うつ病でニートになってから復活するためにした2つのこと

喜んでいる男性

30歳女性。海外在住。翻訳家として仕事を始めたばかり。4年前にうつ病と診断され、一度は回復するが2年後に再発。2度目の鬱はかなり深刻で、希望を見出しもう一度生きようと思えるようになるまでに長い時間がかかる。現在は通院(カウンセリング)と薬の助けもあり社会復帰できるほどまで回復した。更なる再発を避けるため、なにより自分に嘘をつかない毎日を生きようと決心し、日々奮闘中。最近では友人とのたわいない会話や趣味の料理、手芸をまた楽しめるようになったことを心から嬉しく思っている。

 

 

うつ病でニートになってから復活するためにしたこと1.日常生活にリズムをつくる

新しい家への希望

 

私は数年にわたるうつ病の影響から働くことが難しくなり、つい先日まで親に生活費の援助を受けながらニートの生活をしていました。

うつ病に回復のきざしが見られ、「社会生活に復帰したい」と考えはじめてから最初に頭に浮かんだのは、日常生活にリズムをつくることでした。

 

うつ病がひどいときは時間の感覚がほとんどなくなっていて、たえがたい時間がただただすぎていくのみでした。

通院をはじめ薬も飲みはじめていましたが、それだけでは回復にはたりないと自覚していました。

 

苦しいなか、「このままではいつまでたっても回復できない」、「まずは自分を半強制的にでも外の世界に出させるなにかが必要だ」と、うつ状態で働かない頭をしぼって考えました。

とにかく毎日なにか取り組めることや、行く場所があったほうがいいと感じたので、毎日だいたい決まった時間にできて自分のルーティーンになることはないか、といろいろと考えました。

 

そんななか「もしかしたら学生のころのようにまた、勉強をはじめることが自分を助けてくれるかもしれない」と思いつき、当時住んでいたプラハの語学学校を調べはじめました。

すると、ある語学学校が平日の朝8時半〜12時前まで週5日びっしりと英語を勉強できるコースを開いていることが分かったのです。

勉強の内容よりもそのスケジュール自体が自分を助けてくれると直感し通うことを決めました。

 

最初はまだ気分の落ち込みや希死念慮が強く、朝起きるのも大変だったので、辛かったですが、1日1日をなんとか終えていくたびに、少しずつですが自分を認められるようになってきました。

うつ状態がひどいときは、本気で自分がひとりになってしまったと感じ、自分はまわりの人に害を与えるだけの存在だと思い込んでいました。

しかし、日常生活にリズムをつくることによりじょじょに日常の感覚が戻ってきて、学校のクラスメイトなど他人との交流に、ありがたみや楽しさを覚えるようになっていきました。

 

ある程度決まったリズムの日常を積み重ねていくうち、うつ病どくとくの、閉ざされた暗闇にいつまでも取り残されたような、たえがたい感覚が少し弱くなり暗闇に光が差してきたように感じました。

そのころ季節はちょうど真夏だったのですが、ある日外に出て強い日差しを感じたとき。

「あ、暑いと感じてる。まだ私、生きてるんだ」と思ったのを覚えています。

 

まだまだ重いうつ状態のなかで回復までにはほど遠い状態でしたが、生きている感覚を感じ素直にうれしさを感じた瞬間でした。

うつ病には時間が一番の薬だとよく言われますが、それには一理あり、うつ病を患っている本人にとっては苦しいですが、やはり時間がだんだんとすぎるにつれ、一緒に痛みや悲しい記憶を少しずつ持って行ってくれるのを待つしかないのです。

 

「待つしかない」と言うと「救いようがない」ように聞こえて絶望感をいだくもしれません。

言いかえれば「それなりのときがたてば必ずよくなる」という安心をくれる言葉でもあるのです。

 

どんな人にも生きていれば、毎日訪れる1日に「日常生活」としてのリズムをつくることは、うつ病からの回復において本当に重要で、効果がある方法だと思います。

社会復帰するための私の第一歩はそこからはじまりました。

 

 

うつ病でニートになってから復活するためにしたこと2.自分のいる環境での役割を持つ

やる気に満ち溢れている男性

 

2つ目に考えついたのは、そのころ姉と弟と一緒に住んでいたのですが、彼らとの日常生活のなかで私の役割をもつことでした。

私にはこれといって特技がなく、しいて言えば家事全般をある程度こなせること、というくらいでした。

 

家事のなかでも、好きで比較的ほめられることも多かったのは料理だったので、まず姉と弟のために「毎晩私が夕食をつくる」と申し出ました。

そのころはまだ、出歩くだけで緊張し心臓がバクバクして、「なんとか落ち着こう」と鎮静作用がある薬を飲みながらなんとか、そのときを乗り切るという状態でした。

食材の買出しだけでも、そのときの私にとっては一大事でした。

 

いつ辛い記憶がよみがえり、不安に支配されてしまうのか恐怖でいっぱいで、自分がどこかに行ってしまいそうに感じたこともありました。

それでもその役割は「毎日なにかをしている」「料理という一種の作品を生み出している」という実感をわかせてくれるものでした。

日々が積み重なるにつれて、同時につくる料理の数、よろこんで食べてくれる姉と弟の笑顔が増えるたびに「自分は役割を持つことによって誰かの役に立てる」という自信や安心感のような、前向きな感情をもつようになっていきました。

 

その役割は、私が新しい将来の道を決めドイツへ移るまで続きました。

取るに足らないようなささいなことかもしれませんが、それは当時の私のつっかえ棒となってくれ、そして今も引き続き私を根っこから支えてくれる大事な要素となっています。

 

まとめ

うつ病のかちゅうにいるときは、本当にたえがたく辛い時間ですが、必ず抜け道はあり、暗闇に光がさすときがやってくるのです。

それは誰にでも例外なくおとずれます。

とくにニートから復活する過程において「日常生活にリズムをつくる」「自分のいる環境での役割を持つ」、この2点が要となってくれることを実感 しています。