32歳女性主婦。幼児期からアトピーに悩まされる。とくに首、手足の間接、頭皮が酷く、なん軒も皮膚科を回り治療した。
体質改善のセミナーに通ったり、遠方にいる漢方医に相談に行った効果があったのか、成長とともにアトピー症状は緩和。
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アトピーの私が受けた差別エピソード1.アトピーはうつるしきもいから、近寄るなと言われた
私はアトピーでしたが、気にせず遊んでくれるA子ちゃんという友だちがいました。
しかしある日、A子ちゃんのお母さんが「アトピーはうつるから、あの子とはもう遊んではいけない」とA子ちゃんに言ったのです。
それを知らない私が、いつものようにA子ちゃんと遊ぼうとすると「もう遊べない」と言われてしまいました。
とてもショックだったので、なんども「なんで急に遊べなくなったのか」とA子ちゃんに尋ねたのです。
するとA子ちゃんは「お母さんがアトピーはうつるから、遊んではダメって言われた。お母さんに怒られるから、ごめん」と言ってきました。
私は親や病院の先生から、「アトピーはうつらない」と教えてもらっていたので、すごく驚いたし、悲しかったです。
家に帰ってから自分の親に相談すると、学校の授業でアトピーの授業を開いてもらえることになりました。
そこで、先生が「アトピーはうつりません」とみんなの前で言ってくれたのです。
保護者用のプリントも配ってもらえました。
それでもA子ちゃんのお母さんは「本当はアトピーはうつるし、気持ち悪い」と言って、聞いてくれず、そのままA子ちゃんと遊ぶことは2度となかったです。
大人になってからも、A子ちゃんのことを思い出すと、「あんなに仲が良かったのに」と辛くなります。
アトピーの私が受けた差別エピソード2.制服にかさぶたが落ちて、きもいと言われる
私が通っていた小学校は、冬服の制服が紺色のブレザーでした。
そのため頭皮にアトピーができると、かさぶたが制服に落ちて、真っ白になってしまうのです。
夏場は白いカッターシャツを着ていたので、かさぶたが落ちても目立たなかったのですが、紺色のブレザーにはよく目立ってしまいます。
なるべく自分で、こまめに制服を脱いではたたいて、かさぶたを落とすようにはしていましたが、授業中についつい頭皮をかいてしまうと、すぐにブレザーが真っ白。
とくに後ろの机の子には、よく「頭洗ってないの? きもい。汚い」と言われました。
これはアトピーだからと説明しても「きもい」しか言われないので、ブレザーを着る季節がゆううつで仕方ありませんでしたね。
アトピーの私が受けた差別エピソード3.アトピーがある人間はかわいい文房具を持つ必要がないと言われる
私がかわいい文房具を使っていると「どうせアトピーだから、そんなかわいい物いらないでしょ?」と言われました。
「キャラクター付いたピンクのかわいい文房具ではなく、昔ながらのミドリや茶色の筆記用具がお似合い」と言われ、無視してかわいい文房具を使っていたら、ある日、私の文房具がなくなっていたのです。
どこを探しても見つからなくて、それでもまたかわいい文房具を買ってもらって使っていたら、すぐになくなりました。
とっても悔しいので、「絶対犯人を捕まえて先生に怒ってもらおう」と思いましたが、教室移動のときなどに気付いたら文房具がなくなっていて、犯人はわからないままでしたね。
なんど買いなおしてもなくなってしまうので、とっても悔しくて悲しかったけれど、仕方なく昔ながらの茶色やミドリの文房具を使うようになると、文房具がなくならないようになりました。
アトピーの私が受けた差別エピソード4.アトピーがあるんだから、皮膚は極力隠せと言われる
私がスカートをはいていると「ひざの後ろのアトピーが気持ち悪いから、肌を見せないでほしい」と言われました。
それまで、腕はかき傷が目立つので、なるべく長袖を着ていましたが、足まで見られているとは思ってもみませんでしたね。
とっても恥ずかしくて、泣きそうになったのを覚えています。
それからは、夏場でもなるべくズボンをはいて足が見えないようにしました。
アトピーの私が受けた差別エピソード5.給食当番を代わられる
私が給食当番になると「アトピーの人が給食を入れるのはきもい」と、給食当番をほかの人に代わられました。
自宅では、もちろん家族はそんなことを言わないし、「食事の用意を手伝えば、お手伝いをしてくれると喜んでくれるのに」と思うと悲しくて仕方ありませんでしたね。
先生に見つかると怒られるので、一応教室にいて、先生がきたら机を拭いているフリをしていました。
先生も気付いていたのかも知れませんが、とくになにも言ってくれなかったのが悲しかったです。
アトピーの私が受けた差別エピソード6.汚い仕事をさせられる
「アトピーがある人は汚いからお似合い」と、ごみ捨てや検便を集めたりトイレ掃除の仕事をよくさせられましたね。
トイレが汚れていたら「掃除して」と呼ばれるし、教室で嘔吐した子がいれば私のぞうきんが使われるのです。
自分の当番でなくても、そういった仕事をさせられるので、なんどか怒りましたが、先生がいなくなると意味がありませんでした。
私だって、汚い仕事はなるべくしたくないのは同じなのに、誰にもわかってもらえなくて、悲しかったです。
まとめ
大人になってアトピーは落ち着きましたが、子どものころにされたことは、忘れることはできません。
周りの人や子どもが偏見の目を持たないように、アトピーに対して正しい知識が広まって欲しいと思います。