結婚後に気づいた、育ちの違いで大変だったこと3つ

価値観の違い

32歳、女性。結婚後は専業主婦。
とにかく上品できっちりとしている義父母は、実の両親とは正反対。
義実家のみなさまと話すたびに、自分の知識不足と品のなさに落ち込む。
夫とはけんかばかりしてしまうが、本来は読書好きでぼんやりとした性格。

 

 

育ちの違いで大変だった話1.年中行事に対する思い入れが違う

年中行事

 

私の実家は、九州の山奥にある田舎です。

周りには親戚しかいないような土地で、私は幼少期を大人に囲まれてすごしました。

 

ただ、うちの母や親戚たちは、お正月やお盆は大切にするものの、ひな祭りなどの年中行事に対しては関心がなかったんです。

一方で、夫は地方の政令指定都市に生まれ、高級な住宅街で育ちました。

 

実家の近くには、父方の祖父母も住んでいて、おじいちゃんは元教師、おばあちゃんは元看護師というご家庭。

季節の行事をとても大事にしています。

 

夫と結婚してから一番最初にもめたのが、年中行事に関することでした。

私、義実家に顔を出すのは、お正月とお盆だけで良いと考えていたんです。

 

ところが夫はなぜか、節分だとか七夕にまでなにかと実家へ行こうとしていました。

「恵方巻き買ってくれるっていうから」とか、「七夕用のケーキがあるっていうから」とか言うのです。

 

行事が近くなると、かならず週末に義実家へ行くことになり、せっかくの休日が一日つぶれてしまいます。

子どもができてからなら、「孫の顔をみたいんだな」と理解もできるのです。

 

でも、結婚したての夫婦二人だけのときにもその状態。

夫いわく「行かないと母さんがうるさい」とのことでした。

 

行事のたびに、義実家へ行くのは私には「面倒だ」としか感じられません。

新婚のころは、それでなんども、ケンカをするはめになりました。

 

育ちの違いで大変だった話2.子どものお祝いごとにこだわる夫実家

命名

 

季節の行事の一件で、「しきたりなどに、こだわりがある家なんだな」ということは、理解したつもりでした。

それが、子どものお祝いにまで影響するとは、考えてもいなかったんです。

 

義実家にとっては、初孫となる私の息子が生まれてから、義父母のこだわりにふりまわされています。

もちろん、お祝いをちゃんとやってくれるのは嬉しいんです。

 

母に聞いたところ、実家でもお祝いは、兄のときにはそれなりにちゃんとやったようです。

私のときにはなにもやらなかったということで、それを私自身悲しく思ったこともありました。

 

だけど、母である私が「そんなに盛大に祝わなくても良い」と言っているのに、義父母はまったく聞き入れてくれません。

お祝いのなん日も前から、「ちゃんとやらないと」と夫へプレッシャーをかけてきます。

 

たとえば、子どもと私が退院した翌日には、我が家にやってきて命名式をすると言われました。

「何もしなくていいよ」と言ってはくれましたが、結局は部屋の掃除をするのは私。

 

「寝てていいよ」と言われても、まさか布団のうえにいるわけにもいきません。

産後の疲れ切った身体で、掃除をしテーブルを整えて、赤ちゃんにはセレモニー用の服をきせました。

 

写真を撮るというので、私も化粧をして着替えて髪を整えて、ともうしんどくてたまらなかったんです。

私の実家の近くにいれば、「疲れてるからやらなくていいよ」と、命名式も夫と3人だけでゆっくり楽しめたんでしょう。

 

このときばかりは、引っ越したくなってしまいました。

 

育ちの違いで大変だった話3.親戚の集まりに対する感覚が違う

親戚の集まり

 

文字どおり、育ってきた環境が違うことで、私のほうが夫に迷惑をかけてしまったこともあります。

それは、結婚して最初のお正月。

私の実家は遠方にあるため、結婚式にこれなかった親戚への、あいさつまわりに帰省したんです。

 

きちんと説明しなかった私が悪いのですが、地元のほうでの親戚の集まりといえば、いわゆる飲み会。

男性陣は、ひたすら朝から飲んだくれているんです。

 

あいさつをしようにも、まともに話ができるような状態ではないので、私は顔見せだけして帰るつもりでいました。

ところが夫は、飲み会のスタート前に、うっかり男性陣の集まるテーブルに座ってしまったんです。

 

そうしたら当然、どんどんお酒を飲まされてしまうんですよね。

夫は下戸なのですが、私の親戚ばかりがいるなかで、お酌を断ることもできず、そのまま飲み続けてしまったようでした。

 

私は台所の手伝いをしていたので、それに気づくことができず。

結局、飲み会の途中から、夫は奥の部屋で横になってすごすことになりました。

 

後日、私の親戚の顔を覚えられなかったと、非常に落ち込んでいました。

私にとっては当然だったこの飲み会が、夫にとってはかなり衝撃的だったようで、悪いことをしたなと思いました。

 

まとめ

上品で、きちんとしたおうちで育った夫と、ど田舎で昔ながらの九州男児と、なにごとも適当な両親に囲まれて育った私。

いろいろと文化の違いを感じることは多く、それにまつわるトラブルも多いのです。

 

これをひとつひとつ乗り越えていくことが、家庭を築くということであると思いながら頑張っています。