40代も後半ですが、3兄弟の末っ子として育った性格が、露骨にでている人。
「歯に衣きせぬ」と言えば、聞こえばいいですが、普段から発言にデリカシーがありません。
いわゆる、亭主関白というテンプレートではないものの、末っ子特有のスタイル。
なんだかんだと、自分の要求を押し通してしまう方向に、物事を運ぶのが上手い人です。
なかなか物申せずにいる私の胸のうちを知らずに、その暗黙のルールにのっとって、普段から土足で人の心にあがってくる旦那。
意見の食い違いや本当にちょっとしたことでも、ひとたび口論に発展するなんてことがあれば、大変です。
モラハラを疑うような信じられない発言が、ボロボロと出てきます。
ある夏の日、「帰宅したら、弁当箱を流しに出す」という我が家のルールを破った旦那。
1日、カバンのなかに放置した、弁当箱を当たり前のように差し出してきました。
「夏は放置すると、臭いが落ちなくなるから、必ず忘れずに出してね」と、少し強めの口調で頼んだのです。
すると、そこから口ゲンカになってしまいました。
徐々にヒートアップしていったのちに、旦那が「お前のつくる飯は残飯だ!」と言ったのです。
旦那の繰り出してきた、とんでもないパンチラインに、ビックリしてしまい、私は頭が真っ白に。
あまりの衝撃に、ぐうの音も出ず、私はただただ、ダラダラボロボロと、止まらない涙と鼻水を拭くこともできずに、呆然としてしまいました。
たしかに旦那は料理が一切できず、人に料理をつくるという行為を経験していません。
しかし、いくら頭に血があがっていても、私が一生その言葉を人に対して発言すること自体、考えられないですし、ありえないこと。
「いったいこの人は、どういう物の考えをしているんだろう」と、一気に不信感が高まりました。
もう何年前のできごとになりますが、今思いだしても、昨日のことのように悔しいです。
「なぜあのようなささいなことで、そこまで言われなくてはならないのか」
納得することができずにいます。
旦那に不信感が募ったエピソード2.究極の気分屋
旦那の気分屋の一面の、本当の恐ろしさに気づいたのは、ごく最近になってからです。
歳の差婚の利点は、「年長者ならば精神的に甘えても、許されるのではないか」という考えが結婚当初、私にもありました。
年齢的なものも考えて、収入が同じということは絶対にありえないので、当たり前だとは思うのです。
なので、経済的には私が甘えることも多いのですが、毎日同じ屋根の下、死ぬまで一生ともに暮らしていく夫婦。
旦那は「経済的な面よりも、精神的な面で支えてほしい」と思う私の心に、激しく賛同するときもあります。
しかし、ときとして気が向かないときは、適当に合わせて私をいなすこともあれば、完全に無視。
または自分の稼ぎを盾にして、私に発言権を与えないための攻撃に出ることもあります。
そのため、結局、心から分かり合ったことは、今までに1度もないのです。
究極的に気分屋ということだけは、はっきり分かるのですが、旦那は本当はなにを考えているのか一切分かりません。
そして、こういった性格で40年以上生きてきたということで、「これから変わることは見込めない」ということだけは、はっきりしています。
「この先、死ぬまでこの人と一緒にいても、心から分かり合える瞬間が訪れることはないのだな」
そう思うと、不信感と虚無感に襲われるので、あまり考えないようにしているのです。
旦那に不信感が募ったエピソード3.常に標的を変えて文句を言う
究極の気分屋の延長で、旦那は自分の生活のうえで、常に誰か標的を1人つくります。
そして、その相手に対する文句を日常的に言い続けないと、日常のストレスに耐え切れない性格なのです。
あるときは仕事場、あるときは趣味の活動の友人、大概は私の文句を口に出すことを活力として、毎日を暮らしています。
私に対して私の文句を言ってくるだけならば、そこまで不信感が募ることでもありません。
しかし、私以外の誰かの文句を、私に対して話をしているときに思うのが、文句自体にたいした内容がないということ。
そもそも人間は不完全な生き物で、常に人に対して、聖人のように振る舞うことは不可能です。
なので、「そんないちいち大した内容でもない文句を、ブーブー垂れることでもないのではないか……」と私は思います。
しかし、旦那は直接本人に言えばいいような些細な内容に、自分の個人的な感情をおり交ぜて、話してくるのです。
逆に私に対して、なにかの当てつけとして攻撃してきているのか。
あるいは、「家の外で友人たちに、私の文句をこんな風に言っているんだろうなぁ……」と、話の最中にぼんやり考えてしまうほど、なにを意図して私にその文句を伝えてきているのか、まったく理解できません。
なので、自然と不信感がつのってくるのです。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
気分屋で、とんでもない旦那を持つと大変です。
まるで、「自分が楽しく暮らしていくためには、相手に合わせて生きていくしかない」と悟りの境地を開いたように、菩薩の心で日々を暮らしています。
打開するためには、どこかで折り合いをつけることが大切かもしれません。
不信感をつのらせることが重荷になるくらいならば、最初からおいそれと信用しないというスタイルで結婚生活を送るというのも1つの手。
それが、平和的な関係を送るポイントなのかもしれませんね。
夫婦といえど、いつまでたっても、他人なのですから。